
Zoey106/iStock
日本では近年、「スタートアップ育成」が政策の合言葉になっている。
起業を増やせ、ベンチャーを生め、ユニコーンを育てろ ― その掛け声自体は間違っていない。しかし、根本的に見落とされている点がある。日本に足りないのはスタートアップではなく、エグジットである。
スタートアップとは、本来「成長して売却されるか、上場するか、あるいは撤退する」ことを前提とした存在だ。起業は目的ではなく、資本と人材を循環させるための手段にすぎない。
ところが日本では、起業は称賛されても、終わらせ方についてはほとんど語られない。結果として、始める自由は語られるが、終える自由は制度的にも心理的にも極端に弱い。
この歪みは、スタートアップに限らない。中小企業、町工場、家業、老舗 ― あらゆる企業に共通している。事業を畳むことは失敗であり、売却は裏切りであり、外部資本に渡すことは敗北だという空気が、いまだに支配的だ。その結果、企業は「生き残ること」自体が目的化し、価値を最大化するための退出が選ばれない。
エグジットが機能しない経済では、何が起きるか。
第一に、資本が滞留する。非効率な事業に資金が張り付いたままになり、新しい挑戦に回らない。第二に、人材が固定化される。将来性の乏しい環境に人が縛られ、成長分野へ移動できない。
第三に、起業の質が下がる。終わりが見えない挑戦は、健全なリスクテイクにならない。
日本が「起業が少ない国」なのではない。「終われない国」なのである。
海外では、企業を売ること、統合されること、清算することは、資本主義の自然なプロセスだ。だからこそ、挑戦が繰り返され、失敗が次の成功の土壌になる。一方日本では、エグジットは汚点として扱われ、経営者は延命を選ばされる。これは挑戦に優しい社会ではない。停滞に優しい社会だ。
政策の焦点もずれている。創業支援、補助金、インキュベーション施設は増えた。しかし、事業売却、統合、分割、清算を支える制度は貧弱なままだ。税制、会計、金融、法務のすべてが、「続ける前提」で設計されている。これでは、どれだけスタートアップを生んでも、経済は動かない。
必要なのは、「起業を増やす政策」ではなく、エグジットを正常化する政策である。円滑なM&A、事業譲渡のコスト低減、清算プロセスの簡素化、廃業後の再挑戦支援。こうした出口が見えるからこそ、入口である起業が本当の意味を持つ。
エグジットは敗北ではない。価値を回収し、次に回す行為である。企業を終わらせることは、挑戦を終わらせることではない。むしろ、挑戦を続けるための条件だ。
日本に必要なのは、スタートアップを増やすことではない。終わり方を設計し、価値を循環させることだ。エグジットなき資本主義は、資本主義の形をした停滞でしかない。
起業を称えるなら、退出も称えよ。
挑戦を語るなら、終わり方も語れ。
それができて初めて、日本は「挑戦する国」になる。







コメント