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皇族の数の確保に向け、衆参両院の正副議長がまとめる原案もあり、皇位継承問題が議論されています。現代という時代の感覚を反映した意見もあれば、神話、伝承、創作による古事記、日本書紀の世界に染まっているか、それを口実にしている意見もあります。
神話、伝承の世界を尊重するのは自由にしても、今後も存続できるかどうかの危機に瀕している皇族のあり方を決める立法府、政府関係者は神話時代の意識から抜け出し、現実を見て決断してほしい。
読売の連載「皇位継承」を読んで驚く
読売新聞朝刊のインタビュー連載「論点―皇位継承」を読んで驚きました。自民党政調会長の小林鷹之氏が「初代の神武天皇以来、126代にわたり、例外なく男系で継続されてきた世界で唯一無二の伝統は重い」と述べています。「初代から126代」、「例外なく」、「男系で継続」は本当ですか。
このような神話化された意識で今後の皇室制度を考えている人がいるのです。しかも自民党のホープ、50代の中堅世代の議員です。実在が確実視されているのは21代雄略天皇か26代継体天皇以降で、それ以前の天皇は神話、伝承、創作によると、天皇史の専門家が言っています。「126代にわたる天皇制」は虚構でしょう。
古事記、日本書紀から始まった天皇史の虚実
天皇に関する記述が歴史書に登場するのは、古事記(712年成立)、日本書紀(720年成立)で、国外に向けて日本が格式の高い国家であることをアピールする目的で編纂されたとされます。さらに明治期に入り、近代国家として国際社会にアピールするための権威づけになるよう天皇制を位置づけた。
笠原英彦氏の「歴代天皇総覧―皇位はどう継承されたか」(中公新書)は「初代の神武天皇は紀元前660年に即位。即位年は中国の史書を模範に決めた。実在を確認することは困難」と指摘しています。しかも没した年齢は127歳(日本書紀)と信じ難い長寿で、とにかく神話時代の話です。
この著書では神武天皇以降も「天皇の事績、実在をまったく知ることができない、伝えられていない」などの記述が続きます。実在が確実とされる21代雄略天皇になると、史実らしい詳しい記述がなされ、それでも「古事記によれば在位23年、124歳で葬られた」と。えっ、124歳ですか。想像による伝説でしょう。
天皇126代のうち初期の20〜30人は虚構
こんな具合ですから、小林氏の「初代の神武天皇から126代にわたりただの一度も例外なく男系で継承されてきた」にはあきれます。そんな意識で今後の天皇制を考えているようでは困る。
この連載を書いている読売新聞の社説(5月17日)は見出しで「皇位継承―男系に固執し実現できるのか」と、ずばり切り込みました。そこは評価できるのに、その社説の書き出しは「126代にわたって男系で皇位を継承してきた日本の天皇制は世界に例を見ないものだ」でした。これも「126代」、「男系で継承」の神話を書いています。
笠原氏は「神話時代、古代、中世、近世、現近代」に分けて考察しています。「天皇という号の成立期は7世紀後半の天武・持統天皇の成立を想定する学説が有力である」と記述しています。とにかく「126代にわたる日本の天皇制」などと言うべきではないでしょう。
この社説では「男系男子以外に皇位継承資格を認めないという前提にこだわり続けていたら、天皇制そのものの存続が危うくなる」と主張し、女性・女系天皇を容認する考えをにじませています。それには全く同感です。
側室制度がなくなり男系確保が困難に
この連載では、所功・京都産業大名誉教授が「女性皇族との結婚で迎えられた夫も子も皇族となり、そうしなければ皇室に公務を担う皇族の数は増えない」と指摘しています。
笠原英彦・慶大名誉教授は「現在の皇室典範で従来の側室制度を除外したことで永続的に男系皇族を確保するのが難しくなった。それにもかかわらず、明治に採用した男系限定を改めようとしなかった政治の不作為が皇位継承者の急激な減少を招いた」といい、これは正論です。
野田佳彦・元首相は「旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎える案は、憲法が禁じる門地による差別になる。男系男子にこだわるべきでない」と指摘しています。正論です。
一方、冒頭の小林氏は「女性皇族の夫や子には、皇族の身分を与えるべきではない。将来、女系天皇が誕生する道につながりかねない」と、あくまで男系男子に固執しています。どうかと思います。
男系男子は明治以降の定めにすぎない
この連載とは別に、アゴラの代表、池田信夫氏が
「普通に考えれば、皇室典範を改正して、愛子様が皇位を継承すればいい」
「日本の天皇は中世以降は実権がなくなったので、血統には意味がなかった。平安時代には天皇が藤原家に婿入りし、実質的に女系で相続された。男系男子を定めたのは、明治22年に皇室典範を書いた井上毅である。天皇家がこれほど長く続いたのは、多くの側室の生んだ子から男子を選んだためだ。歴史上の天皇の多くは側室の子である」
と述べています。男系にこだわるのはおかしいとの指摘です。
とにかく適齢期に入っている愛子様、佳子様のことを考えれば、結論を早く出すべきです。その場合、愛子様より若く、皇位継承者になっているとされる悠仁親王の継承順位はどうなるのでしょうか。
野田元首相のいう「もう少し時間をかけた方がいい」にも、小林氏の「悠仁親王が皇位を継承された後の話は、議論の機が熟していない」にも反対です。時間をかけていたら、皇族数が減るばかりでしょう。
編集部より:この記事は中村仁氏のnote(2026年5月30日の記事)を転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は中村仁氏のnoteをご覧ください。







コメント
>> この連載とは別に、アゴラの代表、池田信夫氏が
>> 「普通に考えれば、皇室典範を改正して、愛子様が皇位を継承すればいい」
>> 「日本の天皇は中世以降は実権がなくなったので、血統には意味がなかった。
>> 平安時代には天皇が藤原家に婿入りし、実質的に女系で相続された。
>> 男系男子を定めたのは、明治22年に皇室典範を書いた井上毅である。
>> 天皇家がこれほど長く続いたのは、多くの側室の生んだ子から男子を選んだためだ。
>> 歴史上の天皇の多くは側室の子である」
# 天皇と藤原家の話を、ただしく考えよう
文章を読みました。「これからの天皇のことを、今のままのルールでいいのかな?女の人が天皇になってもいいのでは?」と問いかけることは、わかります。
今は昔とちがって、天皇の子どもの数が少なくなっています。だから「これからどうやって天皇をつないでいくか」を考えるのは、大事なことです。「愛子さまが天皇になればいい」という意見も、一つの考え方として理解できます。
でも、その理由として出てくる「むかしの話(歴史)」には、まちがいがあります。そこをはっきり伝えたいと思います。
## 「天皇が藤原家にお婿に入った」はまちがい
ある人が「平安時代は、天皇が藤原家にお婿に入って、じつは女の人の血すじで天皇がつながっていた」と言っています。でも、これはまちがいを生みやすい言い方です。
ほんとうはこうです。むかしは、夫が妻の家に通ったり、妻の家にいっしょに住んだりする結婚のかたちがありました。藤原家はこれを使って、自分の娘を天皇のおきさき(つま)にしました。そして「天皇のおきさきの家がら」として、強い力を持ったのです。
ここで大事なことがあります。
– 天皇が「藤原」という名前になったわけではない
– 天皇が藤原家の人間になったわけでもない
ただ、住む場所が妻の家だったというだけの話なのです。
## 藤原家が強かった本当の理由
藤原家が強かったのは、「天皇が藤原家に入ったから」ではありません。「天皇のお母さんの家がらだったから」です。
たとえば、藤原道長の娘がおきさきになり、その子が天皇になりました。でも、その天皇の「お父さん」は、ちゃんと前の天皇です。
> 「藤原家の子だから天皇になった」のではなく、
> 「天皇の子で、たまたまお母さんが藤原家だった」のです。
だから、これを「女の人の血すじでつながった」と言うのは、まちがいなのです。お母さんの家が強かったことと、天皇は父からつながっていることは、ちゃんと両立します。
## 「平安時代」とひとまとめにしない
平安時代は約400年もあります。とても長いので、最初・まんなか・終わりで、結婚のかたちもちがいます。
そして、藤原家の力がおとろえたあと、藤原家とつながらない天皇も出てきました。これは「天皇は藤原家のものではなく、ちゃんと天皇家のものだった」という、何よりの証拠です。
## 力がなくても「血すじ」は大事だった
「むかしの天皇は力がなかったから、血すじなんて意味がなかった」という意見もまちがいです。
じつは、ぎゃくです。力がなかったからこそ、「正しい血すじの天皇だ」ということが、いちばん大事だったのです。
もし血すじに意味がなかったら、足利家や徳川家が天皇をなくして、自分が王さまになっていたはずです。でも、そうしませんでした。みんな天皇の力を借りようとしたのです。
## まとめ
– 「女の人が天皇になっていいか」を考えることは、できます。
– でも、その理由に「むかし女の人の血すじでつながっていた」と言うのは、まちがいです。
天皇のことを決めるなら、なおさら、ほんとうの歴史をきちんと調べて、まちがいのない言葉で話すことが大切です。