年末に「戦後批評の正嫡」とふり返る、戦後80年/昭和100年

いよいよ戦後80年で、昭和100年でもあった2025年が終わり、ふたたび日本は歴史を忘れる眠りにつく。ひょっとすると永遠の眠りで、もう目覚めないこともあるかもしれない。

そうは言っても、「戦後批評の正嫡」になってしまった者としては、細々と “家業” みたいに81年目/101年目からも続けていくしかないのだが、最後にそんな今年をふり返っておこう。

「歴史を失くした10年間」のあとで|與那覇潤の論説Bistro
遠い将来に日本の歴史を書く人は、2015年から25年までのあいだを「歴史を失った10年間」と呼ぶだろう。そして、なぜそんなことが起きたのかを、不思議に感じると思う。 戦後70年の安倍談話の際は、検討する会議に入った人が「御用学者になった」とか、あの人を選ぶなんて「アベはヤバい」とか、準備中から色々言われた。そんな批判...

昭和時代は、1926年の12/25に始まり、89年の1/7に終わる。今年のnoteのうち、当該の時期の史実を参照したものを、その歩みに則して年表風に並べた(89年については、”冷戦の終焉” と重ねて記憶する人が多いので、今回は延ばしてある)。

大事なのは、歴史学者の(つまらない)授業みたいに、「何年に何がありました」と死んだ過去を扱うものではないことだ。むしろ激動の年だった2025年へと、直接つながる生きている歴史として、どの記事でも昭和史を “鑑” にしている。

それでも「年表は飽き飽きだなぁ」という人は、末尾に大切な付論をつけてある。目次からのジャンプでもいいから読んでくれたら、”歴史” のためにとても嬉しい。

“昭和の100年目” としての2025年

1928.10 ソ・五ヵ年計画開始

トランプは関税で「アメリカのスターリン」の夢を見るか?|與那覇潤の論説Bistro
今月に入ってから、まじめな政治経済のニュースはトランプの「相互関税」で持ち切りだ。相互もなにも、一方的に米国の側が関税を増額し、文句あんなら相互にしてみろやゴラァと言ってるだけだから、無茶苦茶である。 輸入品に課税しても、その分は販売時の価格に転嫁されるから、結局は米国内の消費者が負担する。そもそもインフレだから廉価...

1931.9 満州事変勃発

隠蔽された「8割削減」の真実: やはり、それは2度目の "満州事変" だった|與那覇潤の論説Bistro
今年の6月に岩本康志氏(東大経済学部教授)の刊行した『コロナ対策の政策評価』が、反響を広げている。2020年4月、当初は "専門家がエビデンス・ベースで" 発案したように報じられた「接触8割削減」の政策の、完全な無根拠ぶりが立証されているからだ。 西浦博氏の「接触8割削減」は計算違いだった : 池田信夫 blo...

1933.1 独・ヒトラー政権発足

ナチスを台頭させ、民主主義を滅ぼした「お気持ち司法」|與那覇潤の論説Bistro
今週発売の『文藝春秋』4月号にも、連載「「保守」と「リベラル」の教科書」が掲載です。なんとついに! 今回、歴史学者の著作が初登場(笑)。 東大西洋史の教授で、のち総長も務めた林健太郎が1963年に刊行した中公新書の古典『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』です。 林健太郎『ワイマル共和国』 | 與那覇 ...

1935.2 天皇機関説事件始まる

ある "学会乗っ取り" の背景: トランスジェンダリズムは「戦前の右翼」である|與那覇潤の論説Bistro
今月の頭に、トランスジェンダリズムがダミーサークル化する動きについて報告した。「トランス女性は100%の女性なので、生物学的な性差を考慮せず、女性専用の施設を当然に利用できる」とする主張は、本場だった英米でも公的に否定されてメッキが剥げ、近日はもう人気がない。 そのため「新しいフェミニズムを学びませんか?」のように、...

1937.1 宇垣一成内閣流産

ゼレンスキー大統領は独裁者なのか: 「戦時下」の日本史から考える|與那覇潤の論説Bistro
日本の国際政治学者による「叩き込み」も空しく、プーチンとの手打ちに前のめりなトランプがゼレンスキーを「独裁者」と呼び、西側諸国で批判を集めている。もともとSNSでも言っていたのだが、2/19には集会の場で公に、ゼレンスキーが「選挙の実施を拒否している」と非難した。 ゼレンスキーは2019年の大統領選(4月に決選投票...
昭和を忘れた日本人は、なぜここまで未熟なのか:『江藤淳と加藤典洋』序文①|與那覇潤の論説Bistro
いよいよ5/15に、新刊『江藤淳と加藤典洋』を出す。病気の後は対談を併録するなど、他の方に助けられて本を作ることが多いので、100%自分の文章のみの純粋な単著としては、2021年の『平成史』以来、4年ぶりになる。 前から書いてきたとおり、ぼくなりに戦後80年、昭和100年を受けとめた著作だ。そのメッセージが伝わるよう...

1939.8 独ソ不可侵条約締結

AfDは「ヒトラーとスターリンの同盟」を再来させるか|與那覇潤の論説Bistro
前回の続き。『文藝春秋』のコラムをドイツ政治史の古典で書いたのは、もちろん2月の同国の総選挙で、極右と呼ばれるAfD(ドイツのための選択肢)の躍進が予見されていたからである。 よく指摘されるが、2013年に反EU政党として結成され、近年はむしろ「親露派政党」として知られるAfDは、旧東ドイツの地域で圧倒的に強い。も...

1940.2 斎藤隆夫「反軍演説」

なぜ、悪口や不謹慎にも「寛容であるべき」なのか: 日中戦争からウクライナへ|與那覇潤の論説Bistro
戦後80年を考える著書として、先月『江藤淳と加藤典洋』を出したところ、「この本の著者はヒトラーで、帯を寄せた学者はスターリンだ」という、ものすごい悪口が届いてしまった。それも、著名な評論家からである。 ふつうに考えてイミフだけど、でも、そういった「悪口芸」も含めて言論の自由だから、昨今流行りの民事訴訟ダーも刑事告訴ダ...

1941.12 太平洋戦争始まる

ウクライナ戦争に踊った「大きな少国民」(『Wedge』連載開始です)|與那覇潤の論説Bistro
20日発売の『Wedge』8月号から、巻頭コラムの連載を担当させていただいています。ずばり、タイトルは「あの熱狂の果てに」。 今日に至る、さまざまな歴史上の熱狂をふり返り、「……でも、いま思うとあれは何だったの?」を省察するのがコンセプト。毎回、写真家の佐々木康さんによる撮りおろしの扉もつきます。 ひと:佐々...

1945.8.6 広島で初の核使用

”主権潔癖症” が招き寄せる第三次世界大戦の足音|與那覇潤の論説Bistro
周知のとおり、6/13にイスラエルがイランを空爆し、交戦状態に入った。ウクライナ戦争と同様に当初、トランプの米国は両者に停戦を求めたが奏功せず、参戦の可能性さえ報じられ始めている。 イスラエルとイラン、攻撃の応酬続く イランは死者220人超と発表 - BBCニュース イスラエルとイランの対立は激しさを増し、...
「見えない原爆投下」がいま、80年後の世界を揺るがしている。|與那覇潤の論説Bistro
昨日発売の『潮』9月号で、原武史先生と対談した。病気の前には原さんの団地論をめぐり『史論の復権』で、後には松本清張をテーマにゲンロンカフェで共演して以来、3度目の対話になる。 今回はともに5月に出た、私の『江藤淳と加藤典洋』と原さんの『日本政治思想史』の内容を交錯させながら、いま、江藤と加藤から戦後史をふり返る意味...

1945.8.9 ソ連軍が対日参戦

資料室: 戦争の「敗けが見えた」とき、日本人はいかに現実から逃避するのか|與那覇潤の論説Bistro
開戦から4年目に入るのを前にして、ウクライナ戦争の「終わり」がようやく見え始めた。ただしそれは、当初予想された形ではない。 ウクライナと、支援してきた「西側」とが、ロシアに敗北する。日本もまた武器輸出こそ行わなかったものの、ずっとウクライナの側に立ってきたのだから、そうした「敗戦」を受けとめることを強いられるだろう。...

1945.9 昭和天皇・マッカーサー初会見

国が亡び、父が消えたあと、人はどう生きるのか:『江藤淳と加藤典洋』序文③|與那覇潤の論説Bistro
戦後80年の今年4月、特使として米国との交渉に臨む赤沢大臣が、トランプ大統領との対面に感動して「格下も格下」と自称し、MAGAキャップ姿の写真も撮られて、物議をかもす騒ぎがあった。 「大臣は格下じゃない」立民・徳永エリ氏、「格下」発言に苦言 赤沢亮正氏は「理解して」 赤沢亮正経済再生担当相は21日の参院予算...
資料室: あなたはまだ「ほんとうのムラ社会」を知らないー渡辺清『砕かれた神』|與那覇潤の論説Bistro
日本人は空気に弱い、とよく言われる。とくに有識者を名乗る人ほど口にする。そこには「インテリの私は違うけどね、フフフ…」といった自己卓越化と見下しがあるのだけど、そうした人のほとんどはコロナ以来、率先して空気に追従し続けて、信用を失ってしまった。 そんな軽薄なことになるのも、空気を読ませる母体であるムラ社会のリアリテ...

1945.11 独・ニュルンベルク裁判開廷

他人を叩くための "正義" は、いかにしてニセモノになるのか|與那覇潤の論説Bistro
日本でも四季が消えたかのように、夏から冬への転換が急になっている。この夏の異常な暑さが尾を引き、9月末くらいまではふつうにTシャツで出歩いていたのが、嘘のようだ。 その猛暑の下、稀に見るアツい参院選も7月にはあったが、近年メディアを挙げて「うおおおお!」してたはずの気候変動や脱炭素化は、なんの争点にもならなかった(苦...

1946.5 東京裁判開廷

人生で大事なことを、日仏の「戦犯裁判」がぜんぶ教えてくれる。|與那覇潤の論説Bistro
奇抜なタイトルの作品が、有名な賞を獲ると話題を呼ぶが、これを超える例は今後もないだろう。 「プレオー8の夜明け」。内容はおろか、ジャンルさえわからないが、1970年の芥川賞受賞作。 8はユイットと読み、フランス語で「中庭第8房の夜明け」の趣旨だ。あの戦争が終わった後、仏領インドシナ(ベトナム)のサイゴンで戦犯容疑者...

1946.5 『思想の科学』創刊

令和の大学教授は "ルー大柴" になり、そしてみんな信じるのをやめた。|與那覇潤の論説Bistro
お休みしていた『表現者クライテリオン』での連載「在野の「知」を歩く」が、ようやく復活! 先週末に出た9月号で、在野研究者と言えばこの人! の荒木優太さんと対談しています。 荒木さんのYouTubeではすでに、2分強でのPR動画も公開! ぜひ、再生して下さいましたら。 在野で研究する人は昔からいましたが(ていうか...
資料室: 参政党の "限界" を予見した敗戦直後の思想家―鶴見俊輔『戦争が遺したもの』|與那覇潤の論説Bistro
先月刊行になった荒木優太さんとの対談で、彼の研究対象でもある鶴見俊輔(1922-2015)の話をした。なので紹介するnoteでも触れたけど、いまはもう「誰?」という読者も多いだろう。 1979年生まれのぼく自身、あまり鶴見の記憶はない。朝日新聞系の媒体に、大御所的な扱いでたまに出る「左の偉い人」として、たとえば加藤...

1946.10 石川淳「焼跡のイエス」

戦争に敗けた後で、歴史を書くことは野蛮なのか|與那覇潤の論説Bistro
今月発売の『文藝春秋』2月号にも、連載「「保守」と「リベラル」のための教科書」が掲載です。戦後80年の最初の月に寄せて、私が採り上げたのは石川淳の代表作「焼跡のイエス」(1946年)。 敗戦直後を代表するこの短編のあらましは、ずばり、まずは以下のリンクから読めるところまで読んでいただくとして、文字数の関係でどうしても...

1946.11 日本国憲法公布

加藤典洋による、もうひとつの「普通の国」論(6/4 Air Revolutionに出ます) |與那覇潤の論説Bistro
2019年だと思うが、『永続敗戦論』の白井聡さんと話していて、「加藤典洋は『敗戦後論』を、北岡伸一に読ませたくて書いたのでは」なる噂を聞いたことがある。もちろんあくまで憶測で、白井氏にも確かな証拠があるわけではなさそうだった。 とはいえ、まったく無根拠というわけじゃない。『群像』の1995年1月号が初出の「敗戦後論」...

1948.6 椎名麟三『永遠なる序章』

ウクライナ戦争は「もうひとつの戦後日本」だったのか|與那覇潤の論説Bistro
憲法記念日にはあらゆるメディアが、1日限定の「護憲・改憲」操業に入るわけだが、読むべき中身はほぼない。その理由もはっきりしている。 「平和憲法を守れ」という知識人は、平和憲法を守ろうと思っている読者が必ず読む『世界』という雑誌にみんな書いている。憲法を改正すべきだとする読売の雑誌とは棲み分けて。憲法を守りたいと思っ...

1952.4 「片面講和」で日本独立

ウクライナ戦争は「もうひとつの戦後日本」だったのか|與那覇潤の論説Bistro
憲法記念日にはあらゆるメディアが、1日限定の「護憲・改憲」操業に入るわけだが、読むべき中身はほぼない。その理由もはっきりしている。 「平和憲法を守れ」という知識人は、平和憲法を守ろうと思っている読者が必ず読む『世界』という雑誌にみんな書いている。憲法を改正すべきだとする読売の雑誌とは棲み分けて。憲法を守りたいと思っ...

1956.10-11 ハンガリー動乱

反共主義から「ネットの中傷」を考える: ファンだからこそアンチになるとき|與那覇潤の論説Bistro
2021年春のオープンレター騒動の頃からSNSを騒がせてきた、「誹謗中傷の季節」が終わりを迎えつつある。とはいえ、ネットの誹謗中傷がなくなったり、減ったりしたわけではない。 まともな批判に「中傷だ!」と言い張って責任逃れをする人や、自分の加害行為には頬かむりして、被害を受けた時だけ「中傷された!」と喧伝する人が増えす...

1960.5-6 60年安保闘争

「歴史を誤用」する歴史学者を信じるのはもうやめよう。|與那覇潤の論説Bistro
いよいよ8月で、昭和史と「歴史の教訓」の季節性インフレがピークとなる。そんな時こそ、メディア上のニセモノを警戒しなくてはならない。 アゴラで野口和彦氏(国際政治学)が、興味深い記事を書いていた。「歴史に学んで」なにかを決断するとき、人は過去の史実Aが現状Bと「似ているから」といったアナロジーを用いるが、そのAとBと...

1966.5 中・文化大革命始まる

「紅衛兵」の時代がふたたび来るのか?(ニッポン放送・私の正論に出ます)|與那覇潤の論説Bistro
ニッポン放送の名物コーナー「私の正論」の収録に行ってきました。前々回の記事で村松剛に触れたタイミングで、彼の旧著と同じタイトルの番組からお声がかかるとは、奇縁を感じます。 1976年刊。 個人的には史論や文芸評論に比べて、 村松の正論(政論)はイマイチですが… 昨年末刊の『正論』2月号に寄せた「斎藤知事再選と「推し選挙...

1968.1 東大紛争始まる

父にならず「持ちこたえる」ことが成熟である。:『江藤と加藤』イベント告知!|與那覇潤の論説Bistro
「アゴラ」の池田信夫さんが声をかけてくれて、『江藤淳と加藤典洋』をめぐり行った対談が、早速公開されている。その末尾で『成熟と喪失』を主著とする江藤よりも、ほんとうは加藤の方が「成熟」していたんじゃないか、という話をした(31:00頃から)。 與那覇 なにが成熟なのかって江藤淳が〔『成熟と喪失』を書いた〕67年の...
反知性主義の勝利: 50年後に日本を呑み込んだ「見えない全共闘」|與那覇潤の論説Bistro
むむむ、と唸るnoteを読んでしまった。出てくる学者の固有名詞には知ってる人もいるので、そうした個別の評価は留保するとして、なかなかグサッと来ることを言ってると思うのだ。 著者のヤマダヒフミ氏は、なんか最近、人文書に見える "学者と社会の関係" がおかしくなってないか? と問う。特に疑問なのは、こんなノリの本が増えた...

1970.1 江藤淳「「ごっこ」の世界が終ったとき」

エマニュエル・トッドと江藤淳|與那覇潤の論説Bistro
共同通信に依頼されて、昨年11月刊のエマニュエル・トッド『西洋の敗北』を書評しました。1月8日に配信されたので、そろそろ提携する各紙に載り始めるのではと思います。 米国と欧州は自滅した。 日本が強いられる...『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』エマニュエル・トッド 大野舞 | 単行本 - 文藝春秋 ...
ウクライナ浪漫派の耐えられない猥褻さ|與那覇潤の論説Bistro
今年に入って2回、お会いした相手から「江藤淳のこの文章、いまこそ大事ですよね」と切り出されて、驚いたことがある。ひとりは『朝日新聞』で対談した成田龍一先生で、もうひとりはいまアメリカで取材されている同紙の青山直篤記者だ。 文章とは、江藤の時評で最も有名な「「ごっこ」の世界が終ったとき」。初出は『諸君!』の1970年...

1970.11 三島由紀夫自決

なぜいまポリコレは挫折し、かつもっと「挫折させるべき」であるのか|與那覇潤の論説Bistro
今週末に発売の『表現者クライテリオン』3月号に、フェミニストの柴田英里さんとの対談「「議論しないフェミニズム」はどこへ向かうのか?」の後編が載っています! 前編の紹介はこちらから。 今回も盛り沢山ですが、特に注目なのは、柴田さんに美術家としての哲学を伺うなかで―― 柴田 アイデンティティを構築する上では排除の段...
書評: ついに描かれた戦争の "前後史" の決定版―前田啓介『戦中派』|與那覇潤の論説Bistro
先日、編集者さんとの打ちあわせで言われたのだが、ぼくは業界でも「筆が速い人」の方に入るらしい。本人の自画像とはだいぶ違うが、でも想定外の事件の翌朝に記事を出したりはするから、たぶんそうなんだと思う。 ちなみに別の編集者さんからは、「なかなか落ちない人」として有名ですと聞いたこともある。新刊の執筆を簡単にOKしない人...

1971 米・ロールズ『正義論』

「国家の人格分裂」を治癒するために、政治にこそ文学が必要である。|與那覇潤の論説Bistro
発売から約1か月で、『江藤淳と加藤典洋』の増刷が決まった。江藤や加藤の名前を知らない人も増えたいま、まさにみなさんに支えていただいての快挙で、改めてありがとうございます。 このnoteで初めて告知を出したときから、ぼくは一貫して、社会の分断を乗り越えるための本だと書いてきた。江藤と加藤のどちらも、80年前の敗戦の受...

1972.2 あさま山荘事件(連合赤軍事件)

なんどもやってくる鮫島伝次郎のために|與那覇潤の論説Bistro
このnoteで以前告知した、三鷹の書店UNITEでのイベントを、来聴した毎日新聞の清水有香記者がネットの記事にしてくださった(冒頭のみ無料)。短縮版が、8/25の夕刊紙面にも載るらしい。 24色のペン:参政党躍進の裏にある「歴史の消滅」 與那覇潤さんの憂い=清水有香 | 毎日新聞  歴史が消えた。  あの戦...

1972.5 沖縄返還

なぜ日本のメディアは、ウクライナにもガザにも「飽きる」のか|與那覇潤の論説Bistro
5月に戦後日本についての歴史書を出すが、その次は「令和日本」の最大の課題である、堕落した専門家が振り回す社会の分析を書籍にする予定だ。温厚なぼくとしては「他人の悪口」で本を売りたくないが、穏当にことを済ませる試みを妨害し、嘲笑ってくる人がいるのではやむを得ない。 なにせ、休戦すらなく今日も続くウクライナ戦争でも、もう...

1972.6 田中角栄『日本列島改造論』

田中角栄は「トランプ革命」の先駆者だったのか|與那覇潤の論説Bistro
一見むちゃくちゃなトランプの高関税政策を支える思想として、「改革保守」という語を耳にすることが増えている。Reformoconの訳語なのだが、4月にご一緒したTV番組でも先崎彰容さんが、時間をとって詳説していたのが印象的だった。 ただ日本語の「改革」には平成期に(まさに保守派によって)多用された、グローバルな市場で...
「福田赳夫」が、令和の日本に必要だ|與那覇潤の論説Bistro
前回は、浜崎洋介さんとの対談動画(前編)にかけて、高市政権は経済でも外交でも、「安倍政権」をコピーすべきではない(=しようと思っても、その条件がなくできない)という話をした。 ……と書くと、安倍ファンだから高市さん大好き、な人はみんな怒って、後編(リンクは末尾に)のコメント欄は「與那覇は経済に無知!」の嵐なわけだが...

1973.12 江藤淳ほか「フォニイ論争」

資料室: フォニイ(贋物)な著作はいかにして書かれるか?―小谷野敦氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
前回の記事でご報告したとおり、先週いよいよ『江藤淳と加藤典洋』が発売になった。ありがたいことに、版元違いのデイリー新潮も5/17に、タイアップでぼくの寄稿を載せてくれている。 トランプの爆走を生んだ「歴史の変化」が見えない人びと 「ニセモノ」の解説に騙されないために、いまこそ「江藤淳」を読み直そう(與那覇潤)(...

1975.11 昭和天皇、最後の靖国参拝

なぜ靖国問題はここまでこじれたのか|與那覇潤の論説Bistro
もうすぐ80年目の「8.15」だが、悼む日を静かに迎えるには、あまりに政治の情勢が不穏だ。歴史を語るコメントを石破茂氏が出すのかも、彼がいつまで首相なのかもわからない。 「やり遂げるべきだ」立民・野田代表が石破首相の戦後80年見解表明を後押し 衆院予算委 立憲民主党の野田佳彦代表は4日の衆院予算委員会で、石...

1976.9 河合隼雄『母性社会日本の病理』

令和という幼年期の終り:「母胎回帰」だったコロナ・ウクライナ劇場|與那覇潤の論説Bistro
浜崎洋介さんとの文藝春秋PLUSは、おかげで多くの方がご視聴くださったようだ。とはいえ、ウクライナを応援することを「ウクライナに耳あたりのよいことを言うこと」と取り違えてきた人には、なかなか受け入れがたい内容らしい。 こうした反応が典型で、そもそも ”you are not winning” と言い出したのは私ではな...
戦後の日本は、いかにして「母性社会」となったか:『江藤淳と加藤典洋』序文②|與那覇潤の論説Bistro
エコーチェンバーという用語がある。同じ意見の人だけで集まり、「だよね~、だよね~」「当然でしょ!」と思い込みを増幅させあう様子を、こだま(エコー)の響く部屋に喩えたものだ。 男も女も、どの国の人でもエコーチェンバーにはハマりうるのだが、不思議なことに、なぜか人はそれを性別や国の風土といった「自然っぽいもの」の表われだ...

1978.6 「大震法」制定

最初に "専門禍" を起こした地震学で、ようやく反省が始まっている|與那覇潤の論説Bistro
昨年8月8日の日向灘地震を覚えているだろうか。宮崎県で震度6弱を記録し、久々の緊急地震速報が響き渡った。長崎の原爆忌の前日のことだ。 それ以上に社会を緊張させたのは、2019年に運用を開始した「南海トラフ地震臨時情報」が初めて出されたことだ。お盆前のシーズンだったのに、旅行のキャンセルや海水浴場の閉鎖が相次いだ。"自...

1979.5 村上春樹デビュー

とりあえずビールをやめて、村上春樹は世界的な作家になった。|與那覇潤の論説Bistro
平成の後半、村上春樹さんが「ノーベル文学賞を獲るかも?」と報じられ出したとき、一定の年齢以上の人はびっくりしたと思う。1980年代から人気は絶大でも、イマドキのファッション(とSEX)の描写で売れてるだけのチャラい作家、みたいな偏見が、ずっと強かったからだ。 「両村上」と呼ばれ、始終ライバルのように比較されたのは村上...
『庄司薫と村上春樹』: なぜぼくは歴史学をやめて小説とか読んでるのか|與那覇潤の論説Bistro
5月以来、毎日のように『江藤淳と加藤典洋』の宣伝ばかり考えて送る夏なのだが、ネットで嬉しい感想を見つけてしまった。7/22の投稿で、書いてくれたのは画家ないし絵師の人らしい。 嬉しいと言っても、別に「うおおおおこれが戦後批評の正嫡! ひとり勝ち! 著者には批評の覇王をめざしてほしいッ!」みたく持ち上げてるわけじゃない...

1979.5 英・サッチャー政権発足

新自由主義という "幻" : サッチャー政権の本当の功罪|與那覇潤の論説Bistro
年内最後の『Wedge』連載「あの熱狂の果てに」で、いまなお続く "初の女性首相" をめぐる熱狂について考えている。日本と対比するのは、もちろんイギリスの有名なあの人だ。 高市早苗首相がかつて "目標" に掲げたこともあって、日本はおろか海外のメディアまでサッチャーと比較する昨今だが、そもそもみんな勘違いをし過ぎだ。...

1979.10-11 自民党で四十日抗争

公明党の連立離脱をどう見るか: プレイバックする1970年代|與那覇潤の論説Bistro
ご存じのとおり10/10、公明党の斉藤鉄夫代表は自民党の高市早苗・新総裁との会談後に「連立離脱」を発表した。 興味深いのは、外野の多くが高市氏と公明党とで溝になると見ていた、靖国神社参拝などのいわゆる "右傾化" ではなく、「政治とカネへの対策」が離脱の決定打になったことだ。 【速報】公明党が自民党との連立離...

1983.9 浅田彰『構造と力』

フジテレビ・中居くん問題を生んだ「終わらない80年代」|與那覇潤の論説Bistro
連日、メディアは中居正広氏のスキャンダルに端を発する「フジテレビ問題」で大荒れだ。1月27日の会見では社長・会長の辞任が発表された。 フジテレビ 港社長と嘉納会長が辞任 社長後任に清水賢治氏 | NHK 【NHK】中居正広さんと女性とのトラブルに社員が関与していたなどと週刊誌で報じられたことをめぐり、フジテ...

1985.10 米英・アパルトヘイト抗議曲 “Sun City”

戦後80年を「キャンセルをやめる年」に|與那覇潤の論説Bistro
あけましておめでとうございます。去年の師走に「2020年代の前半」が終わるという観点で、私たちの生きてきた時代を振り返るインタビューを出していただいたのですが、いよいよ2020年代も後半戦です。 世界は無根拠、だけど怖くない 與那覇潤氏インタビュー - 教育図書 アメリカでトランプ氏が再び大統領に選ばれ、日...

1989.11 独・ベルリンの壁崩壊

冷戦後の「自由のインフレ」が、デフレに転じつつある(BSフジに出ました)|與那覇潤の論説Bistro
昨秋に亡くなった際にも書いたけど、ポスト冷戦期に出た西尾幹二さんの『全体主義の呪い』(1993年)という本が好きである。西尾先生本人を好きかというと、色々あって微妙なんだけど、まぁそれはどうでもいい。 ベルリンの壁が崩れ、「自由」を手にしたばかりの東欧諸国の旅行記だが、当の西尾さんがニーチェの研究者として、そもそも自...

付論: 零れ落ちたもの

……いやー、自分で言うのもなんだけど、圧巻である。これを読んでる誰もが2025年を生きてきたわけだけど、ふつうここまで、逐一 “昭和のこと” とか思い出して暮らさんでしょ?(苦笑)

だいたいぼくだって生まれたのは1979年で、リアルタイムで覚えているのは最後のひとつ(冷戦終焉)だけなのだ。なんでこんなに “昭和” に囚われて生きてるのか、自分でもよくわからないが、まぁそんなことは別にいい。

二人の巨人と辿る戦後80年間の魂の遍歴 『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』與那覇潤 | 単行本 - 文藝春秋
二人の巨人と辿る戦後80年間の魂の遍歴 小林秀雄賞受賞の著者が放つ渾身の文芸批評。『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』『平成史』に続く近現代史三部作完結編。『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』與那覇潤

これだけ詳細な(?)年表で、現在までつなごうとしても、どうしてもうまく嵌らない過去がある。「何々事件」のように輪郭を特定して、「何年の出来事」の形に加工するのが、難しい。

そうした過去はしばしば、同時代にはあまりにも自明視され、逆にいうと “あえて「事件」と呼ぶこと” 自体が抑圧されていたりして、表に出てくるまでに時間が経ってしまったりする。

たとえば、こうしたものだ。

学者が見捨てた「慰安婦」問題: 研究の "政治化" の果てに(『江藤と加藤』シラス配信!)|與那覇潤の論説Bistro
 今思うとお互いに強制連行された仲間だよ。ぼくら兵隊と彼女たちは。ぼくは日本軍はある意味で敵だと思っていた。いやおうなしに強制連行されて非人間的に扱われたんだからね。だから、寝る寝ないを別にして、もっとあの人たちと仲よくすればよかったなあと思う。 拙著『平成史』447頁より重引 (強調を付与) これが1997年、発足...

長く軍政が続いた韓国で民主化宣言が出たのは1987年6月で、久しぶりの大統領選挙は同年12月である。もう、ほとんど昭和は終わってしまっている。

民主化後にようやく口を開くことが可能になった、従軍慰安婦の問題が日韓を揺るがしだすのは、1991年12月の訴訟提起からで、もちろん元号は「平成」に替わっていた。

「慰安婦」訴訟の経緯 慰安婦問題とアジア女性基金
 1991年を皮切りに、アジア女性基金が償い事業を行った韓国、フィリピン、台湾の元慰安婦が原告となった訴訟が次々と始まりました。いずれも東京高裁、最高裁へと進みましたが、最終的に補償の請求は退けられました。

その平成には、「歴史家として取り組まないことはあり得ない」かのように喧伝されたこの問題だが、はっきり言っていまや、誰も取り組んでいない先のnoteで書いたとおり、過剰な “政治化” が学問の自由を掘り崩してしまったからだ。

日本側のキーパーソンだった上野千鶴子さんと、今年はお話しする機会を得たが、韓国で運動体が分裂して以降は、もうフェミニズムの内側にも関わろうとする研究者がいないくらいだと嘆いていた(文字数の関係で、活字には入っていない)。

同じ本を「違って読める」ときにだけ、その人は自由である|與那覇潤の論説Bistro
発売中の『文學界』7月号で、上野千鶴子さんと対談した。タイトルは、ずばり「江藤淳、加藤典洋、そしてフェミニズム」。ネットでも2つ、PR用の抜粋が出ている(もう1つのリンクは後で)。 「歴史なき時代における『成熟』とは何か?」 與那覇潤と上野千鶴子の白熱対論 | 文春オンライン 戦後を代表する文芸評論家、江藤...

さて問題は、あのころは散々、日本史の相対化とか、弱者のミクロな歴史とか、ナショナル・ヒストリーの枠組みを超えるとか言って、近日もフェミニズムとの “近さ” を誇示していた歴史学者のみなさんが、今年なんかしたかということだ。

ぶっちゃけ、なんもしてないんしょ? じゃあ、最初からエラソーにしなきゃいいのに(笑)。

オープンレター秘録③ 一覧・史料批判のできない歴史学者たち|與那覇潤の論説Bistro
学問的な歴史に興味を持ったことがあれば、「史料批判」という用語を一度は耳にしているだろう。しかしその意味を正しく知っている人は、実は(日本の)歴史学者も含めてほとんどいない。 史料批判とは、ざっくり言えば「書かれた文言を正確に把握する一方で、その内容を信じてよいのかを、『書かれていないこと』も含めて検証する」営みだ。...

というわけで、戦後批評の正嫡だけが、今年もちゃんと “フェミニスト批評” を企てて、汗をかいた令和の1年間だった。ぜひ、そこをしっかりと記憶して、来年こそおかしな批評論議人文論議終わりにしていきましょう。

ホンモノの "フェミニスト批評" だけが、ルッキズムを乗り越える|與那覇潤の論説Bistro
読まれた方は気づいたと思うが、5月に出した『江藤淳と加藤典洋』は「実を言うと、わたしなりのフェミニスト批評の企て」なのだった(317頁)。それについては、上野千鶴子さんとの対談でもダメを押している。 與那覇 批評家を自称する人も含めて、過去との接し方が悪い意味で「検索エンジン化」していると思うのです。江藤淳で言え...

(ヘッダーは1989年2月、昭和天皇の大喪の礼。朝日新聞より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年12月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。