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6月に思うこと①
6月というと、国会の終わりをいつも意識する。今年は、衆院解散という大イベントが途中で挟まったが、会期延長がなく、今国会も終盤に入っている。会期末まで残り約3週間という中で、国会議員の定数削減や皇室典範の改正などの「大玉」がどうなっていくのか、なかなか興味深い局面である。
議員定数の削減(小さな政府志向)や皇室典範の改正(皇統の安定的継承)と聞くと、いかにも保守政権という感じがするが、これは一体「保守なのだろうか」と、一瞬頭がこんがらがるのが、高市政権の経済政策である。
政権の大方針とも言うべき「骨太の方針」の骨格がまとまり、26の戦略(いわゆる17分野、横割り8分野、地域未来戦略で合計26)も順々に発出されつつある現在、我が国の経済政策は、ますます「国家資本主義」的色彩を濃くしている。今後は、これらの戦略の実践のため、「責任ある積極財政」という大方針の下、多額の予算が各戦略に振り分けられていくのであろう。
こう見ていくと、小さな政府・国家介入の最小化というグローバルスタンダードで言うところの「保守」(コンサバティズム)とは真逆の経済政策をとる高市政権は、少なくとも経済的に果たして保守と言えるのか、との疑念が頭をよぎる。が、世界標準とは別の日本的な意味での「保守」という文脈が仮にあるとすると、「国家資本主義」アプローチは何となくそれには馴染んでいるような気もする。不思議な感覚である。
近年、代表的な「保守」政権とされた安倍政権と比較すると、違いはより明確だ。アベノミクスは、何と言っても、第一に金融緩和であった。日銀による国債の大量引き受けという意味では国家資本主義的色彩がゼロだったわけではないが、市場に大量の資金を投入することで、民間の各主体の自主的な経済活動の活発化を促進していた。民間活動あっての(その活性化を企図しての)金融緩和であった。
当時、三本の矢などと言われてはいたが、正直、金融緩和バズーカが強すぎて、財政出動の矢の印象は薄い。あとは、どこまで本当に切り込めたかは疑問であるが、「私のドリルで、岩盤規制に穴を開ける」との趣旨のセリフも有名であった。つまり、総理やその周辺の意図としては、諸規制を緩和して、民間主導の経済成長を促そうとしていた。いわゆる三本目の矢、規制緩和=成長戦略の矢である。
三本の矢のそれぞれの強さや長さはまちまちであるが、私見では、アベノミクスでは、金融緩和という巨大な矢と、規制緩和などによる成長戦略という弱い矢が飛び、財政については、むしろ消費増税を在任中2回もやるなど、規律を重視していた面があり、大した矢が飛んだようには思えなかった。
サナエノミクス(最近はあまりこういう言い方はしないようだが、要は高市政権の経済政策)は、一見、同じ保守政権であり、安倍政権・アベノミクス継承のイメージが強いが、実はかなり違う。まずもって、日銀が決めたこととはいえ、安倍政権時とは逆に、金利はむしろ上げている(金融引き締め)。時代状況、市場環境、為替の現状などが当時とは全く違うとはいえ、少なくとも、安倍政権と同じ巨大な矢は全く飛んでいない。
そして、サナエノミクスの本質、その第一の矢は、成長戦略の矢であり、それも、安倍政権のような「規制緩和系」ではなく、「成長投資・危機管理投資系」の矢である。予定では、官民合わせて2040年度までに370兆円の投資がなされるようだが、これはもはや、国家資本主義的政策と言ってよい。
そして、それを裏付けるために、「責任ある積極財政」という標語の下、もちろん、「責任」以上に「積極財政」に重点があるわけだが、プライマリーバランス目標にとらわれずに、債務残高対GDP比をベースに、財政出動を市場の逆襲を受けないギリギリのところで機動的かつ大胆に行おうとしている。かなりアベノミクスとは異なるアプローチだ。
今回の各種戦略は、これまでの、ともすると中途半端だったかもしれない国家資本主義的アプローチの総結集、ということにも思え、15年近く国家公務員だった立場で言えば、これ以上は無理であろう、というくらい現在の官僚たちは頑張って、かなり詳細な「戦略」を考案している。普通はせいぜい3分野とか5分野とか、どんなに多くても10くらいには絞るべき「戦略」を大きく広げている(上記のとおり私の解釈は26)。その努力は多としたい。
ただ、この膨大な文書集と予算で日本が復活するのかというと、正直、疑問であるし、一時期2兆ドルを超えていたスペースX1社の時価総額(320兆円超)と、上記の国家を挙げての投資総額の370兆円を比較してみるだけで、もはや金額や政府が作る戦略の問題ではないような気もしてくる。
6月に思うこと②
15年近く国家公務員をしていたせいか、6月と聞くと何となく血が騒ぐ。ほかでもない、役人(サラリーマン一般?)が最も気にかける人事異動の季節だからだ。国会の終わりを見据えて、幹部級はもちろん、私が経験してきた係長級、課長補佐級など、民族大移動的に、霞が関中で大掛かりな人事異動が行われる。
16年前の3〜4月頃、私は、その人事異動に迷惑をかけないように、大異動より少し早めに思い切って辞職の意思を直属の課長に告げた。当時のS課長、そしてS課長のご異動後のT課長(昔お仕えしたことがあった方に再度お仕えすることとなった)は、先輩に向かってこういう言い方も失礼だが、あえて率直に書けば、いわば戦友のように、毎晩遅くまで残業を一緒にこなした方々であり、お二人とも、仕事のセンスやスピード、そしてお人柄、すべてが素晴らしく、私も本当に心から信頼する上司であった。
S課長やT課長は、私の辞意におそらくはショックを受けつつ、また、コンサルなどへの転職ではなくいきなりシンクタンクを起業するという私の案を心配して、忙しい中で、何度も何度も私と個別面談をしてくださり、いろいろな言葉でそれぞれに、翻意を促してくださった。ありていに書けば、なかなか辞めさせていただけなかったわけだが、そのプロセスは大変にありがたいものであった。
その中で、一つ印象に残っているのは、一言で言えば、お二人とも「朝比奈君、民間でやっていくということは、しかも、いきなり起業するということは、生やさしいことではないよ」ということを暗に、時にはっきりと私に伝えてくれたことである。
経産省は、よくも悪くも割と傲慢な人が多いという印象を世間で持たれているが、実は、そういう方々は目立つので増幅されて印象が伝わるが、実数で言うとおそらく2〜3割程度だ。大半の経産官僚は、民間人との付き合いの多さからか、実は、むしろ腰が低いくらいである。S課長やT課長も、仕事は肉食系ながら、人当たりという意味ではものすごく腰が低い方々で、お二人とも私より7〜9年ほど年次が上の方であったこともあり、私以上に当然ながら民間の実態を熟知していた。
S課長やT課長のセリフを私なりに理解すると、概ね以下のとおりとなる。
「役人は、大臣などの政治家が活躍する陰の黒子だと思われているし、実際そういう面があって、自分たちでは、とても地道な仕事をしているつもりであり、来る日も来る日も、資料の作成とか根回しとか、地味で目立たない仕事をしているという意識がともするとあるが、実はそれは一面に過ぎない。
政治との比較でいうと確かに黒子かもしれないが、実は民間との比較で言えば、相対的に、逆にかなり目立つことをやっている。
別の表現をすれば、役人というのは、既にある予算を使って、どのように政策遂行をするかということを考えられる、大変に恵まれたポジションであって、民間企業というのは、そもそも、その予算をどう稼ぐか、どのようにお金をもらうか、というところから考えなければならないわけで、それこそ、資料の作成や根回し以上に、大変地味に、時には何年もかけて営業をして、やっと結果が出るということもしばしばだ。
せっかく恵まれた役所という立場で、思いっきり腕を振るえるのであるからして、わざわざゼロベースで、より地味なところ、ましてやゼロベースからの起業をする必要はないのではないか。」
という趣旨であった。
今思うに、「より地味なところからやる必要はないのではないか」というより、「そんな地味なことが、これまでお金を使う側・お金があることを前提に政策を作る側しか経験していない君に務まるのか」という忠告と老婆心であったようにも思う。要は、心から心配してくれていたわけである。
そんな心配を心から理解することなく(頭では理解していたが)、日本の活性化のために起業をするんだと息巻いて役所を飛び出していた私に、大変に貴重な助言を授けてくださったのが、田中角栄通産大臣秘書官などを務めた大先輩のI先輩である。
私は、実は大先輩のI先輩とは、経産省在職中は全く縁がなかったが、民間の大変さを全く理解していない私をおそらくは心配してくださった元上司のK先輩(大先輩で次官級の経済産業審議官経験者。民間事情も熟知)が、「役所辞めていきなり起業するという人は珍しいが(当時)、私の同期で、シンクタンクを設立して成功しているのがいるから紹介しよう」と言って、引き合わせてくださったのがI先輩であった。大変ありがたい親心である。
「凋落しつつある日本をどう活性化するのか」「どのようなビジネスモデルを展開すべきなのか」。そうした理念や戦略で頭がいっぱいだった私は、I先輩に会うや否や、自分の思いを偉そうに思いっきり語らせていただいた。I先輩は、「志」を大変大事にする方という評判だったことも、私のそうしたアプローチを後押ししたように思う。
しかし、志を重視するI先輩からの最初の一言は、意外なものであった。I先輩は初対面の私に向かって、いきなり「朝比奈ちゃーん」と言葉だけ見ると大変なれなれしく話しかけてくれ(全く嫌な感じはない)、「志も大事だけど、それだけじゃ食えないよ。お金をください、と言えなきゃ」「お金をください、と言えて、初めて民間人になれる」「私も、経産省辞めて最初に仕事した時は、いろいろと汗をかいて、お礼がゴディバのチョコとかだった。チョコじゃ、食べていけないんだよ、と思いつつ、お金をくださいと言えない。あ、今ならメルカリで食べられるかもしれないが。はっ、はっ、はっ。」
そして、続けて、「仕事をください」「お金をください」と言うためには、とその要諦を授けてくれた。私なりに整理するとポイントは3つである。
まず、第一に相手にどれだけ感謝するか。仕事を回してくれたり、育ててくれたり、各種紹介をしてくれたり、という方にどれだけ心からお礼が言えるか、それが態度や行動で示せるか、ということである。
第二に、人をどれだけ紹介できるかである。I先輩は、「金もうけ」より「人もうけ」が口癖であるが、常に人が周りにいる。人脈の神様である。とても経産省での仕事だけでできる人脈ではない。人に人を紹介するから、どんどん人が紹介をしてくれ、また人が挨拶に来る。
そして第三に、どれだけ勉強するかである。様々なテーマについて専門家でなくても、また人に会う際に初対面であっても、事前にある程度勉強したり、一生懸命に勉強して取り組んだりすることで信頼が得られる。
私は、勝手に、これを「おしべ」の法則と名付けて(お礼、紹介、勉強の頭文字)、以来、ずっと大事にしているが、おかげさまでこれまでのところ、起業してから15年以上、何とか生きながらえている。まだまだ足りないとは思うが、仕事仲間や部下に対して、感謝を示したり(言葉、報酬、ポジションなど)、仕事を通じて惜しげもなく自分の人脈を紹介したり(勉強会などにそうした仲間を巻き込む、一緒に会いに行く等)、頼まれたことについては、時間の許す限りで勉強を重ねたりする中で(読書、関係者からのヒアリング等)、おかげさまで、次々に依頼が来る。
そして、改めて仕事をしてみて感じるのは、これまで付き合った仕事仲間、部下、友人の誰を見ても、大体、この法則が当てはまる。
私に対して心からお礼をしてくれたり、いろいろと教えてくださってありがとうと、感謝の言葉を柔軟に、安っぽい形でなく、素直に言えたりする人は、在職中も次の職に行っても、極端な話、どんな職に就いても、大体うまくいっている。
また、自分のこれまでの友人や仲間を紹介してくれる人の数で、大体、成功度合いが決まっている。紹介は、自分についてでなくてもよい。先輩の私にいろいろな人を紹介してもらった分、それを後輩や関係者に紹介している人は、大体うまくいっている。
塾生を紹介してくれたり、インターンを紹介してくれたり、単に面白い人がいますということだったり、様々なケースがあるが、私の紹介に応えて紹介してくれている人は大体うまくいっている。逆に、何年か付き合っている仲間や友人で、私に対してはもちろん、他者(後輩など)に対しても、あまり人を紹介している風がない人は、どことなく孤独で寂しそうだ。
全部見えているわけではないが、横目で友人や仕事仲間などを見るに、訪ねてくる後輩やかつての仲間の数などで大体、その紹介力がわかる。
そして、知らないことや新しい場所などについて、しっかりと勉強をして自分なりの付加価値を出すべく努力している人は、大体成功している。まあ、これは当然と言うべきで、ごく当たり前のことなのだが、どうしても効率よく楽をしたい、という気持ちが先行していて(損したくない)、うまくいかない人が多い。無駄な勉強というものはない、ということが身体で分かっていない。
まあ、偉そうに語れるほどの成功を収めているわけでもないので、教訓めいたことを書くのも面映ゆいが、多少なりとも日本の凋落に歯止めをかけて活性化に向けての足跡を少しばかり残し、ここまで無借金、基本的に毎年黒字で食いつないでこられているのも、先輩たちの教訓のおかげと、あえて書かせていただいた。
このメルマガは、おかげさまで登録者は1万人を超え、毎回開封率は40%となっている中(メルマガとしては異例の高さのようだ)、特に弊塾生など若い世代もある程度読んでくれているので、少し偉そうに書いてみたが、何かの参考になれば幸いである。
民間人ということの本質、民間のエッセンスを教えてくれた経産省の諸先輩や、辞めた後、様々な形で私と仕事その他で関わってくださったすべての方にこの場を借りて感謝したい。
6月の梅雨空を眺めながら
同じ成長戦略を書くにしても、実際に動く民間人の気持ち、民間人の立場が分からないと、いかに立派なものであっても、まさにそれは絵に描いた餅になりかねない。高市総理の下で、実質的に多くの戦略をとりまとめている経産省の諸賢は、伝統的に、S先輩やT先輩やI大先輩のような形で、民間人の実態や本質を、現在でも理解してくれていると思うが、ちょっと心配なところもある。
私が入省した頃に、ちょうど、公務員倫理法というものが成立した。乱暴に書けば、官民の「ずぶずぶ」の交流にストップをかけるもので、「癒着」は、そのせいもあって激減したと思う。ただ、同時に、何か大きなものも失ったような気がしてならない。民間人の気持ち、生身の人間の思い、そして、それを理解した人たちを取り巻く不思議な互恵の法則。
S先輩やT先輩やI大先輩が、官僚という立場でありながら、民間人との深く長い付き合いの中で当然に理解していた「何か」が、官民の飲み会は会費制、みたいな現在の在り方の中で失われてはいないだろうか。日本が置かれた厳しい状況=梅雨空を眺めつつ、ちょっとしためまいがする。
お金を生み出すこと、お金を伴う形で仕事をつくること、という民間の大原則、最も地道な部分に思いが至らない政治家や官僚が作る戦略ほど、空疎で怖いものはない。紙切れを作るためだけではない、本当の官民連携、官民の協力を真剣に考える6月かもしれない。







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