辺野古沖転覆事故、志位議長が共産党の「政治介入」を棚に上げて文科省を「政治介入」と猛批判

辺野古沖転覆事故をめぐり、日本共産党の志位和夫議長は、文部科学省の対応を「教育への政治介入」と批判している。しかし、これは問題の本質をすり替えるものだ。問われるべきは、文科省ではなく、特定の政治的立場を教育現場に持ち込み、高校生を危険な抗議活動に巻き込んだ側の責任である。

  • 文科省は22日、学校の安全管理が著しく不適切だったと指摘し、教育内容についても教育基本法第14条第2項に違反すると認定した。
  • これに対し、日本共産党の志位和夫議長は自身のXで文科省の対応を「不当な政治介入」と非難し、同党の山添拓政策委員長も教育内容への判断を批判した。

  • しかし、教育現場に政治を持ち込んだのは、文科省ではまったくなく、共産党やその周辺団体の側ではないのか。
  • 事故は波浪注意報が出ていた危険な海域で起きた。事前の十分な下見はなく、引率教員の同行も不十分で、ライフジャケットの着用指導も杜撰だった。
  • 使用された旧式小型船は、辺野古基地建設に反対する抗議活動で日常的に使われていた船だった。
  • そもそも「平和丸」の船長は、日本共産党の公認候補だった諸喜田タケル氏である。
  • その人物が関わる船に高校生が乗せられ、政治的抗議活動の現場に向かった事実は重い。
  • 志位議長と山添政策委員長は、文科省を批判する前に、共産党関係者がこの事故にどう関わっていたのかを説明すべきである。
  • 実態は、辺野古基地建設に反対する政治運動の現場に、高校生を参加させたものだった。
  • これを単なる「平和学習」と呼ぶには無理がある。
  • 安全管理の問題は問うべきだと言いながら、教育内容の偏向については擁護する姿勢は二重基準である。
  • 生徒の命が失われた以上、まず問われるべきは「誰が政治を教育に持ち込んだのか」である。
  • その問いから逃げながら、文科省を「政治介入」と批判するのは、論理の完全な逆転である。
  • 志位議長と山添政策委員長が本当に教育の自由を重んじるなら、まず生徒を危険な抗議活動に参加させた経緯を検証すべきである。
  • 遺族への真摯な謝罪や党関係者の関与についての説明を避けたまま、文科省批判に終始する姿勢は無責任である。

志位議長と山添政策委員長は、文科省の対応を「教育への政治介入」と批判している。しかし、今回の事故で問われるべきは、誰が高校生を危険な抗議活動の現場に連れて行ったのかという点である。教育現場に政治を持ち込んだのは、文科省ではなく、共産党やその周辺勢力ではないのか。生徒の命が失われた以上、文科省批判に逃げ込むのではなく、党関係者の関与と教育現場の政治化について説明する責任がある。

日本共産党志位議長 Wikipediaより2

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コメント

  1. 早川蒼真 より:

    志位議長と山添政策委員長による文科省批判は、明らかなブーメランであり、自党の教育現場への関与を棚に上げたブーメランである。使用された「平和丸」は辺野古抗議活動で日常的に使われていた船であり、船長は共産党公認候補だった諸喜田タケル氏である。

    そもそも共産党は、これまで繰り返し教育現場へ直接的な働きかけを行ってきた。

     ★2016年、千葉県松戸市の小学校で新1年生に「戦争法廃止を求める署名」を含むチラシが配布され、市教委も「政治的に偏った内容」として注意喚起した。作成主体は共産党系団体と批判された新日本婦人の会松戸支部である。
     ★2020年には共産党伊豆地区委員会が「学校再開にあたっての緊急提言」を地区内全小中学校105校の校長宛てに直接届けている。政党組織が学校長に直接文書を届ける行為そのものが、教育への政治的働きかけである。
     ★2014年の鹿児島市立中学校自衛隊写真展問題では、訓練写真パネル展示に対し共産党鹿児島市議団が市教委に抗議し撤去させたと、しんぶん赤旗自身が成果として報じている。板橋区議団は中学生の職場体験先から自衛隊を外すよう教育長に申し入れ、川崎市でも市議団が自衛隊体験入隊・職場体験の自粛を求めた。生徒の学びの機会を特定の政治的嫌悪感で奪う行為は、公教育の歪曲そのものである。

    配布資料への「検閲」も同様だ。

     ★2025年、防衛省が全国約2400の小学校に子ども版「防衛白書」を計6100冊配布した際、鶴岡市などで共産党市議団が教育長に回収を申し入れた。
     ★2022年のALPS処理水チラシ問題でも、岩渕友参院議員が回収を要求し、茨城県委員会も配布中止を申し入れている。

     国の説明資料を「政治介入」と非難する一方、自らは気に入らない資料の「回収・配布中止」を行政に迫る。これほどブーメランの度合いが高い話はない。国の資料は「政治介入」、共産党側の回収要求は「市民的チェック」というのでは、完全なダブルスタンダードである。教科書採択も同じである。

     ★育鵬社版などに対し、共産党と周辺運動は各地で組織的な不採択運動を展開し、横浜市議団は不採択を「市民運動の背景があった」と声明し、赤旗は「9年間の運動の成果」と自賛した。

    教科書採択は教育内容の核心であり、そこに執拗な政治的働きかけを続けてきた政党が、文科省の教育内容への判断だけを原理的に否定することはできない。

     ★東京都の「日の丸・君が代」問題でも、2021年に共産党都議団が卒業式・入学式で「君が代」のCD演奏を強制しないよう都教育長に申し入れている。式典運営という現場に政党が直接注文をつけている事実は動かない。

    歴史的にも、1961年の学力テスト阻止行動をめぐる旭川学力テスト事件の最高裁大法廷判決(1976年5月21日)は、国が教育内容に全く関与できないとする極端な説を退け、必要かつ合理的な範囲で教育政策を定め関与する権限を明確に認めている。「関与はすべて政治介入だ」という志位議長らの単純化されたロジックは、判例に照らしても成立しない。

    結局、問題は「誰が介入したか」ではなく、「子どもの利益、安全、政治的中立、複数意見の提示が守られているか」である。長年にわたり教育現場への介入・検閲・排除運動を繰り返してきた政治勢力が、自らの関係者が引き起こした凄惨な事故と政治偏向教育の露呈に直面した途端、文科省の正当な行政指導を「政治介入」と呼んで被害者面をするのはブーメラン。何より今回は生徒の命が失われている。志位議長と山添政策委員長がまず行うべきは、文科省批判ではなく、遺族への真摯な謝罪と、辺野古学習が中立性と安全性を満たしていたのか、党関係者や周辺運動との関係はどうだったのかについての徹底的な説明である。そこから逃げて文科省だけを「政治介入」と批判する姿勢は、教育者としても政治家としても無責任の極みであり、ブーメランと言われても仕方ない。