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気づいたら、泣いていた。スマートフォンの画面を見つめたまま、涙が止まらなかった。
病室でも、手術台の前でも泣かなかった彼女が、音声SNSのルームで聴いた一言に、全身を撃ち抜かれていた。
『自分を愛することからすべてが始まる』(塙真弓 著)合同フォレスト
難病の宣告を受けたとき、塙さんは思った。
——なぜ、私なのか。
答えは返ってこなかった。当たり前だ。神様はそんなに親切じゃない。
追い打ちをかけるように、乳がんの診断。まるで悪役が「まだ終わりじゃないぞ」と言いながら二撃目を叩き込んでくるような、そんな展開だった。現実は、ときにラノベのラスボスより残酷だ。
「頭では理解していたんです。前向きにならなきゃって」
でも、頭と心は別の生き物だ。
「なんとか前向きになりたいと考えてはいても、心の底ではどうしても受け入れることができなかった」
これが、彼女の告白だ。治すすべのない病気。立ち向かえない自分。暗闇の中で、足だけが宙に浮いたまま、どこにも降ろせなかった。
そんな夜、彼女はスマートフォンを手に取った。
コロナ禍に突如現れ、一瞬で世界を席巻した音声SNS「Clubhouse」。招待制という謎の敷居の高さで、2021年あたりに誰もがざわついたあのアプリだ。今となっては懐かしい響きだが、あの時代、あのアプリは確かに人と人をつないでいた。
塙さんが入室したルームで、ある男の声が響いていた。
北原照久。テレビで見たことがある人も多いはずだ。あの笑顔、あのエネルギー。横浜のブリキのおもちゃ博物館のオーナーにして、コレクター界の生ける伝説。その北原さんが、穏やかに、しかし確信に満ちた声で言った。
「万象肯定 万象感謝」
「まるで雷に打たれたように、全身に衝撃が走ったのです」
塙さんはそう言う。大げさに聞こえるかもしれない。でも、人生にはある。理屈じゃなく、体ごと持っていかれる瞬間が。「わかった」じゃなくて「貫かれた」としか言いようのない、あの感覚が。
起きるすべてを肯定し、すべてに感謝する——そういう意味だ。病気も。苦しみも。理不尽な宣告も。全部ひっくるめて、肯定する。
「そんなの無理だ」という声が聞こえる。私にも聞こえる。
でも、ここに逆説がある。抗うのをやめた瞬間、人は前に進める。これは敗北じゃない。むしろ、最も静かで、最も強い一手だ。
その瞬間、塙さんの中で何かが音を立てて変わった。「新たな強いエネルギーが身のうちからほとばしる」——彼女はそう表現した。長編RPGで言えば、ジョブチェンジが完了したような、あの感覚だろうか。いや、それより静かで、深いものだったと思う。
物語はそこで終わらない。というか、そこから始まった。
「万象肯定 万象感謝」という八文字は、塙さんの中で言葉から生き方へと変化した。
言葉一つで人生が変わるなんて、と笑う人はいるだろう。でも、あの夜、Clubhouseのルームで塙さんの足が大地を踏んだのは、紛れもない事実だ。
雷は確かに、落ちた。八文字。ただの八文字。でも、使い方次第で、それは武器にも、灯台にも、なる。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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