「癒されるごはん」とかいう胡散臭いワード

Denis Novikov/iStock

「15分で癒されるごはん」。

最初に見たとき、正直うさんくさいと思った。癒し? ごはんで? 15分で? なんかスピリチュアルな匂いがする。怪しい。でも読んでみたら、意外とまともだった(失礼な言い方だけど)。

15分でできる!癒されごはん」(サニー早苗 著)清流出版

要はこういうことらしい。癒される食事=手の込んだ豪華な料理、という思い込みを捨てろ、と。私はずっと、丁寧に出汁をとって、野菜を飾り切りして、何品も並べて、それが「心が満たされる食事」だと思ってた。違った。

ポイントは3つ。「とらえ方」「準備」「食べ方」。

まず、とらえ方。シンプルなごはんでいい。一汁一菜でいい。これを「手抜き」と思うか「これでいい」と思えるか。ここで分かれる。

……いや待て。「これでいい」と思えって、簡単に言うけどさ。思えないから苦しんでるんだよ、こっちは。SNS開けば映える料理写真がずらーっと並んでて、テレビつければ「今日の献立は~」とか言ってて、義母は「○○ちゃん(夫)はこういうの好きよね」とか言ってくる。「シンプルでいい」なんて、どの口が言えるのか。

……取り乱した。話を戻す。

次に、準備。これは納得した。作り置きと乾物を使えば、15分で形になる。味噌汁なんて、乾燥わかめと豆腐入れて味噌溶くだけ。3分。あとは焼き魚でも納豆でも冷奴でも並べればいい。

「え、それだけ?」って思うでしょう。それだけ。

昔の日本人、毎日そうやって食べてたわけで。いつから私たちは「毎食違うメニューを出さなきゃ」と思い込むようになったのか。犯人は誰だ。レシピサイトか。料理番組か。Instagram か。(全部か)

最後に、食べ方。これが盲点だった。

どんなにいいもの作っても、スマホ見ながら、立ったまま、5分で掻き込んだら意味がない。逆に、シンプルなごはんでも、座って、味わって食べれば、それが「癒し」になる。

一人暮らしの頃、私は立ったまま夕飯を食べてた。シンクの前で。座るのすら面倒で。あの頃、確実に体も心も荒んでた。食事と精神状態、たぶん直結してる。データは知らないけど、体感としてそう。

だから、いきなり全部変えなくていい。今日は「座って食べる」。明日は「テレビ消して食べる」。それだけで違う。

15分で癒されるごはん。最初は胡散臭いと思ったけど、要は「シンプルでいいと許可する」「準備を楽にする」「ちゃんと味わう」。この3つ。書いてみると当たり前のことだ。でも、当たり前ができてなかった。

昨日、具沢山の味噌汁を作った。準備は12分くらい。座って、テレビ消して、ゆっくり食べた。

「あ、これでよかったんだ」

と、思えた。思えた気がした。たぶんこれが「癒し」なんだろう。知らんけど。

※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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