もはや「三大欲求より強い」承認欲求

黒坂岳央です。

おいしくて健康的な食事の代わりにジャンクフードで済ませる一方、ローンを組んでハイエンドスマートフォンを買う。睡眠時間を削ってまで「いいね」欲しさにSNS投稿に励む。性欲を後回しにしてまで見栄消費に走る。

もちろん生理学的に見れば三大欲求のほうが根本的に強い。だが、現代人にとってもはや、既存の三大欲求より強いのが「承認欲求」である。

スマホやSNSが登場するまでの承認欲求は健全なものであった。だが、現代人は承認欲求で狂い、不健全な消費をしているように思える。自分自身、20代後半で非常に痛い狂い方をしたことがあったので、あまり人様に偉そうなことを言える立場ではないが、このテーマで持論を展開したい。

BBuilder/iStock

「承認欲求」はもともとは生存戦略だった

人類は集団生活の中で「仲間から認められること」が生存と繁殖に直結してきた。

狩りがうまい、戦いに強い、仲間に貢献する。こうした行動によって得られる承認は、資源配分や配偶者選択に直結する実利である。つまり承認欲求は三大欲求とは別物ではなく、それらを長期的に獲得するための上位戦略として機能してきた。ここまでは進化的に合理的である。

また、スマホやSNSが登場する前の承認欲求は「実力」で作るしかなかった。誰もが憧れる一流企業に入社するとか、スポーツで大きな結果を出すと言ったものである。

こうした成果はお金で買うことができず、万人に簡単に手の届くものではなかった。そして社会性の高い好ましい結果は、本人も承認欲求を満たすことができ、社会的にもポジティブな結果を与えた。それゆえに、「承認欲求=良い欲求」だった。

しかし、スマホの登場で承認欲求をインスタントにお金で買うか、もしくは迷惑行為、はたまたウソで得るという不健全な社会へと変貌しつつある。

承認欲求をお金で買う人たち

現代ではブランド品、ハイエンドスマートフォン、高級車、タワーマンション、SNS映えする旅行など、金銭と演出によって短期間で「成功しているように見せる」ことが可能になった。

はっきりいって、実際にはお金で変えるシグナルなど大したことはない。スマホやブランドバッグは今どきレンタルもできるし、一般人でも背伸びすれば手が届く水準まで価格破壊が進んだ。

だが希少性が下がったことと、それが承認欲求を満たす効果を失ったことは別問題である。中身に自信がない人間ほど、こうした「本来は差別化にならないはずのシグナル」に依然として過剰な価値を感じ、虚構の経済を回してしまう。合理性で動いているわけではなく、認知が価格破壊に追いついていないだけだ。

この変質を加速させた最大の要因はSNSだ。SNSは可変報酬、つまりいつ・どれだけ反応が来るか予測できない仕組みを持つ。ギャンブルと同じ強化学習構造であり、依存性が極めて高い。だからこそ睡眠を削ってでも投稿や反応確認を繰り返す人間が量産される。

さらに比較対象の規模が桁違いになった。昔は比較相手が近所や職場の数十人だったが、今は毎日何万人もの「成功しているように見える人」と比較する環境に置かれている。心理的な基準点が上方に歪み、客観的には十分な生活水準でも「負けている」と感じやすくなる。何もしなければ「自分は劣っている」という錯覚を感じやすい。

終わりなき承認欲求の地獄に飲まれないために

つまらない承認欲求地獄に飲み込まれたら、とたんに人生はつまらなくなる。

自慢するために消費していいねがついても、みんなすぐ忘れる。初回は「ご祝儀いいね」がついても、ひたすら次の自慢消費が続けば、「またか。かまってちゃんPRうざい」とネガティブに解釈されるようになる。喜ぶのはSNSのプラットフォーマーとブランド企業だけで本人は気づかないうちに働きアリをしているだけだ。

ではこのくだらない承認欲求地獄を抜け出すにはどうすればいいだろうか?筆者の持論を述べたい。

1つ目は「誰も自分に興味がない」という本質を理解することだ。これは30歳を超えると顕著になる。若い頃は若いこと自体に価値があるので誰しも周囲から興味を持たれやすい。

だが30を超えると若さのプレミアムが消滅し、代わりに実績・専門性・信頼といったストック型の価値がプレミアムの座を奪う。この交代が起きた瞬間、外的シグナルへの依存だけで中身の伴わない人間は、市場から一方的に価値を切り下げられる。

そうなるとブランドのように外的シグナルに価値の補填頼みな人生は空虚な人物とみなされる。これは例外はなく、社会の不文律という本質的な力学であるため、承認欲求などに踊らされるのは無価値だという理解をすることで卒業できるはずだ。

2つ目は「努力で結果を出すこと」である。ここでいう「結果」というのは別に誰もが褒め称える大それたものでなくていい。仕事をして「ありがとう」と言われる、これを目指すだけでも十分である。

実際、筆者は記事や動画を出して「参考になりました」「いつも見ています」という言葉でとてつもなく救われていると感じる。応援してくれる人に自慢なんてしたら嫌われるだけだ。

興味のない相手から嫌われることはどうでもいいのだが、自分を応援してくれるような大事な人に足を向けて寝るわけにはいかない。自然と自慢より、より良い仕事をしてさらなる感謝を集めたいというベクトルに向く。

最後は、自分を大きく見せなくても評価してくれる人間関係を持つことである。これは恋愛や配偶者に限らない。仕事仲間でも家族でも、承認の対象が「見せ方」ではなく「中身」になっている関係であれば機能は同じだ。

筆者の場合はそれが妻だった。当時は20代ということもあって、カッコつけて背伸びしようとしたが、彼女は外面ではなく内面を見てくれた。

「必死に自分をよく見せようとしなくても、中身を認められた」という体験をした瞬間、どうやっても止められなかった承認欲求がスーッと引いた。重要なのは相手が誰かではなく、そういう関係を意図的に持てるかどうかである。

結論として、承認欲求そのものは協力と評価を通じて人間社会を機能させてきた適応的な仕組みである。しかし現代のSNSは、本来健全な承認欲求を狂わせる道具に変えた。

自分の求める承認欲求は健全なものか?それとも空虚で空っぽなものか?人間は社会的な動物であり、ブランドを武器に寂しい自慢をする人ほど、仕事で感謝を集める体験をすれば一気に健全な承認欲求に戻ることが出来るかもしれない。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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