「永遠の低金利」という幻想:ロゴフ教授が粉砕する「責任ある積極財政」の欺瞞

政府は26日の経済財政諮問会議にオリビ⁠エ・ブ​ランシャール・元IMFチーフエコノミストとケネス・ロ‌ゴフ・ハーバード大教授を招き、日本の財政運営について意見を求めた。両氏は、高市政権の期待とは裏腹に、金利上昇やスタグフレーションのリスクを前提に、財政の信認と規律の重要性を指摘した。要するに、「日本の経済はいまのままで本当に大丈夫なのか」という、ごく当たり前の問題提起を行った。

ロ‌ゴフ教授とブランシャール名誉教授 首相官邸HPより

そのロゴフ教授による『ドル覇権が終わるとき インサイダーが見た国際金融「激動の70年」』(日経BP)がすぐれているのは、いま日本でもアメリカでも半ば宗教になっている「国債はいくら増やしても大丈夫」「金利はずっと低い」「インフレは中央銀行が何とかする」という雑な楽観論を、歴史的なデータで粉砕していることである。近年の経済論壇は、まともな実証分析より希望的観測のほうが人気を集めるが、本書はそこに冷水を浴びせる。

そもそも「永遠の低金利」なるものが幻想である。2010年代の超低金利は、金融危機とパンデミックという巨大ショックの副産物にすぎなかった。それを見て、多くの経済学者や評論家は「新しい時代が来た」とはしゃぎ、長期停滞だの人口動態だの不平等だの、もっともらしい理屈を並べた。だが、そういう議論の多くは、せいぜい数十年のデータを都合よく切り取った後講釈でしかない。ロゴフ教授は近々の数十年ではなくそれ以前の700年の実質金利の歴史に引き戻したことだ。歴史を長く見れば、金利は安定した変数どころか、きわめて不安定な変数である。こんな当たり前の話を、わざわざ本にして言わなければならないほど、経済論壇は劣化したということでもある。

日本の積極財政派がよくやるのは、金利が低いという結果だけを見て、だから債務は問題ないと逆算する議論である。これは原因と結果の取り違えであり、もっと言えば循環論法だ。日銀が大量に国債を抱え込み、金融規制で国債需要を下支えし、経済が長期停滞しているから金利が低いのであって、それをもって「もっと借金しても平気」と言い出すのは、病人が熱を出していないから重症ではないと言うようなものだ。ロゴフ教授はそういうご都合主義を許さない。

議論の中心にあるのは、債務の持続可能性は「金利が低いかどうか」だけでは決まらないという、ごく常識的な話である。成長率も動くし、金利も動くし、政治も動く。しかも危機は、いつも市場参加者が「今回は違う(This Time Is Different)」と思っているときに起きる。ところが、MMTからその亜流まで、近年の流行りものはだいたいこの不確実性を無視する。自国通貨建てなら大丈夫、基軸通貨国だから大丈夫、中央銀行が買えば大丈夫。要するに全部「たぶん大丈夫」である。そんなものは理論ではなく、単なる願望なのである。

ロゴフ教授が一貫して批判しているのは、左派の無責任な大きな政府論だけではない。右派の減税万能論も同罪だ。民主党は「福祉のための赤字は正義」だと言い、共和党は「成長するから減税の赤字は問題ない」と言う。看板は違っても、中身はどちらも「政府債務フリーランチ説」である。それは日本でも同じかさらに劣化した議論で、リフレ派も積極財政派も保守派も、最後は「国債をもっと出せ」に収斂する。左右対立を装っていても、実は全員が財政規律の放棄で一致しているのだ。

また本書は「債務危機=ただちにデフォルト」という幼稚な理解を退けている。自国通貨建てだから名目的なデフォルトは避けられるかもしれない。だがその代わりに何が起きるか。インフレ、金融抑圧、実質所得の目減り、民間投資の圧迫である。これは見えにくい増税であり、しかも政治的にはきわめて使いやすい。金融抑圧とは、要するに国民に気づかれないように政府債務のコストを払わせる仕組みだ。預金金利を抑え、金融機関に国債を持たせ、インフレで実質価値を削る。こんなものを「安全資産」と呼んでありがたがっているのは、ほとんど言葉の詐欺である。

この点で、日本を「成功例」とみなす議論に対するロゴフ教授の批判はしごく常識的である。つまり、日本はまだ露骨な破綻をしていない、だから大丈夫だ、というのはあまりに能天気だということだ。30年近い低成長、実質賃金の停滞、財政余力の枯渇、そして中央銀行の異常なバランスシートの肥大化。これを見て「問題ない」と言うなら、何が起きたら問題だと言うのか。日本国債が暴落していないから安全だというのは、沈みかけた船がまだ完全には沈んでいないから航海は成功だと言うことにに近い。

経済財政諮問会議で高市政権の経済運営を論難したロ‌ゴフ教授とブランシャール名誉教授 首相官邸HPより

ロゴフ教授は、危機対応のための赤字まで否定しているわけではない。この点も重要である。深刻な金融危機や戦争や災害に際して、政府が財政を使うのは当然だ。しかし、そのためには平時に余力を残しておかなければならない。家計でも企業でも同じで、借りられるときに限度いっぱい借りておいて、いざというときに追加で借りられると思うのは甘い。ところが現代の政治は、平時にも危機時並みの財政拡張を続けたがる。理由は簡単で、負担を将来に回せるからである。民主主義と赤字財政は相性がよすぎる。ロゴフ教授はそこをきちんと見ている。

この本を読むと、近年のMMTの亜流経済学がいかに市場環境に迎合してきたかもよくわかる。2010年代の低金利を見て、長期停滞は永遠だ、自然利子率はずっとマイナスだ、だから財政制約は実質的に消えた、という話が次々と出てきた。だが2020年代にインフレが再来し、金利が上がると、そうした議論は急に色あせた。要するに、現実の後追いを理論と称していただけである。ロゴフ教授の議論がましなのは、流行の空気ではなく、歴史と制度に依拠しているからだ。

本邦のタイトルにもなっているドル覇権についての議論も同じである。ドルはすぐ終わる、と騒ぐ極端な論調にも与しないが、だからといって永遠に続くとも言わない。この距離感が現実主義であり、オーソドックスな経済学なのだろう。基軸通貨はアメリカに特権を与えるが、その特権は財政放漫への誘惑でもある。外から見れば米国債は安全資産に見えても、その内実は「まだ信じてもらっているから回っている」という面が大きい。信認とはそういうもので、壊れるときはあっという間に壊れるのだ。だからこそ、本書は「いつ崩れるか」を予言するより、「なぜいまの安心が危ういか」を説明することに力を注いでいる。それが「責任ある経済学」の態度だろう。

「借金しても成長すれば返せる」「金利は低いまま」「インフレは一時的」という、この10年の亜流経済学の便利な決まり文句を一つひとつ潰していく本である。耳障りは悪いが、こういう書物のほうがはるかに長く残る。景気のいい話を並べる本は、相場が変わるとすぐ古びるからだ。

日本の読者にとって本書が重要なのは、アメリカや世界経済の話でありながら、ほとんどそのまま日本への警告になっているし、一部では日本が主役級に扱われている。自国通貨建てだから大丈夫、中央銀行が国債を買えるから大丈夫、金利が低いから大丈夫――この手の議論はずっと繰り返されてきた。そして現在、アメリカだけでなく日本の長期金利の上昇も始まった。

ロゴフ教授の言う通り、本当に危ないのは債務そのものというより、「何とかなる」という根拠のない慢心が空気が政治を支配したことだ。破綻は突然来るのではない。まず理屈が腐り、そのあと現実が追いつくのである。もちろん、金利や財政の話題だけでなく、インサイダーが見た国際金融「激動の70年」というサブタイトルに相応しい戦後世界経済の鳥観図となっている。


ドル覇権が終わるとき インサイダーが見た国際金融「激動の70年」

目次
日本語版への序文
第1章序論 基軸通貨の誕生
第1部ドル覇権への過去の挑戦者たち
第2章ソビエトという強敵
第3章日本と円
第4章欧州単一通貨
第2部現在の挑戦者、中国
第5章今回は違う
第6章朱鎔基の予測
第7章中国人民銀行
第8章危険の予兆
第9章高度成長の終わり
第10章人民元とドルのデカップリング
第3部アメリカ以外の国の問題ーードルとの共存
第11章固定相場制の魔力
第12章ハイパーインフレ
第13章固定相場制はいつ賞味期限切れとなるか
第14章レバノンとアルゼンチンーー例外なのか、普通なのか
第15章 トーキョー・コンセンサス
第16章帰って来た固定相場
第4部代替通貨
第17章グローバル通貨
第18章暗号資産と貨幣の未来
第19章中央銀行デジタル通貨
第5部基軸通貨の優位性と不利益
第20章基軸通貨の優位性
第21章法外な特権、または代表なくして課税あり?
第22章ドル覇権に対処する世界の国々とアメリカの少しばかりの協力
第23章基軸通貨の不利益 第6部衰退に転じるドル覇権
第24章中央銀行の独立性 通貨覇権の砦
第25章債務大国 アメリカのアキレス腱
第26章永遠に続く低金利という誘惑
第27章ドルによる平和の終焉

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