黒坂岳央です。
仕事で取り扱いが難しいのが「プライドが高すぎる人間」ではないだろうか。彼らの振る舞いは一見、自信に満ち溢れているように見えるが、その実態は極めて脆弱な自己肯定感を守るための過剰な防衛反応に他ならない。
お断りしておくとプライドには2種類ある。良いプライドと悪いプライドだ。「課せられた仕事は絶対に最後までやり抜く」「自分なら1位を取れるはずだ」と自助努力、自己完結するプライドなら誰にも迷惑はかからず、良い結果を残せるので問題ない。本稿で取り扱うのは悪い意味で、高すぎるプライドのケースだ。
そして実はこの悪いプライド、昔の自分自身が若い頃持っていたものばかりである。今は心から反省して繰り返さないように意識しているが、経験者だからこそこのような感覚を持っているなら早めの治療が肝要であると主張したい。

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謝らない
人間は誰でもミスをする。そして日本社会では、非を認めてまずお詫びすることがその場の空気を壊さないための処世術だ。
ところが彼らにとって、自らの非を認めることは「敗北」と同義と解釈する。そのため、客観的に見て明らかに自分に過失がある状況であっても、決して謝罪の言葉を口にしない。
正直、仕事のミスが謝罪で終わるなら安いものである。本来、仕事の失敗とは結果を出すことでしか挽回出来ないはずだが、顧客の感情が自分の謝罪で緩和されるなら、自分はプライドなど捨てていくらでも頭を下げる。日本社会ではその方が合理的だからだ。
ところが、彼らは顧客や周囲の感情より、自分のプライドを優先する。だから謝る代わりに、彼らは責任転嫁する。「そちらの指示の出し方が不明瞭だった」など、原因を外部に求めることで精神的な安定を保とうとする。さらに追及されると、「俺を信用していないのか」と感情的に逆上し、論点をすり替えて相手に罪悪感を植え付けようとする。
「自分の謝罪は安くないぞ」と立場が落ちることを恐れるのに、やっている行動でそれ以上に自分の立場が落ちていることに気づかない。要は感情で損をしているので非合理といえるのだ。
すべてが勝ち負け思考
彼らは常に自分が優位な立場にいなければ安心できない。そのため、上下関係が見える話題には非常に敏感に反応し、常に相手のマウントを取ろうとする。
たとえば「この間、旅行で思い切って海の見えるホテルに泊まったけど~」と同僚が土産話をすると、「自分は同じエリアの最高級ホテルに泊まったことがある」とすかさず入れて鼻息荒くいかに優れているかを語る。
正直、何にどのくらいお金を使っているかは単なる趣味の領域であり、偉くもなんともない。少し高いホテルに泊まるだけなら、背伸びすれば誰だって出来る大したことのない話だ。それを「経済的地位の誇示」と解釈してマウンティングの道具に使うのはプライドが高すぎるからである。
経済力PRなどすれば、相手からの印象も悪くなる。つまり「お金を払って自分の立場を悪くする」という非合理的な行動をするのは、高すぎるプライドが引き金になっているのだ。
強すぎる被害者意識
彼らのプライドは脆く、常に外界からの侵害を恐れているため極端な「被害者意識」として現れる。
彼らは、他者からの真っ当な依頼や期待を歪んで変換する。会社で普通に担当業務を任されただけの文脈でも、「自分は会社で搾取されている」「うまくこき使われている」と解釈する。
冷静に考えると、対価を受け取っているなら、義務として相応の労働サービスを返す必要があるはずだが、彼らはプライドでそこまで視野を広げることが難しいのだ。
最近は特にSNSのフィルターバブル現象によって、自分の被害妄想が増幅される人もいる。そうなると「人生そのものが損な役回りをさせられている」という悲劇のヒロイン的なナラティブを内面で構築し、それを事実として周囲に吹聴する。
仮に相手に攻撃的な態度を改めるように周囲から注意されたり、距離を置かれると、反省する代わりに「自分は不当な攻撃を受けた」と反発する。自分はあくまで「理不尽な環境と戦う悲劇の主人公」であり、他者への攻撃はそのための正当防衛であると信じ込んでいるため、対話による解決が不可能である。ここまで認知が歪むと矯正は不可能に近いので、物理的距離を取るしかない。
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プライドが高い人は本音ではひどく怯えている。彼らの攻撃性は、強さではなく、内面の脆弱さを隠すための厚い鎧に過ぎない。周囲からの温情でガードを解くことができれば救われるが、多くはますます厚い鎧を増やすので治療はかなり難しいのだ。
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