
PeopleImages/iStock
結論から言う。ユーモアセンスとは、面白いことを言う能力ではないらしい。
……いや待て、ちょっと待ってくれ。俺だってつい最近まで勘違いしていた側の人間だ。ユーモアがある人=お笑い芸人みたいにドカンとウケを取れる人。
『ユーモアコミュニケーション 場の雰囲気を一瞬で変える!』(草刈マーサ 著)芸術新聞社
そう思い込んでいた。だから「ユーモアを磨きましょう」なんて言われると、脳内で即座に「ムリムリムリー!」とシャッターが降りる。あの飲み会でスベった記憶が高速再生される。やめてくれ。
でも、違うのだ。
ユーモアセンスの正体は「面白いことを見つける力」。見つける。言うんじゃなくて、見つける。この差、地味に見えてデカい。
たとえば一本の曲線。これを「電車のつり革」と見る人がいる。「弓」と見る人もいる。ブーメラン、ワイングラス、イヤリング、湖の白鳥――同じ線なのに、見方次第でいくらでも変わる。
出来事も同じだ。不幸な出来事だって、角度を変えれば何か面白いものに見えてくることがある。
これ、味覚に似ている。同じカレーを食べても「うまい!」と叫ぶやつと「ふーん」で終わるやつがいる。ユーモアセンスも同じ。面白さを感じ取るセンサーの感度の問題なのだ。
ここで大事な話。ユーモアとお笑いは別物だ。お笑い芸人の仕事は、客を笑わせること。技術があり、計算がある。プロの領域だ。一方、ユーモアは——上智大学の名誉教授デーケン氏の言葉を借りれば——「にもかかわらず笑うこと」。
「にもかかわらず」。この五文字が重い。
懸賞目当てで無駄買いする自分。健康体操をやったら筋肉痛で寝込む自分。人間って、矛盾の塊だ。愚かで、どうしようもない。でも——だからこそ、かわいい。その矛盾を一歩引いて「ふふっ」と笑える感覚。それがユーモアだ。
ある後期高齢者のスピーチトレーナーが言っていた。「カバンを店に忘れて出ちゃうんだけどさ、昔みたいにスタスタ歩けないから、店員さんがすぐ追いついてくれるんだよ。よかったよ」。——この人、強い。物忘れも体力の衰えも、笑いに変換してしまう。勝てる気がしない。
人生、電柱にぶつかったり、犬にかまれたり、隕石が降ってきたり(降ってくるのか?)、予測不能なことだらけだ。それを「まあ面白いか」と受け止められる力。ある意味、最強の特殊能力かもしれない。
そういえば——話が飛ぶが許してほしい——著者のLINEオープンチャットを聞いたことがある。早朝だ。まだ世界が半分寝ているような時間帯に、底抜けに明るい。
あの声を聞いて「元気もらえる」と感じる人間もいれば、「朝からうるさい」と思う人間もいるだろう。そりゃそうだ。万人に受けるユーモアなんて存在しない。取捨選択。合う・合わないがある。でも、あの朝の声には確かに「にもかかわらず笑う」の精神が宿っていた気がする。
ユーモア、悪くない。うん、悪くないぞ。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
■
22冊目の本を出版しました。
「読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)









コメント