
ちょうど4年ほど前に、初めて「言い逃げ」をタイトルに冠した記事を出した。ある歴史学者が炎上した際、叩けば叩くほどウケるときには散々罵りながら、形勢が変わるやダンマリを決め込む姿勢を批判してのことである。
この事件は、日本の学界におけるキャンセルカルチャーの走りだったが、私はそんな人文学者の矮小な争いだけを視野に入れていたのでは、なかった。それは以下のとおり、本文から確認できる。

「とにかく“いま” この瞬間の世間の空気に照らして、ウケがよく自分の得になることを言い、後で矛盾が生じようが気にしない」という発想を、仮に「言い逃げ」と呼んでみよう。周知のとおりこうした振る舞いをする学者は、歴史学に限らない。
思い出そう。新型コロナウイルスの感染が拡大期に入り、人々の不安が高まるごとに「人流を抑え込め」「ロックダウンが必要」「それ以外では収束しない」「最悪〇万人が感染、×万人が死ぬ」といった見解を披露しては喝采を浴び、しかしロックダウンなしでも感染が収束に転じるや「とにかくよかったです」とケロリとした顔をしている人たちのことを。
彼らの専門は、理論疫学・感染症医学・データサイエンス・経済学など、むしろ(歴史学などの人文学とは対照的な)理数系である。
アゴラ、2021.11.3
(段落と強調を変更)
実は、そもそも「言い逃げ」の語を初めて使ったのは、日本初の緊急事態宣言がようやく明けた翌日の、2020年5月26日の私信だった。国民の不安につけ込み、ウケるときだけ誇大に恐怖を煽って過剰な対策を強行しながら、空振りに終わっても責任を取らないセンモンカを指したものだ。
今年、改めて先見性が立証された、歴史学の成果に基づき政府の対策を批判した拙稿(同月20日に公開)に対し、唯々諾々と自粛に応じた自らの卑小さをごまかすために、SNSで因縁をつけ集団で貶し出す昔の同業者が多くいた。そのひとりに宛てて、書いたのである。

……「話盛ってない? 後から作ってない?」と疑われると心外なので、名前出しとこう。おまわりさんこの人です。

歴史学者がロクデナシ揃いなことは、その後あれこれの炎上を通じてもうみんな知ってるので、彼のことはどうでもいい。問題は、私に「言い逃げ」の概念を着想させた元祖と呼ぶべき、当時 “活躍” した疫学者のほうだ。
ご存じ、あの頃「8割おじさん」として知らぬ人のいなかった、西浦博氏(現・京大教授)である。
今年6月に刊行された岩本康志『コロナ対策の政策評価』での批判に対し、8月に西浦氏は(実質的な)応答となるインタビューを出した。その中で、国家の政策を決め、日本中を席巻した彼の試算は「トイモデル」に過ぎないと弁解した無責任さは、すでに炎上済みだ。

だがその鮮やかなまでの「言い逃げ」ぶりは、次の危機の際、同類のセンモンカに騙されないためにも、検証する価値がある。たとえば、問題の「トイモデル」を含む発言箇所で、実際には彼はこう言っている。
よく8割接触削減の「根拠」と言及されるので念のためにお答えしておきたいのですが、この政策シナリオは厳密には根拠と言えるものではないと思います(「背景理論」と表現できる程度ではないでしょうか)。
その背景理論は、基本再生産数(R0)=2.5等々の一定の仮定の下で、対策によって流行動態がどう変化するのかを「トイモデル(簡易的な計算モデル)」で計算した、というだけのものです。
2025.8.26
m3.comの会員限定記事より
要するに、いまや「8割削減」を好意的に評価する人はいないので、いやいや、ぼくの試算はあの政策の根拠じゃないんですよ、と言い出したのだ。トイモデル云々の表記は、そんな言い逃れを補強する道具にすぎない。
……ふーん。でも、じゃあ当時、ネット見てる日本人は全員が読んだろうこの記事は、なんですかね? あなたが「政府が掲げる8割削減、その根拠を出したのはぼくです!」みたいに言うから、バズったんじゃないの?

8割が理論的には正しいので、それを目標としてくださいと伝える過程には、簡単ではないせめぎ合いがありました。
大臣や緊急事態宣言を担当される部署から、「6割はだめですか?」「それでダメなら7割ではどうですか?」という値切るような聞き方をされました。
(中 略)
ゴールを8割に設定してもらったことは評価しています。数理モデルの数値が政策として通ることは、今までの感染症対策の歴史上はなかったことです。ちゃんとエビデンスに基づいて、数理モデルによる数値計算を飲んでくれて、閉鎖期間や目標値が設定された。
BuzzFeed、2020.4.11
安倍首相が「最低7割、極力8割」と
国民に呼びかけた4日後の記事
当時から歴史学の視点で異を唱えた私を含めて、「8割削減」の根拠の乏しさを主張する声は(少なくても、確実に)あった。なぜ西浦氏は、そのときは批判に応答しなかったのに、いまになって違うことを言い出すのか?
今年8月の取材では、驚くべき説明をしている。
本日ご質問いただいた内容の多くは、SNSなどで指摘されていたことと承知しています。
ただし、専門家会議のメンバーの中で、対極的な価値観に基づく仕事内容への批判や、いわゆる「場外戦」には一切応じないというポリシーを守る方針を取ってきました。
2025.8.26
前掲 m3.com より
いやいや、「一切応じない」もなにも、上記のBuzzFeedの取材はじめ、YouTubeでもSNSでも、自説を「場外」に広めまくってましたよね?
「対極的な価値観」というのも不自然な日本語だが、要はあのとき、西浦氏に代表されるセンモンカは、”同じ価値観で俺の主張を報じることしか、認めない!” ことを前提にしてたわけだ。そんな高慢さを赤裸々に告白してくれるのは、むしろ貴重だし、ある意味で誠実かもしれない。
ご存じのとおり、このNo Debateな態度は他の分野へと広がり、一時はメディアを覆い尽くした。私たちがいま見ているのは、その信用が崩壊し、学問も報道も相手にされない未来の幕開けだ。

そんな世の中にしないためには、なにが必要か?
言い逃げを許さないことである。つまり、逃げても追いかけていって殴り、「言い得」なんてないんだよ、と教えてあげることである。なにより、そんな姿をメディアで広く共有し、国民の新たな常識にすることである。
この問題を採り上げた『Wedge』今月号を、新幹線のグリーン車で辛坊治郎氏が目にしたのがきっかけで、昨日のラジオでお話しした。キャスターとしては例外的に、当時から接触制限を批判してきた辛坊さんと、「30:50」頃からホンネでトークしている。
ぜひぜひ再生するとともに、いまだにメディアに出てくる「センモンカ」をつい信じがちな周りの人にも、薦めてほしい。彼らの評判こそ “8割削減” することが、必ず次の危機に強い日本を作る。そこに歴史の強みがある。
参考記事:



(ヘッダーは「8割削減」から1年の後、なお政治家に責任を転嫁する西浦博氏。朝日新聞より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年11月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






