AI時代、SNSは「共感よりまず疑う」に変わった

黒坂岳央です。

生成AIの登場で、SNSの見方は明確に変わった。現代人は何を見てもそのままを信じたりはしない。「これは本物か?」と疑いから入るようになったのである。

かつてインターネットコンテンツがテキスト中心だった頃、「画像」が証拠にだった。しかし、その後、「画像は加工できる」となり、動画だけが最後の砦になった。だが今や、その動画すら破られた。ディープフェイクはもう肉眼では見分けがつかないレベルとなっている。その結果、SNS投稿で「本物と証明すること」が難しくなってしまったのだ。

本来、SNSは共感から入る場所だった。だが今は違う。まず疑いから入るので、本物と証明された頃には時間の経過で共感は後からやってきたりはしない。

SNSは本来、感情の交流の楽しい場所であったはずだが、感動より真偽の検が先行する場所へと変化しつつある。

fizkes/iStock

共感ではなく、まず疑う

筆者はニュースやビジネス記事を書く時にSNSでバズ投稿を参考にすることがある。最近で大きな変化があった。それはバズっている投稿のリプ欄を見ると「これAI生成?」という指摘がほぼ必ず入っていることだ。

「別にAI生成でも面白ければいいではないか。今は生成AI黎明期なのでAI成果物への拒否反応なだけ。すぐ慣れる」といった反論を見ることがある。だが筆者はそう思わない。

具体例を出そう。筆者は先日、落ち葉が自然落下して偶然ハート型のようになった写真の投稿を見た。美しい!と直感的に思った。それは自然が偶然に作り出した形だから美しいのである。

ところが、後にそれがAI生成と証明されてしまった。こうなると誰しも一気に興ざめするだろう。2つの意味で、だ。

1つ目は投稿主のバズに他ユーザーのエネルギーがムダに消費されてしまったことにだ。これは感動する気持ちを詐欺にあったのと同じである。

2つ目は「自然美」という前提が崩れ去ったことで価値が消えたことだ。もちろん、写真自体の美しさそのものが消えたわけではないが、自然が作り出したものでないなら、自然美前提写真には一切の価値はない。この写真はただの電子ゴミである。価値は物理的形状ではなく“生成プロセス”に宿るためだ。

人が嫌うのはAIではなく騙されることだ。ユーザーがまずAIを疑うようになったのはその防衛反応によるものだ。もう新規作成したばかりのアカウント、フォロワーがなくリスクテイクが発信者側に合理的なアカウントの投稿は一切信用されなくなるだろう。

粗さは価値になる

今、面白い現象が起きている。それは粗さが価値になっていることだ。

AI生成物が増えすぎた結果、あまりに整いすぎた制作物が信用されなくなった。

・画像は美しすぎると疑われる。
・文章は流暢すぎると警戒される。
・動画は編集が完璧すぎるとフェイク臭がする。

そこで今起きているのは制作プロセスの公開である。絵を描くならラフスケッチを出し、撮影現場の裏側を見せるのだ。そう、完成品より過程のほうが価値を持ち始めている。

さらに象徴的なのは「ミス」である。例えば、非常に読みやすい文章の中にローマ字変換ミスが一つ、2つ残っていると、妙な安心感がある。また、その人独自の「正確でないが、属人的な書き味」があるとホッとする。AIならほぼ確実に修正するからであり、これは「AIが使用されていない」という実質的な証明になるからだ。

筆者自身、昔まで記事を勢いよく書いてそのまま出していたので誤字脱字が多かった。「プロとして活動しているくせにそれじゃダメだ」と叱られることも多かったので、見直して誤字脱字を修正するようになった。最近では、書いた記事をAIで誤字脱字修正していた。だが最近、思うようになった。もしかしたら、多少誤字脱字を残したままの方がいいかもしれない、と。

粗さは未熟さではない。人間性の痕跡となったのだ。もちろん、わざとミスを入れればそれは演出になるが、市場は今、「完璧さ」を信用しないのだ。

信頼は出どころに回帰する

今後、誰もがAIでコンテンツ生成するようになればどうなるか?もちろん、すべてを疑い続けるのは消耗が激しい。人は常時警戒モードを維持できない。あまりにもエネルギー消費が多すぎてコンテンツを見なくなる。

では次に何が起きるか?これを予想したい。それは出どころへの回帰である。

まず、長年積み上げたアカウントは強い。特に2020年以前から投稿が継続している履歴。過去コンテンツとの整合性やフォロワーとのやり取りの蓄積が信頼資産になる。

逆に、何年も積み上げたアカウントが稚拙なフェイクを出してバレればどうなるか。過去コンテンツも含めて一気に信用が崩壊する。

だからこそ、本気で信用を積み上げている発信者は、生成AIのポン出しなど軽率にやらない。信用は、未来収益の担保だからである。自分は記事を2017年、動画を2020年に出し始めたので歴史がある程度の証明になると思っている。自分の文体、話し方のクセはアゴラの記事、書籍、YouTube動画、テレビ出演、セミナーなど多面的にログが残っている。これから新しい何かをしても過去の歴史の延長線上という見せ方をすれば、「存在がフェイク」とは思われないだろう。

そして将来的には、撮影機材IDとデータを紐づける技術が普及する可能性があると思っている。そして実際にそうした技術はすでに研究されている。「このカメラ、この端末で撮影された」という署名だ。さらにブロックチェーンや暗号技術を用いれば、現実的には改ざんは極めて困難になる。完全に破れないとは言わないが、破るコストが跳ね上がるので、「すべてを疑う」という世界ではある程度の信頼性の担保になるだろう。

市場は「完璧な真実」ではなく、改ざんコストの高さで信頼を判断するようになる。プラットフォーマーもそうした動きに連動するようになり、属人性の強いコンテンツは強みがあるはずだ。

SNSを見るときに「まず疑う」のは、悲観すべき兆候ではない。無防備な時代が終わっただけである。よく考えると、これまでがあまりに無防備に何もかもを信じすぎていたとも言える。

問われているのは、AIかどうかを見抜けるかではない。疑われる前提で、

それでも信用を積み上げられる構造を持てるかどうかだ。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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