アメリカのベネズエラ侵攻、モンロー・ドクトリンの復権、日本の苦境

アメリカのベネズエラ侵攻は、衝撃的な事件ではあるが、トランプ大統領が昨年末から、やる、やる、と言っていたことなので、その点では予測された通りであった。

会見するトランプ大統領と同政権の閣僚たち ホワイトハウスXより

アメリカという超大国が、明白な国際法違反の武力行使をするのか、と言えば、そういうことだ。確かにトランプ大統領のようなあからさまな性格は珍しい。しかし、国際政治学者の方々が、アメリカが「リベラル国際秩序」なるものの擁護者になった主張する第二次世界大戦後だけを見ても、グアテマラ(1954年)、ドミニカ共和国(1965年)、チリ(1973年)、パナマ(1989年)、ハイチ(1994年)と、中南米におけるアメリカの軍事介入を通じた政権転覆の例は、多々ある。未遂事件などはさらに多々あり、キューバ危機のきっかけは、1961年の政権転覆劇の失敗だった。

冷戦終焉後、「自由民主主義の勝利」を通じた「グローバル化」の推進者として、アメリカは自己規定をするようになった。それによってアメリカとその「裏庭」である中南米との関係は、希薄なものになった。

しかしトランプ政権は、昨年12月に公刊された『国家安全保障戦略(NSS)』において、この「グローバル化」の流れに乗った政策は、間違いだった、と総括している。なぜならアメリカが他の地域に気を取られている間に、中国などが、中南米で経済権益を確保し、影響力を強めてしまったからだ。

そこで『NSS』は、「モンロー・ドクトリン」の復活を宣言する。「モンロー・ドクトリンのトランプ・コロラリー(補論)」である。

『NSS』は、アメリカは西半球世界において卓越性を取り戻し、移民を封じ込めながら、経済権益は確保し、(中国などの)域外勢力の影響力を排除する、と宣言している。ベネズエラは、原油埋蔵量世界一でありながら、中国、さらにはロシアと経済的・政治的結びつきを強めた反米国だ。今回の軍事作戦は、『NSS』で宣言した政策姿勢を、実際に実行したものとしての性格が強い。

このあたりの話は、『TheLetter』という配信システムで数回にわたって書いた(末尾URL参照)。モンロー・ドクトリンとトランプ政権の話は、『アゴラ』では、2017年の第一期トランプ政権誕生時の連載執筆開始時期から、ふれてきている。昨年7月に公刊した拙著でも、「トランプの新しい19世紀」の話は、詳しく体系的に論じた。

モンロー・ドクトリンについては、日本の学校教科書で「孤立主義」と教えられていて、杓子定規にそれだけを覚えている方が非常に多い。日本記者クラブで、トランプ政権とモンロー・ドクトリン(及びその他の19世紀アメリカの思想「アメリカン・システム」「大陸主義」「明白な運命論」)について報告させていただいたときも、そのような反応があった。

しかしモンロー・ドクトリンを「孤立主義」と描写するのは、間違いである。第一次世界大戦後に、国際連盟の設立をアメリカのウッドロー・ウィルソン大統領が主導しながら、結局は議会の反対でアメリカが連盟に参加しないことになった後、ヨーロッパ人たちがアメリカを揶揄したときに、そのような概念構成をした。しかしそれは域外のヨーロッパ人の偏見による蔑視の呼び名である。

19世紀を通じて、そして1941年の真珠湾攻撃の時点に至るまで、アメリカ人に信奉されていた本来のモンロー・ドクトリンとは、神の恩寵を受けた共和主義政体が形成する「新世界」の独立を、汚れた欧州の「旧世界」の悪影響から遮断するための「錯綜関係回避」原則にもとづいた外交原則であった。

確かに、西半球世界と欧州との関係では、「錯綜関係」、つまり勢力均衡の権力闘争の国際政治に巻き込まれることを避ける外交原則として働く。しかし、ひとたび中南米諸国に外的脅威が訪れれば、そして内的混乱が訪れれば、地域の盟主としてのアメリカ合衆国が、介入的行動をとることは、折り込み済である。

1945年の国連憲章に「集団的自衛権」の条項を挿入させたのは、アメリカ及び中南米諸国であったが、それは国連憲章よりも先に、地域の集団安全保障の仕組みを作っていたからだ。それは後のNATOと同じように、あるいはそれ以上に色濃く、アメリカが盟主となって運営される集団的自衛権=地域的集団安全保障の仕組みであった。

アメリカと他の中南米諸国との間の力の隔絶が大きく、同時にアメリカにとっては自国が属する地域の事柄で国益がかかっているとみなされる場合が多いがゆえに、アメリカは、外敵勢力が中南米諸国で影響力を強めた時だけでなく(たとえば1962年キューバ・ミサイル危機)、中南米諸国が地域情勢に悪影響を与える内的混乱を見せたときにも(上述の一連の軍事介入)、軍事介入をためらわない。反米的な政権の除去も、同じだ。これは19世紀から続く伝統だ。

しかし、ということは、20世紀に確立された現代国際法とは、特に1945年以降の国連憲章体制とは、矛盾する。今回のベネズエラ攻撃は、国連憲章2条4項の武力行使の一般的禁止の原則の明白な違反である。その他、主権(2条1項)、国内管轄権不干渉(2条7項)の違反でもあり、現代国際法秩序の重要原則から、完全に逸脱した行動であった。

しかしモンロー・ドクトリンの復権を期すトランプ大統領には、「圏域」思想を重んじる「大陸系」地政学の伝統にそった考え方が根深い。それは、現代国際法秩序を軽視する、ということでもある。(「大陸系」地政学理論の伝統と「英米系」地政学理論の伝統の相違そして確執については、上述の書に加えて、拙著『戦争の地政学』をご覧いただきたい。)

トランプ大統領の国際法違反を日本政府は非難しないのか、二重基準ではないのか、という指摘が、渦巻いている。全く正当な指摘だ。だが、あえて指摘すれば、これは今回の事件だけの話ではない。もっと大きな世界観のところで、トランプ大統領の「モンロー・ドクトリン」を標榜する「圏域」(通俗的には「勢力圏」と言い換えても良い)重視の姿勢は、現代国際法秩序と矛盾しているところがある。

直近では、民族自決の原則が標準化している現代世界において、今回のベネズエラ侵攻のような軍事介入が、奏功するのか、という問いもある。

トランプ大統領は、自国の意のままになる政権への移行が確証されるまでは、アメリカは何度でも軍事行動を起こす、と言っている。だがそのようなやり方で、2600万人の人口を持つベネズエラを安定的に統治できる政権を樹立できるかは、怪しい。

アメリカは、軍事占領統治する準備まではしていない。現在のベネズエラの人口規模は、2001年当時のアフガニスタンや、2003年当時のイラクよりも、大きい。完全な占領統治には30万人といった規模の兵力の投入が必要になるはずだが、それは今のアメリカには無理だろう。もしベネズエラの政権が反攻したら、空爆や、特殊部隊による拘束作戦を繰り返したりするだけだ。その過程で、万が一、一人でも殉職者が出たら、トランプ政権の命運にかかわる。ベネズエラとアメリカは、非対称関係にあるので、今回の軍事侵攻でも40人ほどの犠牲者が出たとされるが、ベネズエラはまだ反抗可能だろう。しかしアメリカは、一人でも犠牲者が出たら、アメリカ国内での反発が高まり、トランプ政権は苦境に陥る。

中南米諸国側から見た時のモンロー・ドクトリンの伝統とは、アメリカの帝国主義に対する根深い反感だ。中南米諸国は、繰り返しアメリカに軍事介入され、そして反米感情を高める。この伝統は、マドゥロ氏のような時の独裁者が、どれくらい民衆から支持されているか否かという事情をこえて、超歴史的に存在する。

日本は、ベネズエラ情勢に関して、何も言っていない空虚な内容の声明だけを出した。これが日本にとっては、とりうるぎりぎりの方策だろう。アメリカの行動が、いかに明白な国際法違反行為であるとしても、中南米政策をめぐりアメリカと対決をすることなど、日本にはできない。

しかしあまりにもアメリカに従属的になったら、アメリカとその同盟国以外の諸国からは、完全に信頼を失う。あるいはアメリカ国内やその同盟諸国内でも、日本を軽蔑する機運が広がるだろう。それは日本の長期的な国益に反する。

綱渡りが迫られる厄介な時代になったものだが、それが現実だ。逃げることはできない。高市首相が、そして綱渡り外交に秀でたタイプの首相ではないように見えるのは、大きな懸念点である。

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