「悲劇のヒロイン思考」って実在するのか:SNS時代の補助線

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Xを開くと「もう限界」「死にたい」が流れてくる。心配してリプを送った翌日、その人がディズニーで遊んでいる写真を上げている。——責める話ではない。たぶん本人にも自覚がない。だがフラクタル心理学はこの種の現象に名前をつけている。「穴掘り思考」だ。

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ポジティブな顔をしながら、実はネガティブな体験を現実化していく思考のクセだという。日常に突如、ドラマのような特別な体験が訪れる——仕事での大抜擢なら最高だが、現実は逆を引きやすい。悲劇のヒロイン状況を自分でせっせとこしらえる人のほうが圧倒的に多い、というのが理論の見立てである。

例。高校生のあなたが七十点を取った。友達も似たような点。だがあなたはこう切り出す。「わたし、昨日の夜は喘息で苦しくて……死ぬかと思った」。すると友達は「それでも同じ点取れたんだから、頑張ったじゃない」と返す。

完璧。やっていることは大したことではない。ただ「悲劇」を裏に一枚貼っただけで、「偉い」「頑張った」と褒められる。気持ちいい。だから繰り返す。これが「悲劇のヒロイン思考」の出発点だという。根は「怠慢」——努力なしに注目を得たい願望の倒錯した発露である。

整理するとこうなる。注目されるには人より一段高い場所に立つ必要がある。それは難しい。にもかかわらず注目だけは欲しい。だからわざわざ一段下がって、戻る分の「高さ」で注目を取る。書いていて頭が痛いが、Xにも、職場にも、家庭にも、たしかに似た光景はある。

恐ろしいのは、この回路が自動操縦になることだという。本人は罪悪感に気づき、アピール自体はやめる。けれど「一段下がる癖」だけが残る。気づけば、穴掘りどころかヒロインにすらなれない、ただの悲劇癖が完成する。

ここで一旦、立ち止まりたい。この概念、適用範囲を間違えると凶器になる。本当に病気の人、本当に困窮している人、構造的弱者を「穴掘りでしょ」と切り捨てる道具にしてはならない。あくまで自分自身に向けるためのレンズである。

他人を疑うために発明されたものではない。SNSで「あの人、悲劇のヒロインっぽい」と勝手に診断するのも論外だ。本人の同意なき診断は、ただの加害である。

そのうえで——この理論をハリウッド女優・中村佐恵美さんが世界中の受講生に提供している、という話を耳にした。ある受講生が講座の前後を「Before Saemi/After Saemi」というBefore/After画像に仕立て、ユーモアを交えて講師に送ったそうだ。「悲劇のヒロイン的な自認識」から「自分で人生を創っている側の意識」への転換を描いたものだったという。

私自身、書きながら何度か胸がチクッとした。心当たりがゼロとは言えないからだ。たぶん多くの読者も同じだろう。それで十分である。他人を裁く前に、まず自分に向ける。気づきさえあれば、穴を掘る手は自然に止まる。

※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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