
Daniel Balakov/IStock
西表島に初めて足を踏み入れたとき、私は思わず声を漏らした。
「日本に、まだこんな聖域が残っていたのか」。
「東洋のガラパゴス」「日本最後の秘境」と呼ばれるこの島は、八重山諸島の中でも別格である。エメラルドグリーンの海。原生のジャングル。固有の生き物たち。コンビニはない。便利なものはほぼ、ない。それが、いい。
民泊を重ねるうちに気づいた。島人(しまんちゅ)たちは、潮の満ち引きでイノー(サンゴ礁の内側)に出て魚や貝を獲り、山では季節の山菜を摘む。漁労と採集。文明社会から見れば「原始的」かもしれない暮らしの中に、私の中で長らく眠っていた何かが目を覚ました。
「生き物としての力」。そう呼ぶしかない。
夜は満天の星空の下で波の音を聞きながら眠る。朝は鳥のさえずりで起きる。視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚――都会で固く閉じていた野生のセンサーが、一斉にスイッチを入れていく。あの感覚は、東京のスパでもオーガニックレストランでも、絶対に手に入らない。
ここで多くの人は思うはずだ。「そんなのは秘境に行かないと味わえないんでしょう?」と。
違う。それが言いたい。
五感を開くのに、飛行機代も宿代もいらない。意識を少し変えるだけで、都内のどんな公園でもできる。
たとえば視覚。木々の揺れを「見よう」と凝視するのではなく、目の力をふっと抜いて〝受け取る〟。これだけで、視界の奥行きが急に立ち上がる。聴覚は、軽く目を閉じれば開く。視覚を遮断するだけで、葉擦れや水音が立体的に聞こえてくるのだ。
嗅覚。雨上がりの土の匂い、潮風、草いきれ。匂いは脳の感情を司る部位にダイレクトに届く。「香りで気分が変わる」のはアロマセラピストの言い分ではなく、神経科学の話である。
触覚は、裸足で芝生を踏むのが手っ取り早い。「アーシング」と呼ばれ、欧米ではすでに自然療法として認知されている。胡散臭く聞こえるかもしれないが、足裏から伝わる微細な刺激がオキシトシンの分泌を促すという報告もある。
そして味覚。自然の中で飲む水は、なぜか甘い。気のせい? それでもいい。気のせいで体が整うなら、安いものだ。
ここまでが、いわゆる「エコセラピー」の入り口である。
そもそも人類は、進化の時間の98%以上を森や海とともに過ごしてきた。生物学者E・O・ウィルソンは1984年、「バイオフィリア仮説」を提唱した。人間は本能的に自然との繋がりを求める存在である——と。
つまり、自然に触れて心が緩むのは「気分」ではない。DNAに刻まれた記憶が、ちゃんと反応しているのだ。
5分でいい。外に出よう。スマホは置いて。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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『医師が教える「健幸」になる休み方 沖縄式リトリート』(城所望 著)三笠書房
■ 採点結果
【基礎点】 40点/50点(テーマ、論理構造、完成度、訴求力)
【技術点】 20点/25点(文章技術、構成技術)
【内容点】 20点/25点(独創性、説得性)
■ 最終スコア 【80点/100点】
■ 評価ランク ★★★☆ 水準以上の良書
■ 評価の根拠
【高評価ポイント】
テーマの時宜性:「なんとなく不調」という現代人の慢性的訴えに「自然欠乏症候群」という補助線を引く視点が明確で、読者の自己診断を促す訴求力がある。
体験的説得力:著者が暮らす沖縄・西表島での暮らしという一次体験が論の土台にあり、輸入概念の解説書にありがちな空疎さを免れている。
実践への落とし込み:朝日を浴びる・5分の公園散歩・五感を開く5ステップ・グラウンディング瞑想など、読者が今日から試せる行動が具体的に示されている。また、構成力も高い。
【課題・改善点】
医学的エビデンスの粒度:オキシトシン分泌、副交感神経優位への切り替え、自律神経のバランスなど、神経科学・内分泌系の記述が一般読者向け概説にとどまっている。
類書との差別化:自然回帰・マインドフルネス・五感を開く実践書は近年すでに飽和傾向にあり、本書独自のフレームをより前面に立てる工夫が望まれる。
都市生活者への射程:西表島の暮らしの描写は魅力的だが、都会で生活を送る読者にとって「再現可能な部分」と「移住しない限り無理な部分」の線引きをより明確にしたい。
■ 総評
本書は現代人の不定愁訴に対して「自然欠乏症候群」という鮮明な補助線を提示し、西表島での著者の一次体験という稀少な視座から自然療法の意義を説く点に強みがある。海外文献の引用と実践メソッドの提示が両輪として機能しており、読者が概念理解と行動変容の両方に進める設計となっている。
一方で、神経科学的記述の浅さや類書との差別化、都市生活者への射程の明確化に課題を残す。総じて、自然と健康というテーマに関心を持つ一般読者に対して、入門書として水準以上の役割を果たす良書と評価できる。








コメント
映画PERFECTDAYS的
私も母親が54の時に奄美大島の人と再婚したので奄美大島に行く機会がありました。本当はもっと行かないといけないのだけどなかなか貧乏暇ナシで行けていない。
初めて奄美行った時、目の前はエメラルドグリーンの東シナ海でまるでプライベートビーチ。スポーツ嫌いの私でも水着を持ってきていてほとんど1日を海で過ごしました。ゴミなど一つもない砂浜の足裏の感触。
足が海底の砂の上に。澄みきった海の色。
人間ってどこまでも贅沢。
その時ふと、大倉山の緑の森の中にいる自分を思い出す。自分が生きて生活をする場所はどこか?生活の拠点。
プライベートビーチの心地よさと
人の手が入っているけれど映画「PERFECTDAYS」みたいな都会の木漏れ日。
どちらも必要だなって。
だって神が与えたのだから。
「浜辺のたった1人のあしあと、
それは歩けなくなったあなたを
抱き抱えて歩いた
この私の足跡なのだと。/浜辺の足跡 マーガレットパワーズ」