
いよいよ戦後80年で、昭和100年でもあった2025年が終わり、ふたたび日本は歴史を忘れる眠りにつく。ひょっとすると永遠の眠りで、もう目覚めないこともあるかもしれない。
そうは言っても、「戦後批評の正嫡」になってしまった者としては、細々と “家業” みたいに81年目/101年目からも続けていくしかないのだが、最後にそんな今年をふり返っておこう。
昭和時代は、1926年の12/25に始まり、89年の1/7に終わる。今年のnoteのうち、当該の時期の史実を参照したものを、その歩みに則して年表風に並べた(89年については、”冷戦の終焉” と重ねて記憶する人が多いので、今回は延ばしてある)。
大事なのは、歴史学者の(つまらない)授業みたいに、「何年に何がありました」と死んだ過去を扱うものではないことだ。むしろ激動の年だった2025年へと、直接つながる生きている歴史として、どの記事でも昭和史を “鑑” にしている。
それでも「年表は飽き飽きだなぁ」という人は、末尾に大切な付論をつけてある。目次からのジャンプでもいいから読んでくれたら、”歴史” のためにとても嬉しい。
“昭和の100年目” としての2025年
1928.10 ソ・五ヵ年計画開始

1931.9 満州事変勃発

1933.1 独・ヒトラー政権発足

1935.2 天皇機関説事件始まる

1937.1 宇垣一成内閣流産


1939.8 独ソ不可侵条約締結

1940.2 斎藤隆夫「反軍演説」

1941.12 太平洋戦争始まる

1945.8.6 広島で初の核使用


1945.8.9 ソ連軍が対日参戦

1945.9 昭和天皇・マッカーサー初会見


1945.11 独・ニュルンベルク裁判開廷

1946.5 東京裁判開廷

1946.5 『思想の科学』創刊

1946.10 石川淳「焼跡のイエス」

1946.11 日本国憲法公布

1948.6 椎名麟三『永遠なる序章』

1952.4 「片面講和」で日本独立

1956.10-11 ハンガリー動乱

1960.5-6 60年安保闘争

1966.5 中・文化大革命始まる

1968.1 東大紛争始まる


1970.1 江藤淳「「ごっこ」の世界が終ったとき」


1970.11 三島由紀夫自決


1971 米・ロールズ『正義論』

1972.2 あさま山荘事件(連合赤軍事件)

1972.5 沖縄返還

1972.6 田中角栄『日本列島改造論』


1973.12 江藤淳ほか「フォニイ論争」

1975.11 昭和天皇、最後の靖国参拝

1976.9 河合隼雄『母性社会日本の病理』


1978.6 「大震法」制定
1979.5 村上春樹デビュー


1979.5 英・サッチャー政権発足

1979.10-11 自民党で四十日抗争
1983.9 浅田彰『構造と力』

1985.10 米英・アパルトヘイト抗議曲 “Sun City”

1989.11 独・ベルリンの壁崩壊

付論: 零れ落ちたもの
……いやー、自分で言うのもなんだけど、圧巻である。これを読んでる誰もが2025年を生きてきたわけだけど、ふつうここまで、逐一 “昭和のこと” とか思い出して暮らさんでしょ?(苦笑)
だいたいぼくだって生まれたのは1979年で、リアルタイムで覚えているのは最後のひとつ(冷戦終焉)だけなのだ。なんでこんなに “昭和” に囚われて生きてるのか、自分でもよくわからないが、まぁそんなことは別にいい。

これだけ詳細な(?)年表で、現在までつなごうとしても、どうしてもうまく嵌らない過去がある。「何々事件」のように輪郭を特定して、「何年の出来事」の形に加工するのが、難しい。
そうした過去はしばしば、同時代にはあまりにも自明視され、逆にいうと “あえて「事件」と呼ぶこと” 自体が抑圧されていたりして、表に出てくるまでに時間が経ってしまったりする。
たとえば、こうしたものだ。

長く軍政が続いた韓国で民主化宣言が出たのは1987年6月で、久しぶりの大統領選挙は同年12月である。もう、ほとんど昭和は終わってしまっている。
民主化後にようやく口を開くことが可能になった、従軍慰安婦の問題が日韓を揺るがしだすのは、1991年12月の訴訟提起からで、もちろん元号は「平成」に替わっていた。
その平成には、「歴史家として取り組まないことはあり得ない」かのように喧伝されたこの問題だが、はっきり言っていまや、誰も取り組んでいない。先のnoteで書いたとおり、過剰な “政治化” が学問の自由を掘り崩してしまったからだ。
日本側のキーパーソンだった上野千鶴子さんと、今年はお話しする機会を得たが、韓国で運動体が分裂して以降は、もうフェミニズムの内側にも関わろうとする研究者がいないくらいだと嘆いていた(文字数の関係で、活字には入っていない)。

さて問題は、あのころは散々、日本史の相対化とか、弱者のミクロな歴史とか、ナショナル・ヒストリーの枠組みを超えるとか言って、近日もフェミニズムとの “近さ” を誇示していた歴史学者のみなさんが、今年なんかしたかということだ。
ぶっちゃけ、なんもしてないんしょ? じゃあ、最初からエラソーにしなきゃいいのに(笑)。

というわけで、戦後批評の正嫡だけが、今年もちゃんと “フェミニスト批評” を企てて、汗をかいた令和の1年間だった。ぜひ、そこをしっかりと記憶して、来年こそおかしな批評論議や人文論議は終わりにしていきましょう。

(ヘッダーは1989年2月、昭和天皇の大喪の礼。朝日新聞より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年12月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






