守屋武昌「『普天間』交渉秘録」で学ぶ「辺野古」③

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議員5人が総理に会う2日23日、守屋は仲泊の「東開発」と北部で双璧を成す屋部土建の前田雅康社長と朝食をとった。前田は癌の手術直後で弱弱しかったが、「名護市と沖縄県の政財界の主流が関与」する「沖縄の一大オペレーション」についてこう語った。この一年半後に前田は65歳で亡くなった。

沖縄全体が日米政府の合意した「L字案」に反対で、政府が「L字案」を修正して地元の推す浅瀬案に少しでも近づけば賛成に回ると、中央の政財界の人たちに思い込ませるのが狙いです。しかし浅瀬案のように海に作るのは、環境派が反対し実現不可能というのが沖縄の常識です。一部の人々は代替飛行場を作るのが難しい所に案を誘い込んで時間を稼ぎ、振興策を引っ張り出したいのです。

守屋は5議員との面会前に前田の話を総理に報告すべく、飯島秘書官に連絡を取った。守屋を見るなり小泉は「判っている、沖縄から出ている修正の動きは利権だから」と言い、報告後も「判った、俺から(5議員に)話す」と即座に了解した。総裁執務室を出ると二橋官房副長官が、「この浅瀬案のことは額賀長官も知ってるよ。後から事務方に降りてくるよ」と守屋に告げた。

5議員と総理の面会に陪席した山崎総理秘書官の話によると、席上嘉数議員が「L字案をほんのちょっと動かして欲しい」と言い、石破も「アメリカも地元が意見を出し、合理的なものなら聞くと言っています」と嘉数に同調したという。これに総理がこう答えたと山崎は言った。

そのちょっとが、君らの想像もつかない困難な状況を作り出すんだよ。今の案に協力して欲しい。特に嘉数君、君は沖縄問題を担当する内閣府の副大臣だよね。小泉内閣の方針に違反していることを判ってないの? 小泉内閣は「L字案」だよ。反対するなら副大臣を辞めてくれ。

総理は石破にも「石破君、何かあるの?」と付いてきた理由を尋ねたが、石破は何も言えず、官邸から出る際も入る時と同じように5人とは別れて、別の出口から出て行ったそうだ。だが、こうして総理が5議員に釘を刺し、修正案を否定する発言をくり返しても、沖縄側の攻勢とこれに呼応するかの様な与党議員の修正への動きはむしろ加速した。守屋はその辺りをこう日記に書いている。

3月7日
山崎先生「辺野古3区から案が出ているので防衛庁の考えを示して欲しい」

3月8日
山崎先生よりTEL「中川先生(※秀直。05年10月~06年9月党政調会長)より俺にTELがあり、沖縄県議団に対する守屋の対応、激し過ぎると憤慨していた。

深山(※総理秘書官)より「中川先生、明日小泉総理に会う」との情報。冬柴先生(※鐵三。98年~06年9月公明党幹事長、06年9月~08年7月国土交通大臣)より普天間の説明要求。夜、総理、二階(※俊博。05年10月~06年8月経産大臣)、山崎、冬柴「総理より普天間は変えない」

3月13日
冬柴先生「沖縄に行って、200m沖合に出して欲しいと陳情を受けた。大臣(額賀長官)にも話している」

3月14日
久間総務会長(※章夫。96年11月~98年7月・06年9月~07年1月防衛庁長官、07年1月~7月初代防衛大臣)「事情はよく承知、支援する。防衛庁案がベスト。辛くても頑張れ」

こうした中、3月15日に額賀が「滑走路の向きを変えることで決着したい」と言い出した。守屋は「やる必要があるかどうかは、交渉の結果で判断すべきです」と額賀を諫めたと記している。同日、小泉から守屋は、「中川、山崎、額賀に次官の判断がすべてだと伝えた。判断に迷う時は、直接、俺に電話してこい」と励まされている。

3月17日
産経一面Top「政府200~300m沖合に出すことで地元合意」。飯島秘書官よりTEL「額賀さんが弱気になっているのではないか」。山崎先生「産経記事で反対派が息を吹き返した」。

3月19日
NHK日曜討論で中川、公明党井上(※04年9月~06年9月党政調会長)、政府修正もやむなしと発言⇒山崎先生より「中川・井上の話で沖縄の空気が変わってしまった。やってられない」と激しい口調。

3月20日
大臣(※大野長官)より「中川・井上両氏に、防衛庁に任せて静かにしていて欲しいと依頼するよう」指示)

頻繁に登場する山崎と中川について守屋は、「沖縄には中川会長の後援会があることは既に触れたが、山崎元副総裁の後援会「沖縄拓政会」もあった。設立者は「金秀本社」取締役創業者の呉屋秀信氏。・・年商八百億と言われる金秀グループは、本社の他、金秀商事、金秀建設、金秀鋼材、金秀アルミなど十一社となっていた」と記している。

斯くて「修正案の作業をしている者がいる」と考えた守屋が、図面の引ける渡邊一浩土木課長を呼ぶと、渡邊は「怒らないで下さい」と釈明しつつ図面を示した。それは滑走路二本が交差する「X字案」だった。これなら埋め立て面積も増やさず、集落上空を飛ばずに済む。

大臣(※長官)から言われて、今いくつかの案の図面を引いています。大臣からは次官には言うなと口止めされています。大臣の注文は「住宅上空を飛ばない案を考えてくれ」とのこと。それをクリアするには滑走路を二本にして、着陸用と離陸用と使い分けるしかありません。これがその案の一つです」

3月19日13時から守屋は額賀と共に、「名護市との協議」の形式での沖縄との第1回目の協議に臨んだ。名護市側は1月に当選したばかりの島袋吉和市長と末松文信助役で、島袋は、移設の受け入れは「(L字案の)修正が条件」と公約としていたもの、受け入れの姿勢は比較的柔軟とされていた。

名護市が「L字案」に反対する主たる理由は、滑走路の3.6km先に住宅のある豊原地区を飛ぶからというものだが、その建物は無人の農作業小屋だった。とはいえ、島袋の当選が稲嶺知事の支持を受けてのことだった以上、「L字案」修正を迫られることに変わりなく、予想通り名護市側は消えたはずの「名護ライト案」類似の例の浅瀬案(L字案より550m沖合)を出してきた。

3月25日までの協議では、「浅瀬案は自然環境に与える影響が大きいし、騒音や危険性を回避するために海に出す理由がない。話に応じられない」とする防衛庁(第1回:19日)に対し、名護市側は「市民のリコール、住民投票、島ぐるみの闘争をしかける」と主張(第2回:20日)、守屋は「滑走路を10度振らす(※豊原地区上空を避ける)考え」を提示した(第3回:22日)。

25日の第4回協議で、「滑走路を10度振る案はカヌチャに近くなり宜野座の町中を通り、受け入れられない」と主張する末松に対し、守屋は「高度300m通過は全く問題ない」と反論した。額賀は26日の第5回に欠席し、北原巌男防衛施設庁長官が同席した。「10度振る案」が額賀案だったからだ。この日は「今まで積み上げてきたことを議事録にしよう」と提案するも、島袋は「嫌だ」と拒否した。

協議は普通、回を重ねると中身が決まっていくものだが、名護市との交渉では同じ話が何度も蒸し返された。合意議事録はこれを避けるためだったが、名護市側は応じなかった。この3月26日、額賀は渡邊土木課長に検討させた「V字案」を守屋に示した。「X字案」と共に図面を引かせた案の一つだった。

28日に小泉総理主催で山崎・額賀・守屋の4人で会食した際、以下の会話が交わされた(守屋日記)。

額賀:名護の連中、なかなか手強い。
山崎:歴代内閣が甘やかしてしまったからだ。
小泉:地元の意見を聞いてもチョットだけだ。1cmだ。
山崎:1cmでは相手をバカにしている。1mにしましょう。
小泉:今、俺がそれを言ったら大幅に緩めることになり、収拾がつかなくなる。1cmたりとも動かさないとの表現でいい。

が、額賀はこの一週間前に総理と会談した後、「総理が微修正を容認した」と、会談後の記者の取材に対して発言し、翌日の紙面で大きく取り上げられた。記事で「政府案から1センチも譲らないということではない」と額賀は総理の言葉として語っていた。飯島秘書官は立腹していたが、マスコミと国民には修正の可能性に言及したと受け止められた。

このままでは協議が纏まらない考えた守屋はこの日、沖縄中部浦添市の儀間市長に電話を架けた。政府案に好意的な儀間と、守屋はここ数日、連絡を取っていた。沖縄の様子を儀間はこう語った。

沖縄は政府案受け入れを表明すべきだと、私は北部首長会に言っています。政府は変わんないんだから、早く振興策の話を進めるべきだと。ところが島袋市長は、政府はそんなに急いでいない、時間はまだあると、北部首長会に説明している。島袋市長は政府の考えを地元にはきちんと伝えていない。だから沖縄では、政府のL字案を変えないという認識とは大きなギャップがあります。

2日後の3月30日、北部首長会の宮城茂東村村長(北部市町村会会長)、儀武剛金武町長(北部振興会会長)、志喜屋文康恩納村長、東肇宜野座村長が防衛庁を訪れ、額賀と会談した。儀武町長が「政府案(L字案)のどこに問題があるのか、地元では議論したこともない」と述べたので、防衛庁から名護市側に伝えている内容を説明して支持を要請すると、「政府案でいいと思っている」とそろって同意した。

(④につづく)

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