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孫が可愛くない祖父母なんていない。それは大前提として認める。
ただ、最近ちょっと気になることがある。知り合いの六十代の女性が、毎週月・水・金と娘の家に通って孫の面倒を見ている。朝八時に家を出て、帰宅は夜七時。聞いたとき、思わず「それ、パートより大変じゃない?」と言ってしまった。
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本人は「でも孫だから」と笑うのだが、目の下のクマが笑っていなかった。こういう話、珍しくないのだ。
共働き世帯が増えて、保育園は相変わらず入れない。ベビーシッターは時給が高い。信頼できる人を探すのも一苦労。持病のある子どもとなると、受け入れ先はさらに絞られる。じゃあ誰に頼むか。そう、おじいちゃん・おばあちゃんだ。
身内なら安心だし、タダだし、「この子、卵アレルギーだから気をつけて」とか「昼寝は一時間までね」とか、細かい注文もつけられる。ベビーシッターに同じことを言ったら、オプション料金が三つくらい加算されるだろう。働く親にとって、祖父母ほどありがたい存在はない。それはわかる。
でも、だ。
「孫の世話ができるのは今だけだから」と軽く言う人がいる。いや、ちょっと待ってほしい。幼い孫の一年と、シニアの一年は重みがまるで違う。孫は一年で驚くほど成長するが、シニアは一年で確実に老いる。無理を重ねて腰を痛め、膝をやられ、老後の旅行計画が全部パーになった――そんな話を何度聞いたことか。
とくに危ういのが「おばあちゃんは子育てのプロだから」という思い込みだ。自分でもそう信じている人が多い。でも、自分の子どもを育てていたのは三十年前の話だろう。体力がまるで違う。三歳児と公園で二時間走り回った後、夕飯を作る元気が残っているか。正直、私は疑っている。
疲れ切って一瞬目を離した隙に、孫が椅子から落ちた。テーブルの角に頭をぶつけた。そんなとき、息子や娘に何と言えばいいのか。「子育てのプロ」かもしれないが、「託児のプロ」ではない。この違いは大きい。
だから、祖父母は「孫の応援団」でいい。レギュラーメンバーじゃなく、ベンチから声を出す応援団。自分のスケジュールを優先して構わないし、疲れたら「今日は無理」と断っていい。孫育ては、できる範囲でちょこっとやるくらいがちょうどいい。
厄介なのは、断ると罪悪感が湧くことだ。「孫に会いたくないのか」と自分を責め、「頼ってくれているのに」と無理を重ねる。でも冷静に考えてほしい。体を壊して寝込んだら、そもそも孫に会うことすらできなくなる。長く元気でいることこそ、孫にとっての一番の贈り物だろう。
家族のために「犠牲」になる? 冗談じゃない。あなたの老後は、あなたのものだ。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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コメント
私は最初の結婚で失敗した母親が祖父母に預けたので母方の祖父母に育てられました。
初孫の私はものすごく可愛がられて祖父は私を自分の養女にしてしまい母と私は戸籍上姉妹です。
祖母は後妻だったので自分の子どもが無くて私を我が子のように可愛がりました。
祖父母はこの世にもういません。
愛された記憶の、戸籍上の複雑さだけが
2人の父親の存在が残っています。
最近名付け親の父方の祖父のイメージばかり思い浮かびます。母の話しから狡猾な人のように思えます。母はそのように思っていないけど。どんな老後を過ごしたのかは知らない。会えない縁なら会わないほうがいい。
その人が幸せで豊かであるかはわからない。
私は自分が幸せだと周りも幸せだと思っています。