いま天皇家と国民はどう向き合うか:皇室典範改正案では何も解決できない

あの戦争で300万人余が亡くなった、その責任を昭和天皇がとらないことへの批判は表立っては憚れたが、わだかまりは潜在していた。皇族・華族でなく平民(といってもブルジョワ)から皇太子妃として嫁入りした美智子妃の「ご成婚」は「(軽井沢の)テニスコートの恋」の物語として国民に受け入れられた。天皇家と国民とのいわば再契約が成ったのだ。

皇太子夫妻はすぐに慰霊の旅を始めた。沖縄だけでなくアジア諸国も回った。サイバン島で首(こうべ)を垂れる後ろ姿は国民の脳裏に刻印されている。また災害があればすぐ被災地へ赴き、避難所では膝を折り被災者と眼線を合わせた。そういう物語を自ら演出することで、軍服で白馬に跨った戦前の昭和天皇と戦争のイメージを拭い去った。

経済大国になった日本は否が応でも国際社会でのプレゼンスが増していくが、新しい皇太子妃は外交官の雅子妃で、流暢な外国語を駆使して皇室外交を担うことが期待された。天皇家はその時代ごとに国民の共同幻想の担い手として振る舞う、つまりそれにふさわしい物語を紡ぐ役割が求められるのだ。

本来なら愛子内親王にどのようなお婿さんがふさわしいか、そのためにはどんな物語が用意されたらよいのか、それはあうんの呼吸で天皇家と国民が産み出さなければならない新しい物語であるはずなのだろう。

愛子内親王 宮内庁HPより

しかし、今回の皇室典範改正案の議論は男系男子がどうのこうのとまったくズレている。あの戦争からどう天皇家が復活できたのか、国民もまた再び喜び迎え入れようとしてきたのか、そういう歴史への理解が不足している。

今日(7月10日)自民党の小林鷹之政調会長は、衆議院議院運営委員会での皇室典範改正案の審議において「皇位の男系継承は2600年以上にわたって先人たちが守り抜いてきた皇室の伝統である」と発言している。

この発言は、改正案の柱である旧宮家の男系男子の養子縁組などによる皇位継承の意義を問うなかで行われたものだが、「2600年」は歴史的事実としては誤りだ。せいぜい1500年余が常識で、昭和15年に「皇紀2600年式典」をやったあの神がかった感覚ではないか。明治5年に神武天皇即位の年を皇紀元年としたが、この西暦のような言い回しは一般化しておらず、軍国主義の絶頂期の昭和15年の祝賀行事で拡まったに過ぎない。

小林鷹之政調会長 自民党HPより

明治以来の近代天皇制の歴史も知らず、念仏のような男系男子男系男子とお題目を唱えている現状に呆れるばかりだ。草葉の陰で三島由紀夫が憂いているよ。


編集部より:この記事は参議院議員(日本維新の会)・猪瀬直樹氏のnote 2026年7月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は猪瀬直樹氏のnoteをご覧ください。

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