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2020年11月19日、新型コロナ担当大臣だった西村康稔は記者会見でこう発言した。
「感染がどうなるかというのは、本当に神のみぞ知る」
マスコミは即座に「担当大臣として無責任だ」と批判した。だが、その一言の背後に世界的権威との途方もない議論の蓄積があったことを、いったいどれだけの人が知っているだろう。
本書は、初代コロナ担当大臣・西村康稔がみずから記した578日間の戦記である。白眉は第3章「専門家との議論の舞台裏」だ。ここまで具体的かつ誠実に「コロナ対策の舞台裏」を語った一次資料は、他にほとんど存在しない。
『コロナとの死闘』(西村康稔 著)幻冬舎
尾身茂という存在
分科会会長を務めた尾身茂氏は、WHO西太平洋地域事務局長としてポリオ根絶を指揮した感染症対策の世界的権威である。2009年の新型インフルエンザ流行時には政府の専門家諮問委員会の委員長を務めた人物だ。
その尾身氏と、西村氏は毎日のように本音で議論を交わしたという。期間は約1年半。1日あたり1時間程度。ゆうに数百時間に及ぶ対話が積み重ねられたことになる。専門家の意見を尾身氏が集約し、政府内の判断材料を西村氏が伝える。互いに考えていることが手に取るようにわかる関係になっていた、と西村氏は振り返っている。
「神のみぞ知る」は、毎日の議論のなかで尾身氏がしばしば口にしていた言葉だったという。
新型コロナは無症状感染者が極めて多い。市中に実際何人いるか、誰にも正確には把握できない。日々データを分析しても、わからないものはわからない。世界の感染症と向き合ってきた専門家ですら、リアルタイムの全体像は見えない──そうした認識を専門家と共有していたからこそ、思わず漏れた本音だった。
ここで少し解説を加えたい。記者会見で日々発表される「新規陽性者数」は、実はその日に感染した人の数ではない。約10日から2週間前に感染した人が、潜伏期間を経て発症し、検査を受け、結果が出て、ようやく「今日の数字」として報告される。
東北大学の押谷仁氏は、毎日のように47都道府県のエピカーブ(発症日別の感染者数の推移)を分析し続けたという。この時間差を踏まえて読み解かなければ、感染状況の本当の姿は見えない。そうした基礎構造を、政治家もメディアも国民も共有できないまま、表層の数字だけが独り歩きしていた。本書はそのことを静かに告発する。
結集した、各分野の知性
本書を読み進めると、政府の対策を支えていた専門家ネットワークの厚みに改めて驚かされる。国立感染症研究所の脇田隆字所長によるゲノム解析、東京大学医科学研究所の河岡義裕教授によるマウスを用いた変異株の病原性研究、川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長による現場のサーベイランス、国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏による重症度の評価。
あごヒゲがトレードマークの忽那賢志氏とは、西村氏自身がテレビや動画で共演し、国民への発信にも汗をかいた。
ひとりの担当大臣のまわりに、これほど多様な知性が結集していた事実そのものが、一読に値する。
読まずに断ずるという暴力
本書のAmazonレビュー欄には、発売直後から低評価が大量に投じられた。だが、その内容を一つひとつ眺めると、本書を実際に読んだうえでの評価とは到底思えないものが少なくない。見出しや断片的な報道、あるいは著者への先入観だけで本を切り捨てる。コロナ禍の最前線で連日記者会見に立ち続けた政治家に対し、ここまでの言葉が浴びせられてよいのだろうか。
賛否はあってよい。厳しい批判こそ歴史的検証には不可欠だ。だが書物への評価は、書物を読み通したうえで初めて成り立つ。それが言論の最低限の作法である。
未曾有のパンデミックの渦中で、世界的権威と毎日真剣勝負の議論を重ね続けた政治家がいた。その膨大な対話の軌跡をこうしてまとまった形で残してくれた西村氏の労に、評者は深い敬意を表する。少なくとも、本書を一度も開かずに著者を断罪する権利は、誰にもない。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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