中道の「生活者ファースト」はなぜ響かなかったのか?

中道改革連合HPより

「生活者ファースト、くらしを真ん中へ!」

立憲民主党と公明党が急きょ結成した中道改革連合は、このスローガンを掲げて衆院選に臨み、167議席から49議席へと歴史的大敗を喫した。ポスターは晴れ渡る青空に白い文字。デザインとしては悪くない。だが、有権者の心には刺さらなかった。

なぜか。答えはシンプルだ。「生活者ファースト」には敵がいないからである。

政治スローガンにおける「○○ファースト」の構文には、暗黙のルールがある。それは「今まで○○が後回しにされてきた」という怒りの前提を含んでいることだ。ファーストと言うからには、これまでセカンド以下に置かれてきた存在がいなければならない。そして、後回しにしてきた「敵」が可視化されなければ、スローガンとして機能しない。

トランプの「アメリカ・ファースト」は、グローバリズムによってアメリカの労働者が割を食ってきたという怒りを代弁した。敵はグローバルエリートであり、中国であり、不法移民だった。明確な仮想敵がいたからこそ、「アメリカを再び第一に」というメッセージは熱狂を生んだ。

小池百合子の「都民ファーストの会」も同じ構造だった。敵は都議会のドン・内田茂であり、自民党都連の密室政治だった。「都民が後回しにされている」という物語があり、それを打破するヒロインとして小池知事が立った。結果的に都政で何を成し遂げたかはさておき、少なくとも選挙マーケティングとしては見事だった。

参政党の「日本人ファースト」はどうか。外国人への生活保護支給や、外国資本による土地取得、技能実習制度の問題――これらに不満を持つ層にとって、敵は明確だった。「日本人よりも外国人が優先されている」という物語が共有され、それを是正するというメッセージが特定の層に強く響いた。賛否はあるが、構文としては正しく機能している。

翻って「生活者ファースト」はどうだろう。生活者とは誰か。国民全員である。サラリーマンも経営者も、年金生活者も学生も、全員が「生活者」だ。では、これまで「生活者」を後回しにしてきたのは誰なのか。それが見えない。

「生活者」の反対語が存在しないのだ。「都民ファースト」の反対には都議会の闇があった。「アメリカ・ファースト」の反対にはグローバリズムがあった。「日本人ファースト」の反対には外国人優遇があった。「生活者ファースト」の反対は? 「非生活者」? そんな人間はいない。

政治においてスローガンが機能するためには、有権者の中に「そうだ、俺たちは後回しにされてきたんだ」という感情の着火点がなければならない。中道改革連合の「生活者ファースト」は、誰も傷つけない代わりに、誰の心にも火をつけなかった。

衆院選後の分析では、中道改革連合が各政策分野の重視度でトップに立てたのは「政治とカネの問題」だけだったとされる。物価対策でも、景気雇用でも、安全保障でも自民党に差をつけられていた。つまり「生活者ファースト」と言いながら、生活に直結する政策分野で有権者の信頼を獲得できなかったのだ。

スローガンと実態の乖離がここに如実に表れている。

さらに致命的だったのは、新党結成前の昨年12月の世論調査で、18〜29歳の立憲民主党支持率が0%だったという衝撃的な数字だ。新党になっても状況は変わらなかった。「生活者ファースト」と書いた看板をかけ替えたところで、中身が同じなら見向きもされない。若者が求めていたのは「誰をファーストにするか」ではなく、「何を変えるか」だった。

政治マーケティングの観点から言えば、効果的なスローガンには二つの要素が必要だ。第一に、明確な仮想敵。第二に、感情の着火点。「生活者ファースト」はこの二つをいずれも欠いていた。

野田佳彦、斉藤鉄夫という二人の共同代表が笑顔で遠くを見つめるポスター。そのコピーに「生活者ファースト」。上も下も右も左もなく、みんなで力を合わせるという理念。美しい。正しい。そして、絶望的につまらなかった。

立憲出身者は144人から21人へと激減し、安住淳共同幹事長をはじめ、小沢一郎氏、岡田克也氏、枝野幸男氏といった大物が相次いで議席を失った。だが、その入り口で「生活者ファースト」という響かない言葉を選んでしまったことが、この党の本質的な問題を象徴しているように思えてならない。

国民全員が生活者だからこそ、「生活者ファースト」は誰のためのスローガンでもなくなった。この残酷な真実を、49議席という数字が冷徹に突きつけている。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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