
近年、「不動産の所有者を把握する制度」が段階的に整備されている。2024年4月の相続登記の義務化、2026年4月に導入予定の住所・氏名変更登記の義務化といった制度改正がその代表例だ。同時並行で、法務局が保有する登記情報の正確化や市区町村の固定資産税データとの情報連携の高度化なども進められている。
これらはしばしば「不動産の名寄せ制度」と受け止められるが、実際には単独の新制度が導入されたわけではなく、所有者不明不動産問題への対応として、登記制度を現実に近づけるための基盤整備と位置づけるという表現の方が適切だろう。
政策の出発点は明確である。公共事業や災害復旧、都市再編の現場において、登記上の所有者が不明、あるいは連絡が取れない不動産が障害となってきた。行政としては、少なくとも「誰に連絡すればいいのか分からない」という事態を減らしたい。そのために、相続や住所変更といった局面で登記情報を更新させ、所有者をたどれる状態を確保しようとしている。
この意味で、名寄せ制度は行政側の実務を円滑にするための制度であり、個人や企業にとって資産管理が一覧となって確認・整理することは直接の目的とはしていない。実際、個人が自分の所有不動産を一覧で確認できる仕組みが用意されたわけでもなく、相続や資産整理の実務が自動化されるわけでもない。制度の性格を誤解すると、過度な期待や不安を抱くことになりかねない。
しかし、政策としてこの制度を評価する際に見落としてはならないのは、所有者不明不動産問題の根の深さである。国土交通省の推計では、所有者不明土地はすでに国土の2割超に達し、将来的にはさらに拡大するとされている(地籍調査に基づく推計:2016年)。特に地方部の山林や原野、農地などでは、所有者も行政も実質的に関与してこなかった不動産が数多く存在する。
こうした不動産の中には、固定資産税の課税対象外、あるいは評価額が極めて低いものも多い。その結果、「税が取れていない不動産が大量にある」というよりも、管理も活用もされないまま放置されてきた不動産が広範に存在しているというのが実態に近い。しかも厄介なのは、相続を通じて権利関係が分散し、所有者本人ですら「その不動産を持っていることを知らない」ケースが珍しくない点である。
ここで注目すべきは、こうした本人が管理しなければならない所有不動産であっても、法的には所有者としての管理責任が完全に消えるわけではないという点だ。倒木や土砂流出、老朽建物による周辺被害など、状況によっては所有者の管理責任を問われ得るにもかかわらず、本人はその存在すら把握していない。知らなければ管理のしようがない一方で、知らなかったこと自体が免責理由にならない。このねじれた構造が、長年放置されてきたのだ。
この点において、現在進められている名寄せ的な制度整備は、問題の一部にしか対応していない。行政が所有者を把握できるようになることは、確かに公共目的の観点では前進だ。しかし、本人が自らの不動産を把握し、どう扱うかを考えられない状態が続く限り、活用も処分も進まず、管理責任だけが残るという構造は変わらない。
政策的に見れば、ここに一つのジレンマがある。行政が踏み込みすぎれば、財産権やプライバシーの問題が生じる。一方で、踏み込みを抑えれば、所有者本人の無関心や把握不足という根本問題は解消されない。現在の制度は、そのバランスの中で、「行政が困らない最低限の把握」に重心を置いた選択といえるだろう。
ただし、その選択はあくまで第一歩にすぎない。名寄せ制度によって「把握される側」の環境は整いつつあるが、「主体的に管理・判断する側」を育てる仕組みまでは用意されていない。結果として、行政の把握能力と、所有者本人の資産認識との間には、むしろギャップが拡大する可能性すらある。
この制度をもって所有者不明不動産問題が解決すると考えるのは、過大評価といえるだろう。むしろ政策的に重要なのは、今回の名寄せ制度を「ゴール」と見るのではなく、不動産を持つことへの意識をどう高めるか、活用や整理をどう促すかという次の段階をどう設計するかだ。
行政が所有者を把握できるようになる一方で、所有者本人は自分の不動産を十分に把握していない。こうしたねじれをどう解消するのか。
名寄せ制度は、その問いを私たちに突きつけているに過ぎない。政策として問われているのは、把握の精度だけではなく、所有者本人が不動産を「持っていることすら知らない」あるいは「持ちっぱなし」にしない社会的仕組みをどう構築するかという、より根源的な課題なのではないだろうか。






