映画『Michael/マイケル』は、マイケル・ジャクソンという20世紀最大級のポップスターを描く伝記映画です。日本では6月12日公開予定です。
主演はマイケルの甥であるジャファー・ジャクソン。監督は『トレーニング デイ』『イコライザー』シリーズのアントワーン・フークア、製作には『ボヘミアン・ラプソディ』のグレアム・キングが名を連ねています。
しかし、この映画を通常の意味での「伝記映画」として見ると、少し肩透かしを食うかもしれません。むしろ本作は、マイケル・ジャクソンという存在を検証する映画ではなく、彼の音楽とパフォーマンスを巨大スクリーンで再体験する「追悼ライブ」に近い作品なのです。
問われるのは「人物の真実」か「体験の再現」か
伝記映画には、大きく分けて二つの方向があります。
一つは、人物の光と影を掘り下げ、成功の裏側にある葛藤、矛盾、失敗、罪まで描こうとする映画です。もう一つは、観客がすでに知っているスターの魅力を再構成し、その時代の熱狂をスクリーン上に再現する映画です。
『Michael/マイケル』は、明らかに後者に近い作品です。もちろん、父ジョー・ジャクソンとの関係、幼少期からの過酷な訓練、若くして背負ったスターの孤独といった要素は描かれるでしょう。公式の紹介文でも、父の支配と自身の夢の狭間で揺れながら名曲を生み出していくマイケルの姿に触れています。
ただし、この映画の中心にあるのは、心理的分析ではありません。観客が見たいのは、「スリラー」や「ビリー・ジーン」や「バッド」の時代に何が起きていたのか、あのムーンウォークはどのようにスクリーンに蘇るのか、そしてマイケルの身体表現がどこまで再現されるのか、という点です。
つまり本作は、マイケルという人物を裁く映画でも、再評価する映画でもなく、彼の存在そのものを巨大な音響と映像で浴びる映画なのです。
批評家と観客のズレ
この種の音楽伝記映画では、しばしば批評家と観客の評価が分かれます。批評家は、「どこまで踏み込んだか」を見ます。人物の矛盾を描いたか。時代背景を検証したか。スター神話の陰にあった不都合な問題を避けなかったか。そうした観点から映画を評価します。
一方で観客は、より単純です。自分の記憶の中にあるスターが、もう一度スクリーンの上で輝くかどうかを見ています。そこに感動があれば、細部の弱さや脚本上の省略は、ある程度許されます。
実際、海外では興行的な成功が大きく報じられています。AP通信は、北米公開4週目に再び首位に返り咲き、世界興収が7億ドルを超えたと伝えています。批評面の議論とは別に、観客が劇場へ足を運んでいることは明らかです。(AP News)
これは『ボヘミアン・ラプソディ』にも似た構図です。映画としての完成度や史実の扱いには批判があっても、最後にクイーンの音楽が鳴り響けば、観客は満足して帰る。『Michael/マイケル』もまた、映画館をライブ会場に変えるタイプの作品なのです。
「影」に踏み込まないことの限界
ただし、そこには限界もあります。マイケル・ジャクソンは、単なる成功者ではありません。人種、家族、名声、メディア、整形、孤独、スキャンダル、訴訟、そしてスター産業の残酷さを一身に背負った人物です。
彼の人生を描く以上、避けて通れない論点はいくつもあります。ところが、映画が「音楽体験」としての完成度を優先すればするほど、そうした重い問題は背景へ退いていきます。
もちろん、すべてを一本の映画に詰め込むことはできません。マイケルの人生はあまりに長く、複雑で、しかも現在もなお評価が定まっていない部分を含んでいます。だからこそ、製作者が「検証」よりも「再現」を選ぶのは、商業映画としては理解できます。
しかしその場合、本作は「マイケル・ジャクソンを理解する映画」ではなく、「マイケル・ジャクソンをもう一度体験する映画」になります。ここを取り違えると、評価は大きく分かれるでしょう。
甥が演じることの意味
主演がジャファー・ジャクソンであることも、この映画の性格を象徴しています。血縁者がマイケルを演じるという設定は、観客に強い説得力を与えます。単なるモノマネではなく、どこか「受け継がれた身体」に見えるからです。声、動き、立ち姿、横顔。その細部に、観客は本人の影を見てしまいます。
しかし同時に、それは映画を批評的な距離から遠ざける効果も持ちます。マイケルを外側から冷静に見るのではなく、彼の神話の内側から再現する方向へ引き寄せるからです。
その意味で、ジャファー・ジャクソンの起用は、単なるキャスティングではありません。この映画が「解剖」ではなく「召喚」を目指していることを示す選択なのです。
これは映画館で見るべき「儀式」
『Michael/マイケル』を批判的に見ることは簡単です。都合の悪い部分を避けている、スターを美化している、伝記映画として深みが足りない。そうした批判は、おそらく一定程度当たっています。
しかし、それでもこの映画には強い意味があります。マイケル・ジャクソンの全盛期をリアルタイムで知る世代にとって、本作は過去の記憶を呼び戻す映画です。一方、彼をYouTubeやTikTokでしか知らない若い世代にとっては、なぜこの人物が世界を熱狂させたのかを体感する入口になります。
つまり本作は、映画というよりも、世代をまたいだ追悼の儀式です。マイケルを知る人は、かつての記憶を確認するために劇場へ行く。マイケルを知らない人は、なぜ彼が「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたのかを知るために劇場へ行く。
そしてスクリーンに音楽が鳴り、観客が身体で反応した瞬間、この映画は伝記映画であることをやめます。そこに現れるのは、巨大な追悼ライブとしての『Michael/マイケル』です。







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