中東危機に揺れる欧州:原発回帰とその実相は

今年3月、パリで開かれた原子力エネルギー・サミットで、欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長がこう述べた。「信頼性が高く、手頃で、低排出のエネルギー源に欧州が背を向けたことは、戦略的誤りだった」。

この発言が重いのは、発言者自身が2011年にドイツの原子力廃止を決定した内閣の一員だったからだ。欧州の指導者が、自らの過去の判断を公式の場で「誤り」と認めたことになる。

では、欧州はなぜ原子力から離れ、そして今また向き直ろうとしているのか。

2021年末にオフラインとなったドイツ・グローンデ原子力発電所 Wikipediaより

原発ブームから脱原発へ

欧州が原子力に大きく舵を切ったのは、1973年の第一次石油ショックがきっかけだった。各国政府は1970〜80年代にかけて原子炉の建設を積極的に推進し、1990年ごろには欧州の電力の約3分の1が原子力でまかなわれるまでになった。

しかし、1986年のチェルノブイリ原発事故が大きな打撃を与えた。放射能汚染が国境を越えて広がる恐怖を各国が共有し、イタリアは国民投票で原子力放棄を選択、ドイツでは反核運動が盛んになり環境政党「緑の党」が政治的影響力を強めた。

21世紀に入ると再生可能エネルギーへの楽観的な期待が広まり、2011年の福島第一原発事故が脱原発への決定打となった。日本のようなハイテク国家でさえ深刻な事故を防げなかったという現実がメルケル独首相(当時)を動かし、ドイツでは事故からわずか4ヶ月後に全原発廃止の法律が可決された。ベルギーも相次いで廃止方針を固めた。

フォン・デア・ライエン委員長は欧州の原子力の発電シェアは平均15%にまで低下していると述べた。これは英国など非EU国も含む欧州全体の数字だ。

ただし、EU27カ国に限れば増加傾向が続いている。欧州委員会が5月に公表した最新データでは、2024年のEUの原子力発電シェアは23.3%に達し、前年比4.8%増だ。

ふたたびの危機、ふたたびの転換

2022年のロシアによるウクライナ全面侵攻が、脱原発への動きを一変させた。

安価なロシア産ガスへの依存という構造的脆弱性が露わになり、電力価格は急騰した。そして今、米国とイスラエルによるイランへの大規模攻撃で始まった新たな中東戦争の中で、ホルムズ海峡の混乱がエネルギー価格を再び押し上げている。

これを受けて、イタリアは原子力禁止令を廃止する法案を準備し、ベルギーは脱原発方針を転換、スウェーデンは40年来の廃止決定を覆した。

最も象徴的なのがドイツだ。EU内で原子力の再評価を長年阻んできたが、その反対姿勢を撤回することに合意した。

原子力を推進するフランスとドイツの電力価格の差は際立っている。直近の先物価格予測では、ドイツの電力価格はフランスの5倍に達するという試算も出ており、エネルギー政策の選択がすでに現実の競争力格差として表れている。

こうした動きを見ると、欧州が一丸となって原子力回帰へ向かっているように思えるかもしれない。しかし実態は複雑だ。

原子炉の建設には10〜20年単位の時間がかかり、今の危機への即効性はない。

フランスのフラマンヴィル3号機や英国のヒンクリー・ポイントCなど新型炉の建設は軒並み大幅な遅延とコスト超過に陥っている。「建てると決める」ことと「稼働させる」ことの間には大きな溝がある。

また、欧州の原発の多くは老朽化が進んでおり、現状維持だけでも巨額の投資が必要だ。建設中の原子炉はスロバキアの1基のみで、計画中も約18基にとどまる。対照的に中国では現在38基が建設中で、さらに42基が計画されている。

足並みもそろっていない。

「脱原発を堅持する」とされてきたスペインでは揺らぎが生じている。スペイン議会は昨年2月に脱原発方針の撤回を求める非拘束決議を可決している。2027〜2028年に廃炉が予定されているアルマラス原発1・2号機について、3年間の運転延長を認めるかどうかの政府判断が今年中に下される見通しで、昨年の大規模停電(ブラックアウト)が原子力維持論を後押ししたとの指摘もある。

一方ドイツは、メルツ首相が今年3月に「脱原発の決定は不可逆」と改めて明言した。メルツ首相が党首となる与党CDUは原子力に前向きだが、連立パートナーの社会民主党(SPD)が慎重姿勢を保っており、実質的な政策転換には至っていない。

さらに高レベル放射性廃棄物の最終処分地選定が難航しており、専門家の分析では「最も早くても2074年まで」かかるとされている。独メディアは廃棄物の搬入完了まで考えると「真の脱原発は2100年になる」と伝えており、回帰どころか廃炉の後始末すら見通せていない状況だ。

SMR(小型モジュール炉)への期待

EUが次世代の切り札として推進するSMR(小型モジュール炉)は従来の大型炉より建設期間が短くコストも抑えられるとされる。

今年3月にはEUが初の「SMR戦略」を正式発表し、2030年代初頭の初号機稼働を目標に掲げた

かつて原子力を敬遠してきたギリシャでは、ミツォタキス首相が3月のパリ原子力サミットでSMR導入の検討を表明。シンクタンクが「浮体式原子力発電所はギリシャにとって現実的な選択肢」とする報告書を発表した。

デンマークも今年1月からSMR導入に関する政府評価を開始している。

原子力回帰の波は、かつては考えられなかった国々にまで広がりつつある。

ただし商業規模での実績はまだなく、廃棄物をほとんど出さない夢のエネルギーとされる核融合の商業化も数十年先の話だ。「建てると決める」ことと「稼働させる」ことの溝は、SMRも例外ではない。

依存の「中身」が変わるだけなのか

原子力への回帰は、本質的な問題の解決になるのだろうか。

EU統計局(ユーロスタット)の2024年データによると、欧州のエネルギー輸入依存率は57%に達する。その燃料であるウランもまた輸入に頼らざるを得ない。

かつてロシアはEUのウラン輸入の約23%、濃縮サービスでは38%を供給していたが、ウクライナ侵攻後の脱ロシア化の取り組みにより、2024年時点でのロシアのシェアは15%にまで低下した。

最大の供給国は今やカナダ(33%)で、カザフスタン(24%)、オーストラリア(10%)が続く。

化石燃料でのロシア依存を断ち切ろうとした努力は、ウランでも着実に進んでいる。しかし依存の「相手」が変わるだけで、「輸入なしには成り立たない」という脆弱性は残り続ける。

今この瞬間、欧州を支えているのは誰か

原子力回帰が中長期の政策として語られる一方で、当面の欧州のエネルギーを支えているのはノルウェーだ。ロシア産ガスの流入が激減した2022年以降、ノルウェーは欧州最大のガス供給国となり、EUのガス輸入の約3分の1を担うに至った。

しかしその裏側には、興味深い逆説がある。

ノルウェーは国内電力の98%を水力発電など再生可能エネルギーでまかない、新車販売に占める電気自動車の比率は世界一だ。ところが地下から掘り出す石油と天然ガスの90〜95%は欧州向けに輸出されている。

国内ではほとんど消費しない資源を掘り出して輸出し、その収益を世界最大のソブリンファンド「政府年金基金グローバル」に蓄積しながら、再生可能エネルギーへの投資を積極的に拡大している。化石燃料を売って稼いだ資金が、クリーンエネルギーの未来に回る構造だ。

試算によればノルウェーが輸出した化石燃料が燃焼された際の排出量は、国内総排出量の10倍以上に達する。

自国はクリーンエネルギーの模範国でありながら、欧州には化石燃料を売り続けるという二重構造だ。この矛盾に対し、国内外から批判の声も上がっており、環境団体はノルウェーの姿勢を「気候優等生を装った偽善」と断じている。また、増産を求める欧州の声に対し、ノルウェーのエネルギー相は「生産能力の上限にある」と述べている。

欧州のエネルギー政策には一つのパターンが繰り返されてきた。

石油ショック以降、外部の危機が起きるたびに方針が揺れ動く。新たな中東紛争で生活費高騰を最大の懸念とする欧州市民に、長期的に安定したエネルギー政策を示せるかどうか。欧州指導者の悩みはしばらく続きそうだ。


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2026年6月3日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。

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