アルプスの小国オーストリアは26日、連合国軍(米英ロ仏)4カ国の10年間の占領時代を経て再独立してから今年で70周年の建国記念日を迎えた。同国は1955年5月、4カ国の連合国軍との間で「オーストリア国家条約」を締結し、再び独立国家(国家回復)が認められた。条約の規定に従い、同年10月、「永世中立に関する連邦憲法法規」(中立法)を制定して永世中立を宣言した。当時のレオボルト・フィグル外相がベルヴェデーレ宮殿内で「オーストリア・イスト・フライ(オーストリアが自由に)」と叫び、再び独立国となった喜びを国民と共に祝った。

世界最古の動物園シェーブルン動物園で3頭のチータ―の赤ちゃんが誕生した、2025年10月26日,シェーンブルン動物園で撮影
建国記念日では首都ウィ―ンの英雄広場で毎年、連邦軍が戦車やヘリコプターを披露してウィーン市民に国防の実態を紹介する。多くの親子連れが見学にやってくる。文字通り、国民的祝日だ。
オーストリアは再独立後、中立国家としてスタートしたが、同国の国体は時代の変遷の中で大きく揺れ動かされてきた。同国は中立国として軍事同盟には加盟せず、冷戦時代には東西間の架け橋的な調停外交を展開する一方、中東・バルカン半島の紛争時には国連平和維持軍に参加、また国連の専門機関をウィーンに誘致し、国連外交を推進してきた。
ちなみに、ウィーン市にはイランや北朝鮮の核問題を監視する国際原子力機関(IAEA)、国連工業開発機関(UNIDO)、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)、国連薬物犯罪事務所(UNODC)などの本部や事務所がある一方、石油輸出国機構(OPEC)や欧州安全保障協力機構(OSCE)など30を超える国際機関がある。
冷戦時代には中立主義がその価値を発揮できたが、ロシア軍が2022年2月末、ウクライナに侵攻して以来、中立主義の見直しが叫ばれ出した。欧州の4カ国の中立主義国のうち、フィンランドとスウェ―デンは中立主義を放棄して北大西洋条約機構(NATO)に加盟したが、スイスと共にオーストリアは依然、中立主義を堅持してきた。
スイスは中立主義の定義の再考(「協調的中立主義」)や武器再輸出法案の是非を検討するなど試行錯誤。一方、オーストリアでは中立主義との整合が問われるような政治的動きが出てきた。例えば、欧州の空域防衛システム「スカイシールド」(Skyshield)へのオーストリアの参加だ。ちなみに、中立国オーストリアのESSI参加に対し、極右「自由党」キックル党首は、「スカイシールド参加と中立主義は一致しない。NATOとロシアが戦闘した場合、わが国はその戦禍を受けることになる」と強く反対した。
オーストリアは冷戦時代、旧ソ連・東欧共産圏から政治難民が殺到、その数は200万人にも及び、「難民収容国家」と呼ばれた。冷戦の終焉後の2015年、中東・北アフリカから100万人の経済難民が欧州に殺到し、移民・難民の収容問題が大きな政治課題となった。
ところで、オーストリアはローマ・カトリック教国だ。戦後直後、カトリック信者は国民の85%以上だったが社会の世俗化、教会の聖職者の性犯罪問題の発覚もあって、信者数は現在、50%台に急減し、あと10年もすれば過半数割れは確実視されている。同時に、イスラム系移民が急増し、ウィーンの小学校ではドイツ語を母国語としない生徒がクラスの過半数を占め、学力低下の原因ともなっている。
政府はイスラム系移民の統合政策を促進させている。シュトッカ―政権は9月、14歳未満の女子に対して学校でスカーフの着用を禁止する法案を閣僚決定している。オーストリア、特に首都ウィーンの「都市の風景」は大きく変わってきた。
まとめると、建国70周年を迎えたオーストリアでは今日、国是の中立主義はその価値を失い、国民の精神的支柱だったキリスト教の信仰は益々希薄化する一方、イスラム系移民が急増している。オーストリアの国体は変容してきている。

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編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年10月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






