私は卒業大学の校友会の支部長を通算25年近くやっています。初め6-7年やったのち、別の方にバトンタッチしたのですが、その方の転出でバトンが1年で戻ってきてしまいました。それ以降、抜けるどころか校友会本部にがっちり絡み、笑ってしまいますが、「不動の支部長」になっています。ただ、私もこれではまずいとずっと思っており、一昨年ごろからどうやってこの不人気の校友会支部長のバトンを誰かに託すか考えてきたのですが、たまたま若手が数人加入したことを受けて一部のタスクの分業化を進めています。
ただ、正直、その分業化も全く不十分な状態。これを打開するには私自身が絶対に抜けなくてはいけないという明白な姿勢をそろそろ見せないといけないのだと思っています。
なぜ校友会が不人気なのか、と言えば学校卒業生は自動的に校友になるという縛りが気に入らないのかもしれません。卒業した学校に熱い思いを持つ人もいれば苦い思い出の人もいるはずです。どちらかと言えば好きな人だけが集まればよいだけの話でそれを学校組織がシャカリキに推し進めるのが今風ではないということでしょう。
4月の初めに高校のクラス会があるのですが、珍しく出席者が多そうな状況です。毎年開催されるこのクラス会のバックボーンは形式ばった高校の校友会組織ではなく、クラスメートが自主的にLINEグループで繋がっている点にあります。今でもクラスメートがLINEで20数名つながっており、時折誰かが話題を振ればそれに皆が反応する感じで情報が共有されていることは大きいのでしょう。また大学校友会と違い、クラスメートはお互いを知っているという強みがあります。それでもLINEグループに参加するのはクラスの6割程度。つまり残りの4割は行方知らず、ないし興味なしという方々であり、全員を捕捉するのは不可能というより、意味がないのであります。
日経に「『無敵化する若者たち』著者に聞く 『部下全員伸ばす』は骨折り損」という記事がありました。私の読み解いた記事の要旨は、5人部下がいればそれぞれに20%ずつの等しいエネルギーをかけるのではないという点です。著者の主張は全体で最も多い無気力で受動的なグループ、及び1人でもどんどん成長できる自己成長型の人にはエネルギーはそれぞれ10%程度かければよく、残り80%のエネルギーを無気力派と自己成長派の間にいる「成長模索型の人材」を引っ張り上げることに注力せよ、というわけです。
この発想は今までの日本型組織論とやや考えを異にしています。ご記憶がある方いらっしゃると思いますが、今まではできない人が落ちこぼれない様にするのが日本の組織論の一つでした。つまり成果はグループに対して与えられるのであって組織内の個人ではないという発想です。もしも上述の著者の考え方が浸透していけば落ちこぼれはもっと落ちこぼれるか、全くついていけない事態が生じてしまいます。
どちらの考え方が良いのか難しいところです。
校友会のリーダーシップをどうとってもらうか、という例に絡ませると次のやってくれそうな方に集中してエネルギーをつぎ込むのは確かに正しいかもしれません。一方で校友会の活動が面白ければ他の人にも興味が湧いてくるかもしれず、要は校友会活動を面白楽しくすることで全体を盛り上げることが必要なのではないかと思うのです。校友会の幽霊会員に「次回のイベントには是非来てくださいよ」という説得工作よりも「それ、私、行きたい!」と思わせる活動をすることで盛り上げるのがもっと大事な気がするのです。
「無敵化する若者」の特徴は出世に興味なし、嫌われても気にしない、自己評価が高い、締め切りが来ても残業しない、目立たない術、いつでも親が味方(日経)とあります。これだけ聞けば最悪じゃないかと思ってしまいます。時代の変化と言っても残念ながら古い世代と新しい世代は同居しており、その中で組織を動かさなくてはいけません。
ならば共通の歓びとシェアという考え方で盛り立てていくのが良いのではないかと感じます。
当地ではこれから秋まで毎週のように何らかのイベントが週末に開催されます。日系の集まりからマラソン大会、各種趣味のイベントからファーマーズマーケットまでさまざま。それらのイベントを支えているのは実はボランティアさんでその多くは高校生を含むかなり若い方々であります。彼らはボランティアという責任所在は薄いけれど都合の良い部分だけ参加することで社会に共生している自意識を維持しています。
上述の無敵化する若者の中で「自己評価が高い」という特徴が異質な感じがするのですが、私はボランティアなどをちょっとでもやることで「やったことになる」という意識付けなのではないかと思うのです。言い換えればコミットメントは出来ない、だけど自分に余裕があるところだけはやる、ということでしょうか?

pain au chocolat/iStock
結局、全体を盛り立てて興味を示してくれる若者たちのハートをつかむ、そして少しでも彼ら彼女らの考えを引き出して実現していくということでしょうか?
昔は組織は力づくで動かしたものです。今の時代、そんなことをしたら左遷されるか、訴えられます。若者のハートをつかみたければ自分も変わらなくてはいけないのでしょう。長い人生で培ってきた考え方をなぜいまさらアジャストしなくてはいけないのか、と思うのでしょう。しかし、我々はビジネスをしながら自分の顧客も世代替わりして若くなっているのだ、よって顧客対応も必然的に変わらざるを得ないと考えれば自分の立ち位置を二重人格のようにこの場合はこれが正、だけど自分の本心はこっちが正という具合になってしまうのかもしれません。あぁ、混乱してしまいそうですね。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年3月22日の記事より転載させていただきました。






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