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自民党は3月31日、国旗損壊罪を推進するプロジェクトチーム(「PT」)を立ち上げた。昨年10月20日に自民党と日本維新の会が同法の制定を連立合意書に明記し、具体化へ途が拓けた。4月2日にはこの件で自民と考えの近い参政党も法案を参院に提出し、更に実現に近づいた。本稿では、推進賛成の立場から同法について考察する。
同法案制定には昨年12月、『毎日』の社説(7日)と『朝日』のインタビュー記事が慎重論を展開した。『毎日』は「息苦しい社会にするのか」との見出しで、「憲法が保障する表現の自由や思想の自由が脅かされる可能性」を懸念し、過去にもあった「政府や政党に異議を申し立てる手段として、国旗を焼く、印を付けるといった例」を「罪に問えば、そうした意思表示を抑え込むことにつながる」と書いた。
『朝日』の9日の記事は有料につき冒頭しか読めない。が、そこに登場する志田陽子武蔵野美大教授は護憲集会などで「総がかり行動実行委員会共同代表」らと共に発言する様子がたびたび『赤旗』で紹介される憲法学者で、前日10日にも『弁護士JPニュース』で8千字近い長文の法制化懐疑論を述べているから、同氏の論はそちらで知ることができる。
志田氏の主張の多くは、高市政権で石破茂前総理と共に党内野党の立場にある岩屋毅氏の慎重論と共通するところが多い。岩屋氏の主張は自身のHPに、31日の「PT」で行った発言としてUPされている。『産経』が1日に報じたその要旨は以下の様である。
- 立法事実(実際に国旗の損壊が至る所で発生している)がないから、政治的なアピールのための立法になりかねない
- 比較される「外国国章損壊罪」の法益は「外国との円滑な関係維持」にあるから、親告罪にすることで外交交渉の余地を残している
- 「国旗損壊」は「器物損壊罪」によって罰することが可能であり、すでに法的にカバーされている
- 憲法19条と21条の保証する「内心の自由」や「表現の自由」を侵すものであってはならない。米国最高裁も同じ理由で州法の「国旗損壊罪」を合衆国憲法違反として無効とした
- 立法する場合は限定的な「形式犯」として構成するしかない
- 今日そのような立法を敢えて行う必然性や必要性があるかをよく考えなければならない。国旗国歌法が制定されて以来、国旗を尊重する意識は幅広く国民の間に定着している
- 以上の理由から、この課題には自民党としての見識・良識を示していく必要がある
さすがに自民党議員、志田氏が論考で触れている「萎縮効果」や竹谷公明党代表が述べた「寄せ書きをすると損壊になるのか」といったことには言及していない。が、彼ら慎重派の主張に欠けていると思われることが2つある。
1つは「外国国章損壊罪」にある「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者」の「侮辱を加える目的」が意味することの吟味であり、2つ目はその裏返しでもある「外国や外国国旗に対する敬意」、言い換えれば「外国や外国民の尊厳」の尊重である。
先ず竹谷発言だが、「侮辱を加える目的」でないなら「日の丸への寄せ書きは損壊にならない」に決まっている。悪意がなければ、損壊や除去や汚損をしないのが普通だからだ。これは兵庫県知事の騒動で話題になった「公益通報」が、「不正の目的」でなされた場合には通報者保護の対象とならないのと同じ理屈で、「目的」こそが重要なのである。
法益に関しては、志田氏も岩屋氏も当たり前の如く「外国国章損壊罪」の法益は「外国との円滑な関係維持」だと説く。が、他国の国章を「侮辱を加える目的で」損壊することが、当該国との「円滑な関係維持」に支障をきたすのは、詰まるところ「当該国と自国国旗に敬意を払うその国の国民の尊厳」を踏みにじる行為だからである。従い、そもそもの保護法益は「外国とその国民の尊厳」ではあるまいか。
同様に、推進派の条文が「外国国章損壊罪」並みの「日本国を侮辱する目的で、日章旗を損壊等した者」なら、違反者は「日章旗に敬意を払う日本国民を侮辱」し、保護法益たる「日本と日本国民の尊厳」を汚すことになる。高市総理もブログで「日本の威信・尊厳を象徴する国旗」に対する愛情や誇りを、せめて外国国旗が刑法で保護されているのと同程度には守りたい、としていた(江藤孝之「日本国章損壊等罪の立法に関する基礎的考察」)。
岩屋氏に代表される慎重派の主張でもう一つ重要な点は、憲法が保証する「内心の自由」や「表現の自由」との兼ね合いである。つまり「国旗を汚す自由もある」ということだ。が、岩屋氏の例示した憲法19条と21条に加えて12条と13条の4つの条項には、何れにも「公共の福祉」という語が使われており、12条と13条の条文はこうなっている。(太字は筆者)
〔自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止〕
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。〔個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉〕
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
つまり、「自由・権利の保持」や「個人の尊重・幸福追求権」には、その上位概念として「公共の福祉」が付いて回るということだ。これにはいくつか学説があり、衆議院のサイトが「『公共の福祉(特に、表現の自由や学問の自由との調整)』に関する基礎的資料」なる100余ページのPDFで詳述していが、ここでは措く。
関連して、岩屋氏は「国旗国歌法が制定されて以来、国旗を尊重する意識は幅広く国民の間に定着している」から今敢えて立法する「必然性や必要性」がないとする。が、そうした意識の定着は、裏を返せば多くの国民の日の丸に対する敬意の証である。ならば、そうした国民の敬意を踏みにじり、その尊厳を汚すことは「自由」や「権利」の濫用であり、「公共の福祉」に反すると言わねばなるまい。
事例・判例
岩屋氏はまた、米国最高裁が「表現の自由」との関係で州法の「国旗損壊罪」を合衆国憲法(修正第一条)違反として無効とした事例を挙げている。米国は各州が独自の旗を持つ合衆国なので日本と同日の談ではない。また国旗や国歌、そして国を守る軍人に対する米国人の敬意の払いぶりこそも、日本と同日の談ではない。
他方、スペインやドイツにはいわゆる「国旗棄損罪」がある。ここでは前掲の江藤孝之氏の論文からお借りして、その刑法に「スペインに対する冒涜罪:543条」に、以下の規定を持つスペインの事例を紹介する。
543条
スペイン、その自治州、またはそれらの象徴もしくは標章に対して、発言、文書、行為により公然と侮辱または軽蔑を行った者は、7月以上12月以下の罰金刑に処する。
国防省管轄下の某軍港で、清掃請負会社とその従業員とに賃金未払い紛争が生じた。従業員は抗議のストを打ち、一部の者が軍港前での集会で毎日、「国旗は給料を払ってくれない」などスローガンを叫び、騒音を立てて抗議した。
抗議活動が軍による国旗掲揚の厳粛な儀式と重なるため、軍港司令官は同地方の労働組合に、スト参加者らが国旗に対して敬意を欠いているとの抗議書簡を送付し、労組代表の被告人にも、国旗掲揚の際には抗議を控えめにするよう要請した。それにも関わらず被告人は翌日、約30名の抗議者と国旗掲揚の瞬間に軍港前で、メガホンを通して「クソったれな旗だ」「火をつけて燃やすべきだ」と叫んだ。
裁判所は、学説上では当該犯罪の非犯罪化を支持する意見が多いことに触れつつも、被告人の発言が公然と軍人の前で侮蔑・侮辱の意図をもってなされたこと、数日前に軍当局が正式に抗議を控えるよう要請していたことなどを指摘し、罰金刑に処した。
被告人は上訴したが棄却されたため、憲法裁判所に憲法救済訴訟を提起した。が、同所もこれを6対5で棄却した。多数派の意見には、軍人たちが「強い屈辱感」を覚えたことも挙げられていた。が、被告人は尚も、欧州人権条約第10条(表現の自由)に違反するとして欧州人権裁判所に申し立てた。同所は有罪判決は人権条約に反すると結論した。以下がその理由の要旨である。
543条は規定目的として正当である。もしある表現が専ら制度や個人を侮辱することだけを目的としている場合には、そのような表現に対して科される相応の処罰は、原則として条約第10条第2項に反するものとはならない。
また、申立人(被告人)が侮辱行為を行ったことも間違いはない。しかし、問題はそのような行為に対して刑罰を科して良いのかという比例性である。発言はスト中になされ、暴力、混乱、公共の秩序の乱れはなかった。すなわち、実害がなかった。
よって、国家や国民の一部を不快にさせ、衝撃を与え、あるいは動揺させるような思想であっても、第10条(表現の自由)による保護を受ける(=申立人を有罪としたスペインの裁判は比例性を欠く)。
岩屋氏が「立法する場合は限定的な『形式犯』(具体的な法益の侵害や実質的な危険性を必要としない犯罪)として構成するしかない」と述べたのには、こうした背景があるのだろう。が、原判決は「軍人たちが『強い屈辱感』を覚えたこと」も有罪理由としている。ここが軽視されたのは納得し難い。
最後に、日本国内で「外国国章損壊罪」が適用された事例があるので、菅間英男 著「刑法九十二条にいう外国国章の除去にあたるとされた事例」」から、その大要を紹介する。
事件は1961年9月に駐大阪中華民国総領事館邸で起きた。日中国交回復10年前の当時はまだ中華民国の大使館・領事館があった。62年6月の一審では、同月30日に被告人2名が共謀し、建造物損壊、侮辱、建造物侵入に問われ、63年11月の二審で国章遮蔽の罪が加わった。一審では「国章を台湾共和国と大書きしベニヤで覆った行為」が92条の外国国章損壊罪に当たらないとされたのである。
が、二審は「第92条の解釈上重視しなければならないのは、外国国章に対して加えられた物質的損害そのものではなく、国章の上に顕現された外国の権威に対する侮辱意思の表現である」として、国章の遮蔽も「国章が現に所在する場所において果している右威信尊厳表徴の効用を滅失または減少せしめる」と判断したのである。
高市氏がブログに「日本の威信・尊厳を象徴する国旗」と記したのは、62年前のこの事件の判例を念頭に置いてのことだったに相違ない。







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