Extremeという単語の意味をご存じの方も多いでしょう。エクストリーム、「極端な」という意味ですが、この言葉が洋の東西を問わず、比較的よく使われるようになったのはこの10数年かもしれません。それこそ、天候は〇年に一度の雨とか暑さ、メディアのヘッドラインはエキストリームな表現で煽りまくって読ませる手段は当たり前。飲食店ではてんこ盛り、山盛り品々をSNSで煽ります。政治ではプーチン氏やネタニヤフ氏の攻め方は近年では見られない執拗さ。トランプ氏は理解不能、訳が分からない行動の連続に疲弊感が漂います。日本の政治でも高市政権に極端な高支持率が続き、今回の選挙分析では朝日新聞が自民維新で300議席という見通しを出しました。えっ、300ですか?と思わず読み直してしまいました。

高市首相の演説を一目見ようと集まった人びと 同首相Xより
人々がエキストリームを快感に思い始めている、それが私の見る今の社会です。さしずめ「タバスコ社会」とでも言いましょうか?「ピリッと」を通り越して舌が痺れ、汗だくにならないと反応しなくなってきているのです。タバスコを通り超えて「山椒社会」かもしれません。何故なのでしょうか?
ワークライフバランスという言葉ができたのが1980年代後半にアメリカで奥様が子育てと仕事の両立という目的意識から生まれたとされます。その後、英国のブレア元首相が2000年にワークライフバランスキャンペーンを展開し世界に波及、日本では2007年にワークライフバランス憲章が生まれ、その後、企業が取り込み、従業員もそれを意識するようになったという流れでした。
このワークライフバランスとはまさにバランス感覚を重視したものであり、中庸で社会的には優れたモデルだったはずです。ところが人々は何時までも心地よいものに浸りながら幸福をかみしめることが出来なかったのでしょう。私の東京のシェアハウスにコロナの真っただ中に長崎から上京して入居したお嬢さんがいるのですが、数日前に事務的なやり取りをメールでした際に「東京の生活が気に入っているようですね?」と書いたところ、自分の出身を覚えてくれて嬉しいとしたうえで「何度か帰ることも考えたけれど東京は刺激的でとても楽しいのでずっといるつもりです」と。
私が知っているカップヌードルはオリジナルだけですが、スーパーに行けばびっくりするほど種類が増えています。なぜかといえば変種を出すことで刺激するわけです。同様の商品はポテトチップスからチーズまであらゆる商品に及びます。
ベネズエラの大統領夫妻の拉致にしても上野の4億円強奪事件にしろ話が007の映画に出てくるようなエキストリームな状態にあります。クリスマスの頃にドイツの銀行に侵入した輩が55億円ともされる強奪ができたのは金庫の裏側の壁をでっかくくりぬいたからです。穴の写真を見た時、「これは誠か?」と思いました。フランスのルーブル美術館で開館中に155億円相当の美術品を盗むのに4分というのはミッションインポッシブルのトム クルーズでもむずかしかったかもしれません。
つまりあり得ないレベルの事件や事象が当たり前のように起きている、これが今の社会だと言えます。ではこれはいつか元に戻るのでしょうか?
揺り戻しはあると思います。そうでなければ世の中は破滅します。
エキストリームに向かう過程において多くのフォロワーは振り落とされ、最後に残るのはごくわずかの人であります。振り落とされた人の中には再チャレンジする人もいますが、全員ではありません。半分ぐらいかもしれません。残りの半分の人は自分のチャレンジに自己満足し、正常心にゆっくりと戻っていくのです。例えばトランプ氏が現代社会の煽りの中心人物の一人であることに異論はないかと思いますが、トランプ氏が采配を振るえるのは永久ではないのです。かなり短いでしょう。本人がそれを意識しているからやりたいことをぎゅっと押し込んでいるだけだとも言えます。習近平氏も無理に無理を重ねたと思います。腐敗撲滅を厳しくするから腐敗が増えてしまったという逆効果に氏は気が付いていない可能性があります。
ただ、元にそっくりそのまま戻れるのか、と言えばここはカナダのカーニー首相のダボス会議での演説に意味を見出したいと思います。「古い秩序は戻ってこない」のです。つまり同じ状態には戻れないけれどどこか落ち着きどころを見出す、という話です。落ち着いたところがニュー スタンダードとなる可能性は高いでしょう。我々は極端な動きに振り回され、「まさかこれほど…」という経験も多々しますが、必ず落としどころが存在すると言えます。
先ほど久々にスーパーに買い物に行ったのですが、ずいぶん物価が高いことを改めて感じました。2-3年前に物価が急騰した時にはあれだけ悲鳴を上げたのに今回の物価に悲鳴を上げる人はあの時ほどではないのに実際の物価は2年前の狂乱物価よりもっと高いのです。慣れなのでしょうか?過去の水準には戻らないけれどこれでは持続不能なので多少の落ち着きは期待したいところです。
私は年齢がそうさせるのかもしれませんが、極端なものではなく、つま先立ちだけど地に足がついているレベルで変化や成長していくことを意識しています。成長とは意識改革でもあります。今のstate(状態)は昨日が二度と戻ってこない様にどんどん変化しますが、そこには一貫性を持たせるようにしています。つまりあえてジャンプを避ける、それでこそ持続性を長期間保てるものだろうと思うのです。
世の中のエキストリームは外面的なこと。それに対して内面も一緒の踊らされず、深呼吸して一歩下がってみるのも今の余地不能な世の中だからこそ、大事な対処の仕方だと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年2月2日の記事より転載させていただきました。






