教養と倫理的価値観

今、社会におけるテクノロジーの影響がかつてないほど大きい。政治や経済から戦争の勝敗までテクノロジーが大きく左右してる。AnthropicやOpenAI見てても起業家や経営者の哲学や倫理観がかつてないほど社会にとって重要になってきてる。リベラルアーツ掘りまくろ――之は今年3月、渡辺創太さん(@SotaOnchain)がツイートしたものです。

私自身ある雑誌のインタビュー記事で次のように答えており、渡辺さんの上記ご指摘は全くその通りだと思います――「リベラルアーツ」、「教養」が非常に重要だと思います。最近は受験勉強の参考書は読んでも、きちんと本を読んでいない人が多いのではと感じます。特に、AIがこれだけ多くの人に使われるようになってくると、クリエイティビティをいかに養うかが問われます。知識を得るだけでなく、その知識をベースに思索を深めることが大事です。知識と思索が深まり、知行合一的になって初めて、人物ができていくわけです。

何ゆえ教養というものが一番大事かと言うと、それは哲学や倫理観を形作って行くものだからです。テクノロジーとは本質的に、倫理観から逸脱しています。AIエージェントに対しては我々人間の判断で、倫理的価値観を加えて行かねばなりません。佳書(かしょ…精神の糧になるような書)を味読(みどく)しエッセンスを掴んで、主体性を持って実践に移す中で、真に血肉化して行くことが枢要です。

佳書とは、安岡正篤先生の言葉を借りて言えば、「それを読むことによって、我々の呼吸・血液・体液を清くし、精神の鼓動を昴(たか)めたり、沈(おち)着かせたり、霊魂を神仏に近づけたりする書のこと」です。人間性というものが変わらぬ以上、そうした古典や歴史・哲学の書を味読して行けば、全人的な教養や人間学的意味における哲理・哲学が品性豊かな立派な人格形成に役立つはずです。

太古の昔より洋の東西を問わずして人間の普遍的真理というものが、書によって伝承されてきているとは実に素晴らしいことだと思います。「最近の発言でありさえすれば、常により正しく、後から書かれたものならば、いかなるものでも前に書かれたものを改善しており、いかなる変更も必ず進歩であると信ずることほど大きな誤りはない」とは、アルトゥル・ショーペンハウアーの言です。「思索的頭脳の持ち主、正しい判断の持ち主、真剣に事柄を問題にする人々、すべてこの種の人々は例外にすぎないのであって、うごめく虫類こそ(中略)、例外的な人々が熟慮の結果試みた発言をいつも素早く敏捷(びんしょう)に改善しようとして、かってに改悪する」ものです。

機械文明とは対照的に、精神文明は新しきが古きよりも必ずしも良いとは限りません。人間死すべきものであるが故、精神文明というのは往々にして退歩があり得、機械文明との間にギャップが生まれ行くことから、機械文明がどんどん進歩し此のギャップが拡大して行けば、様々な問題を人間社会に生んで行くことになります。だから、歴史の篩に掛かった先哲の知恵の宝庫、古典をたずねる意義があるのだと思います。

『論語』の「雍也(ようや)第六の二十七」に「君子、博く文(ぶん)を学びて、これを約するに礼を以てせば、亦以て畔(そむ)かざるべきか」とあります。之は、「君子は広く学んで知識や教養を深め、規範に基づいてそれらを集約し自らを律して行く。そうすれば道を踏み外すことはないだろう」といった意味になります。集約するとは、時代・環境に沿うよう形作り実行するということです。正に今AI時代にこそ、人としての正しさ、倫理観というものが根源的に問われるのです。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2026年6月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

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