日本人がやりがちな「5つのムダな努力」

黒坂岳央です。

「努力すれば必ず報われる」などと言うつもりはない。むしろ、日本社会では「頑張っているのに報われない」という現象は頻繁に起きる。

SNSでは閲覧数を稼ぐために「あなたは悪くない。評価しない会社が悪い」と仮想敵を作って叩くことでインプレッションを稼ぐネタに使われていたりする。

確かにそうした会社は一定数存在するが、筆者からすると「ズレた頑張り」のケースの方が邪悪な企業よりも圧倒的に多いと思っている。

ここでは、日本人がやりがちな5つの“ムダな努力”を独断と偏見で取り上げたい。

RyanKing999/iStock

1. 仕事ではなく作業を頑張る

最初に仕事と作業の違いを定義付けする。

作業とは「決められた手順を正確に繰り返す行為」だ。再現性があり、一定の訓練を積めば誰でも同水準に到達できる。例えば、議事録作成は作業である。

一方で、仕事とは「付加価値を生み出すための思考・判断・改善を伴う活動」である。成果に差が出るのはこの部分である。具体的には先ほどの議事録作成業務で、入力工程を自動化したり、ボイスレコーダーで文字起こしをしてセキュアを担保しつつ省力化を推進することが仕事である。

どんな会社にも作業が存在する。いや独立しても請求書を作ったり、契約書にサインをするなど一定数作業が絶対的に発生する。もちろん組織によっては作業量や協調性が評価される文化もある。しかし長期的な市場価値という観点では話は別である。

そのため、「仕事ではなく作業」を一生懸命こなすことで評価されようとするのはズレた努力である。組織が本当に求めているのは、作業そのものではない。生産性を高めること、利益率を改善すること、仕組みを作ることである。

自分は作業のすべてを否定しない。手順を覚え、精度を上げ、速度を高めることは重要であるし、作業全部を消すことも出来ない。だが作業は本質的に誰でも再現可能で、一定水準に達すれば価値は頭打ちになる。それ以上頑張っても「いやもう作業はいいから仕事をやって」となる。

作業を極めた後にやるべきは、作業を減らす努力である。作業の代わりに自分しかできない仕事を増やすことこそが付加価値である。作業量で承認を得ようとする姿勢はズレた努力と言える。

2. 安心感を得るための頑張り

世の中には「完璧主義」の人が少なくない。これは一見すると美徳に見える。

だがその多くは「失敗したくない」という防衛反応や「自分が満足したいから」という独りよがりから来ている。具体例をいうと、資料の細部に過剰にこだわり、本来求められている重要な部分がおざなりになっている、というケースはどこの会社でもあるあるだ。

自分が働いていた会社でも、パワポのスライドをめくる時の効果音やイメージ画像を探すのに骨を折っている社員がいた。だが、肝心のデータの精度はイマイチで役員に間違っているとツッコミを受けていた。頑張りがズレると、努力しても無駄になってしまうのである。

仕事は自己表現の場ではない。顧客や上司が求めている成果を出す場である。求められていない部分に労力を投下することは、努力ではなくただの自己満足である。

3. 長時間労働を美徳とする

残業が必要な局面は確かに存在する。しかし長時間労働そのものに価値を見いだすようになったら危険である。

評価されるべきは、省力化や自動化を進め、同じ成果をより短時間で出す工夫である。

筆者の働いていた会社では上司が休日出勤をして、日常業務を自動化するためにAccessを作り込んでいた。1日休日出勤をすることで、平日の30分の労働生産性を高めた。これは「投資」としての労働である。目指すべきはこういうイメージだ。

独りよがりの長時間労働は、組織全体の人件費を押し上げるだけである。

4. インプット中毒

読書や情報収集は重要である。しかしそれ自体が目的化すると危うい。仕事はアウトプットを出す場である。

「こんなに勉強しているのに評価されない」という不満は、努力の方向がズレている可能性が高い。会社が評価するのは、支払っている給与以上に、期待値を超える成果である。

会社員の頃、資格マニアの社員がいた。色んな資格を取りまくり、大学の学位を3つも持っていた(修士や博士ではなく学士号)。だが仕事は全然出来ず、役職もなかった。資格に費やした時間を仕事にあてればもっと価値ある実績やキャリアを作れただろうと想像する。その人が何にこだわるかは自由だし、口を挟むつもりはないが結果にはつながらない努力であることは明らかだろう。

インプットはアウトプットを磨くための前提条件である。楽しいからという理由だけの学習は否定しないが、仕事上の価値とは別に考えるべきだ。その先にアウトプットがないインプットは仕事ではなく趣味である。

5. 不毛な我慢

仕事には忍耐が必要である。成果が出るまでの努力を長期で継続する時期は必ず存在する。しかし、構造的に報われない環境で我慢を続けることは投資ではない。

付加価値を出し、交渉も尽くし、それでも評価が変わらない場合は、環境の問題である可能性が高い。企業は利益がなければ給与を上げられない。無い袖は振れないのである。

その状況で我慢を続けることは、美徳ではなく機会損失である。時間は有限である。不毛な我慢は人生の資産を削る。

5つに共通するのは、「承認欲求ベースの努力」と「市場価値ベースの努力」の違いである。安心したい、認められたい、失敗したくない。これらは自然な感情である。しかし市場が評価するのは感情ではなく価値である。

努力するなら、「それは付加価値を生むか」という問いを持つべきである。頑張ること自体に酔うのではなく、成果につながる方向に努力を再設計すること。それこそが、本当に報われる努力である。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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