ローマ教皇レオ14世、在位後初の外遊へ

ローマ教皇レオ14世は27日から教皇在位後初の外遊としてトルコとレバノンを訪問する。トルコ訪問の最大の目的は、エキュメニカル信条の基礎が築かれたニカイア公会議(現在のイズニク)1700周年と正教会の聖アンドレア祭の記念式典に参加することだ。正教会の名誉総主教であるコンスタンティノープル総主教バルトロメオスとの会談は外遊のハイライトだ。

在位後初の外遊としてトルコとレバノンを訪問するレオ14世、バチカンメディアから、2025年11月22日

バチカン教皇庁が発表した日程によると、11月27日から30日までトルコを訪問し、その後レバノンへ向かい、約3日間滞在し、ローマへの帰還は12月2日の予定だ。トルコでは、まず首都アンカラへ。アタテュルク廟を視察した後、大統領官邸でエルドアン大統領の歓迎を受ける。その後、教皇の歴訪で慣例となっている政府高官との外交会談を行った後、同日中にイスタンブールへ移動し、エキュメニカル信条の基礎が築かれたニカイア公会議(現在のイズニク)1700周年を祝い、正教会の聖アンドレア祭に参加する。

ニケア聖年を前に、11月28日にはイズニクの古代聖ネオフィト大聖堂付近をはじめとする各地で、エキュメニカル祈祷会が開催される。29日には、レオ14世とバルトロメオス総主教が共同宣言に署名する。正教会が守護聖人である使徒アンデレの祝日を祝う11月30日、教皇はファナルにある聖ゲオルギオス総主教教会で行われる正教会の礼拝でスピーチを行う。イスタンブールでは、レオ14世はブルーモスクとして知られるスルタン・アフメト・モスク、モル・エフレム・シリア正教会を訪問し、アルメニア使徒座聖堂での祈祷会にも参加。11月29日には、体育館でカトリックのミサを執り行う予定だ。

そして11月30日午後、第2の訪問国レバノンの首都ベイルートを訪問し、新たに選出された指導部と政府の代表者と会談。12月1日、教皇レオ14世はアンナヤのマルーン修道院にある聖シャルベルの墓を訪れ、挨拶のメッセージを述べる。ベイルートではエキュメニカルおよび諸宗教会議が開催され、その後、教皇と若者との会合が行われる。12月2日、レオ14世はベイルート港で黙祷とミサを執り行う。ベイルート港は2020年に壊滅的な爆発事故が発生し、約200人が死亡し、多くの建物が破壊された。

バチカンメディアは教皇のトルコとレバノン訪問を‘政治的デリケートな訪問先‘と呼んでいる。民族間、宗派間の紛争が絶えない中東地域ではキリスト教はあくまでも少数宗派だ。特に、イラクや他の中東の地ではキリスト教徒の迫害が絶えない状況だ。

レオ14世の最初の外遊では、「イエス・キリストは神である」と決定し、神学的に大きな影響を与えた西暦325年に開催されたニカイア公会議(二ケア公会議)の開催地、ニカイア(現在のトルコの都市イズ二ク)の訪問が注目される。レオ14世は6月7日、「ニカイア公会議は単なる過去の出来事ではなく、全てのキリスト教徒の、完全な目に見える一致へと私たちを導き続ける羅針盤だ。私たちは共に、三位一体の神を信じている」と説明している。

ちなみに、ニカイア公会議は、史上初のエキュメニカル公会議だ。この公会議のテーマは、「ロゴスであるイエス・キリストは被造物か、それとも神か?」だった。コンスタンティヌス1世(大帝)の招待により、ローマ帝国各地から数百人の司教が、現在のトルコのイズニクにあたるニカイアの町に初めて集まった。

4世紀、ローマ帝国には多くの宗教や宗派が存在し、統一されたキリスト教会は存在していなかった。ニカイア公会議では、アリウス派とアタナシウス派の対立を解消する目的があった。アタナシウス派とは、アレクサンドリアのアタナシウスの指導の下、父なる神と子なる神であるキリストが同質(ホモウシオス)であると主張した派だ。この考え方は、後に三位一体説として確立され、キリスト教の正統教義とされた。

一方、アリウス派は、キリストは神の被造物であり、「イエスの神性」を否定していた。アリウス派は当時、最も影響力のあるキリスト教運動であり、アレクサンドリアの長老アリウス(260年頃から327年)の信奉者たちの信仰だった。

最終的には「イエスの神性」を否定するアリウス派が異端とされ、アタナシウス派の「ニカイア信条」が採択された。そして、聖霊を神格における第三の「位格」とする「三位一体」の教義がコンスタンティノープル公会議(381年)によって定着していく。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年11月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。