日銀のマイナス金利はなぜ失敗したのか

日銀がマイナス金利を導入した2016年の金融政策決定会合の議事録が公開され、話題になっている。この「奇策」に対して4人の審議委員が反対したが、リフレ派が賛成し、5対4で可決された。

予想外の「副作用」が起こった

この議論をみると、副作用としてマイナス金利が銀行経営に及ぼす悪影響がもっぱら話題になっている。これは黒田総裁も認識しており、のちにリバーサルレート(景気に悪影響を及ぼすマイナス金利)がありうることも認めた。

経済学者の評価はわかれた。理論的には、自然利子率がマイナスの状況で政策金利をマイナスに誘導することは合理的だが、それによって銀行経営は悪化し、最悪の場合は取り付けが起こるおそれもある。

しかしマイナス金利の結果は、誰も予想しなかったものだ:長期金利は下がったが、貸し出しは増えなかった。長期金利が余りにも低くなったので、日銀はYCC(長短金利操作)で国債を大量に買ったおかげで国債の消化は順調になり、財政は安定した。

マイナス金利は小さすぎた

なぜこうなったのだろうか。当時は多くの人が効果より副作用が大きいと思っていたが、その逆に日銀のマイナス金利は小さすぎたのだ。誘導目標である日銀当座預金の金利は銀行経営への影響を恐れて最大マイナス0.1%に設定されたが、この程度で銀行が多額の現金を引き出すはずがない。

のちにブランシャールが示したように、影の金利(量的緩和と同じ効果を出す政策金利)はマイナス8.3%だった。図のようにアメリカでもEUでも世界金融危機で一時はマイナスになったが、アメリカはプラスに戻った(現実の政策金利とほぼ同じ)。

Blanchard-Tashiro

ユーロ圏も一時は日本よりひどかったが、マイナス4%程度に戻った。ところが日本だけは、安倍政権で大きく影の金利が下がったまま戻らなかった。量的緩和が激しかったため、それと同じ効果を出す金利が下がったわけだ。

理論的には日銀当座預金の金利を大幅なマイナスにすればいいが、マイナス8%の政策金利は不可能である。Eggertssonなどの実証分析によると、スウェーデン中央銀行のマイナス0.5%の政策金利で銀行の収益が悪化して貸し出しが減り、GDPは下がったという。それは銀行を袋小路に追い詰めるだけなのだ。

ヘリコプターマネーが必要だった

ではどうすればよかったのか。このころアデア・ターナーが来日して、ヘリコプター・マネーを提案した。金融政策がきかないのだから、財政バラマキで需要不足を解決すればいいのだ。それは日銀が保有している500兆円以上の国債の「償還を求めない」と日銀が宣言し、借り換えに応じればいいのだ。

実際には当時の日銀は国債の保有残高を減らしていなかったので、借り替えにはすべて応じていた。違うのは「国債はすべて税で償還する」という財政法の建て前だけだ。これを改正して「日銀の保有する国債は償還しなくてもよい」と定めれば、それは永久債になり、日銀券と同じになる。

これによって統合政府の債務は大きく削減でき、バラマキ財政が可能になる。たとえば日銀の保有国債のうち100兆円を永久債にすれば、10兆円の給付金を10年間ばらまく財源ができ、統合政府の資金ポジションは変わらない。

もう奇策はいらない

永久国債は玉木雄一郎氏なども提案し、大きな需要不足のあった当時は意味のある政策だったが、安倍政権はターナーの提案には乗らなかった。それがあまりにも奇抜だったからだが、マイナス金利も奇抜であることは変わりない。

それを今やろうとしているのが高市政権である。成長戦略会議の委員である会田卓司氏は「国債は無限に借り換えできる」とヘリマネを提唱しているが、彼のいう通りやったら国債が暴落して円安になり、財政危機に陥った。

その原因は、10年前と違って今はインフレで、影の金利がプラスだからである。日銀がマイナス金利をつけるのは危険だが、プラスの金利をつけるのは当たり前だ。通常の金融政策にもどって、日銀が迅速に政策金利を上げることが今のインフレ・円安への最善の対応策である。もう奇策はいらないのだ。

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コメント

  1. 早川蒼真 より:

    記事の核心である「影の金利(シャドー・レート)がマイナス8.3%だったのに、日銀のマイナス金利はマイナス0.1%しかなく、小さすぎたから効果が出なかった」という論理展開には、指標の解釈に重大な誤りがあると言わざるを得ません。

    そもそもシャドー・レートとは、「政策金利をどこまで下げるべきだったか」という規範的な目標値ではありません。政策金利がゼロ下限制約に達し、これ以上下げられない状況下で、日銀が実施した大量の国債買い入れ(量的緩和)やYCC、フォワードガイダンスといった非伝統的政策の緩和効果を、「もし通常の金利操作だけで実現するなら何%相当になるか」を逆算して推計した換算指標です。

    ブランシャールと田代毅氏の原文も、シャドー・レートを「量的緩和の下で採用された一連の措置と同じ経済的影響を与えるには、政策金利がどの程度でなければならないかを表すもの」と説明しています。そして2019年4月にマイナス8.3%に達したことについて、「正確な数字は割り引いて見る必要がある」と断ったうえで、「2000年代末以降、金融政策が異例なほど拡張的だったことは明らかだ」と結論づけています。

    つまりマイナス8.3%という数字が示しているのは、「日銀はマイナス0.1%しか下げなかったから緩和不足だった」ということではありません。むしろ逆で、「政策金利の名目値はマイナス0.1%と小さく見えても、国債の大量購入などを含めた政策パッケージ全体では、金利換算でマイナス8.3%に匹敵するほど極めて強力な金融緩和がすでに市場に供給されていた」ことの証明そのものなのです。

    記事は、一つの政策手段の表面金利(マイナス0.1%)と、複数の非伝統的政策を合成した推計指標(マイナス8.3%)を同じ尺度で並べ、「0.1%では小さすぎた」と論じています。しかしこれは、リンゴ一個と果物籠全体を比べるようなもので、次元の異なる数字を単純に大小比較しているにすぎません。しかも、マイナス8.3%は2019年時点の推計であって、2016年に導入したマイナス金利の「適切な深さ」を直接示す数字でもありません。

    要するに、シャドー・レートがマイナス8.3%まで低下していたという事実は、量的緩和が「実質的に天文学的な超強力緩和」を実現していたことの裏付けであり、「マイナス金利が小さすぎたから失敗した」という主張を支えるどころか、むしろそれを否定する材料になっているのではないでしょうか。マイナス金利が期待した効果(貸し出し増)を生まなかった原因は、金利の深掘りが足りなかったからではなく、記事自身が引用しているEggertssonらの分析が示す通り、マイナス金利政策そのものが銀行収益を圧迫し金融仲介機能を損なう「リバーサルレート」の副作用にあった、と見るのが自然だと考えます。