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人前で話せない大人には、たいてい「あの日」がある。
取材で何人もの「話すのが苦手な人」に会ってきた。彼らの話を聞いていると、だいたい子ども時代のどこかで何かが起きている。本人も忘れていたような、些細な出来事。でも、それが何十年も尾を引いている。
「今すぐ!思わず!もう一度!人前で話したくなる声と話し方」(下間都代子 著)日本実業出版社
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ある女性は、小学生の頃いじめられていた。成績優秀だったのが災いした——というか、父親が近所で有名な頑固者で、それが原因で標的にされた。
彼女は学んだ。目立てばやられる。黙っていれば安全。以来、人前での発言を避けるようになった。
別の女性は、幼い頃から「何言ってるかわからない」と母と姉に言われ続けた。誰かに話しかけられても、隣の母が「この子はね……」と代わりに答える。本人の出番はない。そりゃ話せなくなるだろう。話す機会を奪われ続けたんだから。
もう一人、中学時代の話。授業で手を挙げて正解した。でも先生は「まあ、普通の解き方だな」と素っ気なく、次に学年トップの生徒を指名して「さすが!」と褒めた。たったそれだけ。でも彼は思った。正解じゃダメなんだ。期待を超えないと認められないんだ。それ以来、手を挙げられなくなった。
読んでいて腹が立たないだろうか。私は立つ。
いじめた同級生は論外として、問題は「親」と「先生」だ。
代わりに答えてあげる優しい母親。効率を重視して「できる子」を褒める先生。悪意はない。たぶん、良かれと思ってやっている。でも結果として、子どもから「話す経験」を奪った。失敗しても大丈夫だという安心感を与えなかった。
人前で話す力は、「準備」「練習」「慣れ」で身につく。言い換えれば、場数だ。幼い頃にその機会を得られた人間は、運が良かっただけだ。
今さら親を責めても仕方ない。先生を恨んでも何も変わらない。でも、知っておいてほしい。あなたが「話せない」のは、あなたのせいじゃない可能性がある。性格の問題でも、能力の問題でもない。単に、練習する機会を与えられなかっただけかもしれない。
ちょっと思い出してみてほしい。あなたにも「あの日」があるんじゃないか。誰かに笑われた日。無視された日。「お前には無理」と言われた日。その記憶が、今も足を引っ張っていないか。もしそうなら、それは呪いだ。でも、呪いは解ける。気づいた瞬間から、解呪は始まっている。
だとしたら、今から取り返せばいい。遅いということはない。遅いと思い込まされているだけだ。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムの形で編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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22冊目の本を出版しました。
「読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)








