カナダ・カーニー首相の「力なき者たちのパワー」

スイスで開催された「世界経済フォーラム」(WEF)の年次総会(通称ダボス会議)は23日、5日間の日程を終えて閉幕した。トランプ米大統領がダボス入りしたこともあって、トランプ氏の演説とその言動に注目が集まったが、トランプ大統領の世界秩序を厳しく糾弾したカナダのマーク・カーニー首相の演説(約17分間)が「今回のダボス会議では最高のスピーチ」と称賛されている。

マーク・カーニー首相とトランプ大統領 同首相Xより

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▲カナダのカーニー首相、ウィキぺディア

前日のコラムで紹介したが、カーニー首相は、「米国主導のグローバル・ガバナンス体制は現在、ルールに基づく秩序の衰退と大国間の競争を特徴とする亀裂に直面している」と主張する。メッセージの核心は、「米国抜きで、必要であれば米国に対抗してでも、我々はやっていかなければならない」というものだ。超大国が自国の利益を追求する「弱肉強食の法則」を拒否し、「力の弱い者の力は誠実さから始まる」と述べた。

「力の弱い者の力は誠実さから始まる」というフレーズは、チェコの元大統領で劇作家ヴァ―ツラフ・ハベル(1936~2011年)が1978年に執筆したエッセイ「力なき者たちのパワー」(The Power of the Powerless)からの引用だ。カーニー首相はそのエッセイの中で説かれた「嘘の中で生きる(living within a lie)」という概念を用い、機能不全に陥った既存の国際秩序に盲従し続けることを批判した。

カーニー氏は、ハベルが共産主義体制下の「青果店の店主」の例えを通じて説いた抵抗の精神を引き合いに出し、「嘘の中で生きる」ことを拒否し、「真実の中に生きる」ことに力があると語る。そしてカナダを含む「中堅国」が、大国の圧力に屈せず自立した行動をとるべきだと訴える。

ハベルが強調した「力なき者たちのパワー」とは、政治的な力を持たない個人が、自らの誠実さを貫くことで、最も強力な変革の力となるという思想だ。カーニー首相にとって、ハベルの思想は単なる「過去の独裁への抵抗」という意味合いだけではなく、現在の複雑な国際情勢や気候変動、経済的格差といった課題に対し、「既存のシステムが正常であるという嘘」を直視し、一人ひとりが責任を持って「真実」に基づいた行動をとるべきだというメッセージだ。

チェコの元大統領ヴァ―ツラフ・ハベル氏 1988年8月 プラハのハベル氏宅で撮影

カーニー首相の政治信条は、自ら提唱する「価値観に基づくリアリズム(Values-basedRealism)」に集約されるという。元中央銀行総裁のカーニー氏はダボス会議で、「古い秩序(ルールに基づく国際秩序)は二度と戻ってこない」と断言し、大国(米中など)が経済力を武器に圧力をかける現状を「破断(rupture)」と捉え、カナダを含む中堅国が連帯して自律性を守るべきだというのだ。

ドイツ民間放送ニュース専門局NTVのトーマス・シュモール記者は22日、カーニー首相のスピーチを「時代の転換点におけるカーニー氏の演説、一人の政治家が苦い真実を語る勇気を見せた」という見出しで大きく報道していた。

トランプ大統領の欧州批判を苦々しく感じながら、正面からトランプ氏に反論できない欧州の政治家を目撃してきたドイツのジャーナリストにとって、カナダのカーニー首相のスピーチは「よく言ってくれた」という思いがあるのかもしれない。同時に、「たとえアメリカと対立することになったとしても、アメリカ抜きでやっていかなければならない」というカーニー首相のメッセージに対し、「ヨーロッパの誰もがまだこのことを理解しているわけではない」と懸念を吐露している。

なお、トランプ氏は22日、SNS(Truth Social)上で「平和評議会はカナダへの招待を撤回する」と一方的に表明している。そしてカーニー首相の態度を「恩知らずだ」と非難した。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年1月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。