
Natali_Mis
アゴラにたびたび寄稿している九条丈二氏、「コロナ後の医療・福祉・社会を考える会」共同代表である私、そして精神科医の高木俊介の3名による、日本で続けられている面会制限に関する論考が、英国の医学専門誌BMJの医療倫理ブログに掲載されました(日本語訳はこちら)。
BMJ(英国医師会雑誌)は、世界四大一般医学雑誌の一つに数えられ、最新の臨床研究やエビデンスに基づく医療政策を発信する世界のトップジャーナルです。そのBMJグループが発行するJME(Journal of Medical Ethics)は、医療・生命倫理を牽引する国際的な主要学術誌です。
JMEでは、臨床現場における道徳的ジレンマにとどまらず、感染対策がもたらす社会的影響や、公衆衛生に関する情報発信の倫理的妥当性など、多角的な議論が展開されています。
2026年6月に施行された診療報酬改定は、病院の面会制限に初めて明示的な歯止めをかけました。しかし、その規定のどこにも、患者は「権利の主体」として登場しません。診療報酬の算定要件としてしか存在しない権利は、まだ権利ではないのではないか。この問いが起点となっています。
ここでは、その論点を整理します。
今般の診療報酬改定により、病院に面会方針の明文化と制限の最小化を求める新要件が施行されました。これはパンデミック期の過剰な面会制限からの前進ですが、筆者らは、この改革の構造的な限界を指摘しています。
権利ではなく「算定要件」
今回の改定は、患者の「自ら選んだ大切な人と共に過ごす権利」を主体的に保障するものではなく、診療報酬という金銭をてこにして病院の裁量を制限しようとする「許可基盤モデル」に過ぎません。
病院が加算を算定しないのであれば、面会制限を病院が恣意的に運用することが可能なルールです。「拒めば報酬を失うから面会させる」という要件を満たしたに過ぎず、患者の人間としての権利を尊重したことにはなりません。
患者視点の不在
新規則のもとでも、患者は権利主体として制度のどこにも現れません。
病院側には制限を正当化する責任が課されておらず、患者や家族には「なぜ制限が必要なのか」「いつ見直されるのか」を問いただしたり、異議を申し立てたりする経路が存在しません。患者に残された救済手段は、今まさに苦痛の中にある人や終末期の人には事実上無意味な「事後の民事訴訟」のみです。
実際に面会制限に直面して困ったとしても、患者・家族側は人質に取られているように感じ、異議を申し立てることが事実上極めて困難です。患者が退院すれば、なかったことにして心にしまい込んでいるのが実情だと考えられます。
また、算定基準が求めるのは「方針が書類として存在すること」だけであるため、支払側による監査も形式的な遵守の確認にとどまり、見直し期日や終了条件すら示されない恣意的な面会制限が継続される余地を残しています。
米国モデルとの比較
米国のメディケア・メディケイドの連邦要件は「患者の面会権」から出発し、臨床的理由による制限の正当化と、各患者への権利告知を義務付けています。日本の新規則と決定的に異なるのは、次の3点です。
第一に「誰が申し立てられるか」であり、米国では患者自身に権利があり、病院には苦情処理手続きの運用が義務付けられています。
第二に「誰が正当化の責任を負うか」であり、病院側が臨床的理由を示さなければなりません。
第三に「訴訟前の救済措置」として、調査や是正措置が用意されています。
日本の規則はこれらのすべてを欠いており、患者に力を与えるのではなく、単に病院の請求担当者に指示を出しているに過ぎません。
結論:面会は病院の便宜ではなく患者の権利である
面会制限は、せん妄や苦痛など、患者に実害をもたらします。最期の時を共に過ごせなかった遺族は、生涯、その無念を背負って生きていかなければなりません。
厚労省は、現行制度内でも異議申し立てなどの手続きを要件化すべきですが、根本的には「患者権利法」の制定が必要です。面会は病院が与える便宜ではなく、患者の人間性を支える権利なのです。







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