
高市政権が発足した直後の昨年10/21に、政治学者の牧原出氏がインタビューでこう言っていた。

野党にとってはチャンスでもある。立民が自民に取って代わるような中道政党に変貌すれば、政権交代が可能になるかもしれない。これまで立民は共産党に頼っていたが、……共産の組織票に頼って左の政策に縛られなくてもよくなった。
国民民主、公明と連携する選択肢に現実味が出てきた点は、中道路線を探るうえで非常に大きいことだ。
強調と改行を追加
それは「社公民」と呼ぶんですよ! と、目にしたときから思ったものだが、海外の通信社の取材なので、あえて戦後日本にローカルな語彙は使わずに語ったということかもしれない。
で、ご存じのとおり高市首相が「なんちゃって解散」を決めたことで、立憲民主党と公明党の合併・新党が噂され、税制の約束を食い逃げされた国民民主党も、自維政権と距離を置き始めた。


戦後昭和の構図になぞらえると、立憲は社会党、国民は民社党の立ち位置だから、これは1970年代に「社会・公明・民社」の提携で非自民政権をめざした時代の再来である。
昨夏の対談で河野有理さんに教わったのだが、当時保守の側でこれを真剣に受け止めたのは、読売の政治記者で中曽根康弘の参謀も務める渡邉恒雄氏だった。田中角栄内閣の末期(1974年11月)に出た『保革連立政権論』には、こうある。

「保守」と「革新」との間の決定的対立は、日米安全保障条約と自衛隊の処理の問題に帰着する。自衛隊については、「革新政党」の多くが「即時解体」できるとは思っていない。
(中 略)
「革新」の側に、財源のない政策主張を封ずる道は、唯ひとつしかない。政権の一端をになわせ、政策を実施するための財源について共同責任を持たせることである。つまり「保革連立政権」を作ることである。
渡辺恒雄著、ダイヤモンド社
146・152頁
1974年7月の参院選で、田中自民党は金権選挙に走るも敗北し、当初は過半数を失った(追加公認で回復)。ナベツネ氏は革新のみでの政権奪取は信じなかったが、自民党ハト派と野党の現実派の「保革連立」なら、将来あり得る情勢と見た。
むろん自民党のタカ派は、面白くない。でも、なら党を割って、自民より右の第二保守党を作れば、有権者の選択肢が広がる。中川一郎や石原慎太郎らの「青嵐会」に、渡邉はそう促している。
保守二党化は一時的な政局不安定を招くだろう。しかし「政治不信の増大」という犠牲による政局安定よりは、一時的な政局不安定による国民の政治不信の解消の方が望ましい。政府党内にあって “倒閣” を言うよりは、保守新党を作って国民に信を問う方が堂々としているではないか。
上記書、176頁

1974年、国民集会での石原慎太郎
読売新聞より
で、ご存じのとおり、元自民党のリベンジ議員をどんどん受け入れる参政党と、往年の安倍晋三ファンが集う日本保守党が、いま政権より右にある。ざっと50年くらい遅れて、ナベツネ氏の予想に現実が追いつきつつある。
「じゃあなんで半世紀も遅れたんすか?」ってなるわけだけど、その理由は例によって、”なんでも書いてある本” にぜんぶ載っている(笑)。いま改めて、箇条書きでまとめると——

① 実際に自民党を割るのは、右派ではなくリベラル派の「新自由クラブ」(1976年)になり、野党の選択肢の方が混乱した。
② 社会党で最大の現実派だった江田三郎派が機能せず、「社会民主連合」(1978年)も小党に留まり、やはり野党のみが多党化した。
③ 平成初頭の非自民政権下の対立から、公明・民社が合流した「新進党」(1994年)に社会党は加わらず、むしろ自民党と連立した。
④ 新進党が、「政教分離違反」とする自民党側の攻撃への対処に失敗し、解党後に復活した公明党(1998年)は、やはり自民党と連立した。
それぞれ、270・365・114・199頁
立憲の野田佳彦・公明の斉藤鉄夫の2人の代表は、新進党時代の同僚である。ちなみに高市早苗首相も、当時は新進党だ(苦笑)。なんでここまで、一度は合流した人たちが、分かれたのか。
途中から有料になるが、高市政権が発足した際の寄稿で、ぼくはそれに触れている。要は「社会党と組んだ自民党」を叩くために、新進党はいまの日本保守党のように振り切れて、その鉄砲玉になったのが高市氏だった。
アメリカ帰りの若くモダンな女性として政界入りした高市氏が、「超保守派の女傑」として名を上げだすのは、まさにこの新進党時代。
戦後50年だった1995年3月16日の衆院外務委員会では、駐米大使が戦争の反省を語り継ぐ必要を説いた穏当な会見まで槍玉にあげ、国会での不戦決議に反対した。
「日本国民全体の反省があると〔大使は〕決めつけておられるのですけれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」
発言はリンク先の「121」参照
このnoteの執筆時には、「立憲・公明」の新党がほんとうにできるかは不明だ。ただし自民党内にも諮らない高市首相の “勇み足” での解散が、戦後史上で実らずにきた未発の可能性を意外に呼び覚ます可能性は、低くない。
言い換えると、それはなぜ、なんだかんだで「高市・維新」のグローバリズム保守は連携できるのに、中道ないしリベラル派はバラバラのまま、ここまで “個別撃破” され続けてきたのか。その責任を問い返す契機でもある。
収録は1/8で、まだ「解散報道」の前だったため、目下の合従連衡を直接扱うわけではないが、まさにその議論を昨年末に続き、宇野常寛さんとガチでしている動画が、昨日公開になった。

以下から再生できるので、ぜひ見てほしい。そして、昨晩の報道からわずか半日でここまで書ける「戦後批評の正嫡」が、ぜひ今年は中道の結集・リベラルの象徴・政局の解説の役回りを、担ってゆきたいものである(笑)。
令和の日本の、よりよい民主主義のために。
追記(1/15・16:45)
正午に記事を公開してから4時間後、立憲・公明の衆院議員のみでの新党発足が合意に達したと報じられた。党名の候補は「中道改革」が軸で、結成の仕方は新進党に近い。
動画のサブスク限定版では、昭和・平成期の中道支持の基盤について議論した。いま必見と思う。
参考記事:


(ヘッダーは1978年5月、中道4党での協力を約す民社・佐々木良作、新自ク・河野洋平、公明・竹入義勝、社民連・田英夫。時事通信より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年1月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






