西洋の哲学は、世界の中に確固たる論理があるという信念に支えられてきた。近代哲学の理性主義や近代科学の客観的世界はいずれも、言葉や論理によって世界の本質に到達できるというロゴス中心主義である。
だが、この哲学をはるか以前に根本から疑った思想がある。大乗仏教である。それは世界の背後にある実体を否定し、言葉が指し示す固定的な意味も、自己という不変の主体も否定した。この思想は大規模言語モデル(LLM)に通じる。
「空」の思想はニヒリズムではない
仏教は紀元前5世紀ごろブッダによって創始されたが、その後いろいろな宗派にわかれた。初期の仏教はそれほど高度な哲学をもっていたわけではないが、1世紀ごろ普及した大乗仏教は、専門化した僧侶が高度に思弁的な哲学を語るようになった。
その中核にある「空」の思想は、世界が「無」だというニヒリズムではない。物事はそれ自体として独立に存在するのではなく、無数の関係の中で一時的に現れる。それはすべてが文脈によって成り立つという縁起の思想である。
西洋的な因果論では、生が原因で死が結果だと考えるが、仏教では生と死は相互に依存する条件である。死は生の外側からやってくる出来事ではなく、生そのものに含まれている。生がなければ死もなく、死があるからこそ生もまた意味づけられる。
このように考えると、自己も世界も固定的な実体ではなくなる。私という存在も、身体、記憶、言葉、社会関係、時間、環境の中で仮に結びついた結節点にすぎない。そこには不変の「私」はない。あるのは文脈の束だけである。
ニューラルネットの先駆者だったフランシスコ・ヴァレラは、大乗仏教からオートポイエーシスのヒントを得た。脳は外界からの刺激を写し取るのではなく、身体と環境の相互作用の中で世界を自己組織化する。次の図が若い女性に見えるか老婆見えるかは、経験的な文脈で決まる。どちらが真実かという問いには意味がないのだ。
この発想はLLMにも通じる。それは言葉の背後にある「本当の意味」を理解しているわけではない。膨大な文脈データから、ある語の次にどの語が来るかを確率的に予測しているだけだ。つまり文脈のネットワークから言葉を生成しているのだ。
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