黒坂岳央です。
昨今、誰も彼も「コスパ」を追求する時代になった。その風潮を批判をするつもりはない。筆者も若い頃は世間でコスパという言葉が出回る前から、コスパ厨だった。
電機製品は価格.comを入念にチェック、ホテルやレストランは星4.2以上のみ。最安値やセール以外では買わない。SNSやインフルエンサーの紹介以外は財布を開かない。確かに一見するとコストを最小化する合理的行動に見える。
だが筆者は元々、誰よりもコスパ厨だったからこそ言える。それは合理性というより、リスクを取れない臆病の合理化であり、お金は残っても経験値を失う行為だと。

コスパで人生経験がなくなる
人間の判断力は、想定外の経験から鍛えられる。期待して買ったものが外れたときの解像度、躊躇したものがもたらした感動の肌感覚など、こうした振れ幅の蓄積が、その人固有の認識精度を形成する。
買い物上手、ビジネス上手、投資が上手い人。これらはほぼ例外なく、お金の失敗を経験している人たちだ。自分は昔、怪しげな通販で騙されて粗悪品をつかみ、事業投資の失敗で無駄金になり、投資で当時持っていた全財産を失った経験がある。
悔しい。夜、辛くて眠れない。こうした経験をしたからこそ、今では大きな失敗をしない。もちろん、成功率100%などと言うつもりはないが、「上手にリスクを取る買い物」が出来るようになったと思っている。失敗しても損傷軽微で負われる。それは過去のお金の失敗経験がこれ以上ない授業料になったからだ。
コスパ至上主義はこの学習機会を自ら潰してしまう。ネットの評価で事前に期待値を固定し、外れをゼロにすることで、経験から得られる情報量も同時にゼロにしている。結果として彼らが語れるのは、ネット上にすでに存在する情報の焼き直しだけになる。
彼らの言うコスパとは「想定内」のことだ。想定していた通りの結果、機能、体験のみ。そこには新たな人生経験を獲得する余地はない。まるで味のない肉を噛んでいるようなものだ。
別に誰が何をするのも自由ではあるが、コスパを気にする人たちはとにかく体験談がない。コスパを追求する人生とは、すなわち全てが想定内なのでビビッドに感情が動かず、記憶に残らず、一次情報もない。だから自分の意見もなく、「お金を増やす」以外に特にやりたいこともない。かつての自分はまさにそうだった。
反面、上手に心を楽しませるお金の使い方をする人は一次情報の塊であり、面白い人生経験もたくさんしていると感じる。たとえば事業に失敗して復活した経営者などはおもしろエピソードの塊だったりする。
あの世にお金は持っていけない。人生とは「経験値」が豊かさを決めるので、自分は幾ばくかの節約より経験値を優先したいと思うのだ。
選択的集中が真のコスパ
もちろん、全領域で最高級を求めよという話ではない。本質的でない領域は徹底的に効率化すればいい。
賛否両論ありそうだが、筆者は昔からスーツにお金をかけない。なんなら今は一着も持っておらず、子供たちの入学式や卒業式はレンタルで済ませた。ビジネスの本質は結果と信用の蓄積であり、服装はその従属変数に過ぎない。
凡庸なスーツで顧客の課題を解決できる人間のほうが、高級スーツを着た無能よりトータルコスパが高いと感じる。もちろん、高級スーツを着て仕事が出来るのがベストだろうが、この場合も比重は圧倒的に仕事の結果だろう。
一方、食事と健康への投資は別の論理で動く。海外産の激安野菜と、旬の割高国産野菜の差は価格ではなく、身体パフォーマンスへの影響の大きさだ。時間あたりの生産性で飯を食っている人間にとって、体調不良による数日のダウンは、節約した数千円を軽く吹き飛ばす損失になる。
健康への投資は保険料ではなく、稼働率の維持コストである。「野菜は高いからいらない」という人は短期的なコスパを最大化しているが、長期的には非常にコスパが悪い戦略を採用していると言える。
また、「安物が壊れてもまた買えばトータルで安い」という人もいるが、これも疑問だ。特に時給が高い人には非常に割高である。安物を買って壊れたら、買い直しの検索時間・移動コスト・稼働停止ストレスが起きる。時給数万円の人間が数千円を節約するために数時間を使えば、それは明確な赤字だ。
実はコスパがいい旅行
そして「旅行」ほどその人のお金への態度が現れるものはない。「旅行なんてコスパ悪い。家でネトフリでいい。お金使いたくない」という人もいるし、「旅行は好きだが最安値のホテルのみ」という人や、「旅行は思い出と経験値への資産投資」と筆者のような考え方の人もいる。
昔は典型的なコスパ厨で、都会への旅行はネカフェのナイトパックに泊まり、地方はレンタカーで車中泊ばかりだった。これはこれでなかなか楽しかったが、睡眠の質が悪くて翌日の行動に影響が出るなど、時間と快適さを捨てていると後に理解した。
今では旅行は思い出という資産、それから家族の絆への投資と思っている。だから旅行には事業投資に負けないくらいお金を使っている。そのくらい人生にとって重要なイベントだと解釈しているからだ。
たとえば筆者は北海道ニセコに行った時、面白い体験をした。外国人スタッフが外国人客を接客し、スタッフによっては日本語で話すと英語で返ってくる。うどん1杯3000円、ポテトサラダが2000円。おそらく世間的なコスパ評価で言えば「最悪」の場所だろう。
特に面白かったのは、宿の部屋に置かれた分厚い英語の冊子だ。ニセコのラグジュアリールームが「5億円」という価格で販売されていたのだ。パラパラめくると、4億円、3億円の部屋もある。すごい価格だ。地元の人は買えないだろう。完全に外国人向けのマーケティングだ。
日本語メディアを追っているだけでは、この肌感覚には永遠に辿り着けない。実際にその場に身を置き、3000円のうどんを食べ、北海道の田舎で5億円の家が売られている体験で、外国資本による日本不動産の収奪規模を体感として理解できた。
非常にビビッドな体験だったので、今でもその時の感情や空気感をよく覚えている。その他の旅行体験も自分の感情を大きく動かした。どれだけ部屋でインターネットを使ってもこのリアル感は生まれないだろう。やはり旅行は体験価値としてはトータルコスパは高いのだ。
お金のためなんかに思い出を捨てるな
資産効率を最大化するために、あえて築古なボロ戸建てに住み投資に回すという戦略がある。YouTube、書籍、記事でもこの戦略を推奨するコンテンツを見る。ここでの論点は「買おうと思えば良い物件を得られる経済力があるが、家ではなく株式に投資しよう」という提案だ。お金がなくてボロ戸建てしか買えない話ではない点に留意頂きたい。
その理屈はよく分かる。確かに資産は増えるだろう。だが、トータルコスパは本当に高いのだろうか。子供と良い家で快適な生活をするという体験をボロ戸建てと交換しているという見方が出来ないだろうか。そういう視点だとこの判断はコスパが悪いと自分には思える。
家は環境への投資
筆者が現在の住まいを取得した動機は「家族に最良の環境を確保する」という体験重視だ。住居、周辺環境への投資をすることで、子供たちの教育や自分のビジネスをブーストする目的で購入した。
そして現在進行系で、新しい家で家族と新しい思い出が作られていっている。以前の環境では接点のなかったタイプの子供たちが、息子の日常に入ってきている。
ここには医師や経営者、日本に移住した外国人富裕層の家庭が多い。先週、息子が家に連れてきた子はロレックスをはめていたので、「その時計すごいね!」といったら、「これ誕生日にパパに買ってもらった」と言っていた。その子を家に送ったら玄関にベントレーがとまっていた。
子供たちがこの新しい世界をどう受け取るかはまだわからない。毎日、ボール遊びや鬼ごっこをして無邪気に遊んでいるが、新天地で吹く新しい風の影響があるはずだ。クラスメイトに異常にタイピングが早い子がいて、それに触発された息子が猛烈にタッチタイピングの練習を始めた。娘はピアノやヴァイオリンに興味を持った。「家は環境への投資」は間違いないと思うのだ。
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昨今、最安値圏で目的達成をする買い物を「コスパ」と呼ぶ風潮があるが、これは間違っていると声を上げたい。安物を買って健康を害したらコスパが悪すぎである。表面価格が高額でも、それで人生が豊かになったり学びを得たなら最高のコスパと自分は思うのだ。
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