
高市早苗政権が発足した際の番組が好評で、文藝春秋プラスが急遽もう一度企画してくれた動画2本が、YouTubeに上がっている。お相手は、もちろんいつもの浜崎洋介さん。
で、1本目はまぁ、いま避けれないテーマなので、例によって「台湾有事答弁」の当否だ。
やや意外だったのは、前回は高市首相による “現状打破” に期待していた浜崎さんも、この答弁に関しては「現状を変えていない」ことを前提に、評価していたことだ。番組でも言及したが、なにせその後の閣議決定でも、
政府は〔11月〕25日、……高市首相の国会答弁を巡り、従来の政府見解を「完全に維持」しているとの答弁書を閣議決定した。認定要件などは「見直しや再検討が必要とは考えていない」と記した。公明党の斉藤代表の質問主意書に答えた。
読売新聞、2025.11.25
(強調は引用者)
と、なっている。わざわざ「完全に」と補うあたり、正直もう官邸も火消しに必死な感じがある。
防衛政策のあり方として、答弁の前と後とが完全に同じなら、「じゃあ余計なこと言わなきゃよかったじゃん?」とぼくは思う。が、なぜか日本の世論は、そういう風には動かない。
台湾有事を巡る高市早苗首相の国会答弁を受けた日中関係悪化について日本経済に「悪い影響を与える」と回答したのは「どちらかといえば」を合わせ59.9%だった。
(中 略)
台湾有事を巡る首相答弁に伴う経済悪化への懸念が示された一方で、答弁自体については「不用意だったとは思わない」が57.0%で「不用意だったと思う」37.6%を上回った。
東京新聞、2025.12.21
(調査日は20-21)
実際に浜崎さんも、”そもそも” 日本の首相の答弁にここまで中国が首を突っ込むのがヘンだという立場で、たぶんそれがこうした民意の肌感覚なのだが、しかし「経済には悪影響だけど、不用意ではないんすよ」というのも、すごい話だ。
番組でも議論したように、この状況はコロナで見た景色に似ている。
対人接触を8割も削減したら、経済に悪影響が出るのは(中国の嫌がらせ以上に)あたりまえだ。が、その計算の根拠はなかったことがわかった後になっても、「別に不注意じゃない、あれでよかった」と居直る人は多い。

“そもそも” これはどうなんだ? と深く問うこと自体は、非常に大事な知性の条件なのだが、その動かし方が、令和に入っておかしくなった。つまり、政権の側がうっかりをやらかしても、
「そもそもDXを進めるべき時代なんだから、この際、対面を前提にした古い業態が潰れていくのはむしろチャンスじゃないすか?」
「そもそも中国はリスクのある国なんだから、この際、中国に依存したビジネスが終わっていくのはむしろチャンスじゃないすか?」
みたいな感じで、世論が責任を不問にする。
たとえば英語が国際標準語になっているのは、特定の国民だけを有利にして “そもそも” おかしいので、「そもそも論」で考えれば英語教育を廃止してエスペラントを必修にすべきだが、そんな政策が国益を毀損することは、ふつうわかる。
ところが中国なる、どこか(日本の)国民のアイデンティティにとって琴線に触れるテーマが絡むと、いきなりそもそも論にジャンプして、現状をひっくり返したくなる人が増えている。
実はそれは、日本人だけがヘンなのではない。
2025年の世界を揺るがしたのは、なんといっても第2次トランプ政権の発足だが、その原動力もまた(アメリカという)国の根幹を疑う「そもそも論」なことを、2本目の動画では論じた。
議論で著書を採り上げたパトリック・デニーンは、ヴァンス副大統領が敬服する政治哲学者だが、その主張は根底的だ。単に「最近のwokeなリベラルってウゼー」なネトウヨではない。
白人にとってのアメリカは近代史しか持たない国だが、デニーンによれば、それを支えた近代思想が “そもそも” 間違っている。リベラルなロックの自由主義はおろか、共和主義に通じるマキャベリの思想さえ、ボロカスである。
古典古代とキリスト教時代の徳育によって専制的にふるまいたくなる衝動を和らげるという願望を見限ったのは、イタリアのニッコロ・マキアヴェッリである。
(中 略)
マキアヴェッリが提案したのは、不誠実に達成されるのがせいぜいの非現実的な行動規範――とくに自制――を促進する代わりに、政治哲学を高慢、利己性、貪欲さ、栄光の追求といった、すぐにでも観察できる人間の行動を踏まえたものにすることである。
42-3頁
古代のポリスのように、徳の力で互いの欲求を抑えてこそ共同体は成り立つのに、個人の私利私欲を前提とした近代の政治思想は “そもそも” 誤っている。だからリベラル派に留まらず自由民主主義そのものが、古典文明の劣化形態である。
日本浪漫派ならぬギリシア浪漫主義みたいな話だが、そんな人ほどオラオラで血気盛んなのが、いまの世界だ。ご本人いわく——

欧米のエリート層は個人の自由と選択を重視する姿勢が唯一の正しい生き方だと決めつけ、それに賛同しない大衆に対しても強要してきました。……秩序ときずなを重んじるごく普通の人々に敬意を持つ指導者層が、リベラルなエリート層に取って代わるべきなのです。
(中 略)
トランプ氏は(24年の)大統領選で勝つことは「革命」に近い、ということを理解していました。選挙での勝利が、リベラルなエリート層が打ち立て、永久不可侵のように思われた「体制」全体の否定を意味するからです。そして、革命を一時的な「爆発」に終わらせず、長い生存力を与えるのがバンス氏です。
朝日新聞、2025.5.9
(一部有料)
ラディカルに “一から” 考えなおす「そもそも論」とは、別の言い方をすると原理主義のことだ。「特に信仰はない」と答える人が多数派の日本人は、キリスト教にせよイスラームにせよ、宗教的な原理主義にはハマりにくい。
それはそれで平和なのだが、逆に宗教以外から来た「そもそも論」には、それが原理主義だと気づかず釣られやすいとも言える。コロナ原理主義、ウクライナ原理主義、トランスジェンダー原理主義……と並べれば、思いあたる人は多かろう。

歴史のなかで「まぁ、この辺で折りあうしかないやろ?」として成立してきた妥協点を吹き飛ばす、そもそも論のマグマは、危うい。
選挙の結果で見ても、公平に言って世界の中では、日本は持ちこたえている方だ。が、高市答弁が噴出させた “そもそも中国は!” の盛り上がりからすると、来年はいよいよヤバいかもしれない。

年末にそんなメッセージが伝わる、いまどき貴重な「保守とリベラル」の対談動画になっていればと思う。今年の振り返りに、ぜひご覧ください!
参考記事:


(ヘッダーは、まだ大統領戦中だった2024年のGuardianより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







