次のパンデミック対策は本当に安全か:政府のコロナ採点表にない「やり過ぎの害」

自ら出題し、自ら採点する

2026年7月16日、政府は第23回新型インフルエンザ等対策推進会議を開いた。特措法に基づくこの法定の会議は、国のパンデミック対処マニュアルである政府行動計画(2024年7月改定)が、どこまで実行されたかを毎年点検する。この日公表された年次フォローアップの評価は、ほぼ全項目で「達成」または「超過達成」だった。病床も、発熱外来も、検査能力も、目標を上回っている。

数字だけ見れば、日本の対応能力は2020年より確実に強い。だが、この成績表には仕掛けがある。問題を作った者と、答案を採点した者が、同じ手なのだ。そして——落第するはずの科目だけが、最初から出題範囲に入っていない。

インフルエンザの形をした箱

その科目がなぜ落ちるのかを知るには、会議の名を見ればいい。「新型インフルエンザ対策推進会議」。コロナという語は、どこにもない。私たちが2020年以降に経験した緊急事態宣言も、行動制限も、面会制限も、その法的な土台は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」、通称・特措法だ。コロナはこの法律の名に載っていない。「等」の一字を通って、枠組みに滑り込んだにすぎない。

特措法は2009年のH1N1流行の「教訓」を踏まえ、2012年に制定された。目的は「対策の実効性を高める」こと。病床を、抗ウイルス薬を、検査を、いかに速く大量に動員するか——要するに、応答能力の設計図である。害を測る道具としては、はじめから作られていない。

ここが効いてくる。インフルエンザのパンデミック計画とは、本質的にサージ(急増)に備える計画だ。病床を積み、薬を備蓄し、ワクチンを配り、検査を回す。備えの厚みを数字で測る発想が、その骨格に埋め込まれている。

それ自体は責められない。ひとつ前のパンデミックに備えるのは、どの国の防災でも当たり前のことだ。問題は、その物差しがコロナのために選ばれたのではなく、インフルエンザから受け継がれたという点にある。

2020年、コロナはこの設計図に収まらなかった。政府は同年3月、法附則を改正し、新型コロナを新型インフルエンザ等と「みなす」ことにした。インフルエンザの形をした箱に、法的な擬制でコロナを流し込んだのである。だから、以後の採点はすべてこの箱の目盛りで行われる。フォローアップが軒並み「達成」になるのは当然だ。測っているのは「壊れたもの」ではなく、「用意したもの」だからである。

箱はその後も膨らんだ。2021年の改正はまん延防止等重点措置を新設し、命令に従わない事業者への過料まで定めた(同じ改正で、この推進会議そのものが法定化されている)。2024年には行動計画が全面改定された。

改正史を並べれば、箱の性質は一目でわかる。2020年に対象を呑み込み、2021年に強制力を足し、2024年に容量を広げた。どの改正も「増やす」方向にしか動いていない。一度として、逆向きに回されたことはない。ラチェットは、締まる方向にしか動かない仕掛けである。

「足りたか」しか問えない採点表

この一方向性が、フォローアップの科目表に律儀に現れている。並ぶのは、病床確保、外来体制、検査能力、医療提供、サーベイランス、ワクチン接種、物資備蓄、人材育成——13の分野と5つの横断的視点。だがそのすべてで、問いの向きは一つに固定されている——「足りていたか」。病床は足りたか。検査は、人材は、備蓄は足りたか。ついに一度も現れないのが、逆向きの問いだ。「多すぎなかったか」。

私たちがコロナ禍で払った代償は、感染症そのものの被害だけではなかった。面会制限の中、家族に手も握られず逝った人がいた。一斉休校が子どもに残したものがある。行動制限が畳んだ店がある。対策そのものが生んだ害——「対策禍」——は、確かにそこにあった。だが採点表に、それを書き込む欄はない。

欠けているものは三つに整理できる。

第一に、害の検証。対策の便益は分野ごとに数値化されるのに、その費用——自由の制約、孤立、失われた学び——は測定項目にすらならない。

第二に、撤退の基準。いつ、何を根拠に対策を緩めるかの設計がなく、強める作法だけが磨かれる。緊急でなくなった後も緊急措置が居座り続けた、あの経験を思い出せばいい。

第三に、反証可能性。問いが「不足」に固定されている限り、「過剰」という答えは制度上出てこない。この採点表は、はじめから一つの結論しか出せないよう組まれている。

欄は、欠けているのではない

「コロナ禍の教訓は活かされたか」と問えば、この文書は胸を張って「活かされた」と答えるだろう。病床も検査も備蓄も、確かに増えたのだから。だが「コロナ対策禍の教訓はどこにあるか」と問い直した途端、答えは消える。どこにもない。正しくは——入る場所が、はじめから設けられていない。欄のないものは、検証されない。記録されない。そして、直されない。

ここで一つの疑問が残る。なぜ国家は、これほど一貫して「準備が足りなかった」という教訓ばかりを拾い、「やりすぎたのではないか」という教訓を取りこぼすのか。それは日本の役所の怠慢なのか、それとも、もっと根の深い構造なのか。他国はこの問いにどう向き合ったのか。後編では、その仕組みを掘り下げる。

(後編につづく)

※ 本稿の分析は内閣官房公表の第23回新型インフルエンザ等対策推進会議資料(2026年7月16日開催)に基づく。特措法の制定・改正経緯は関連法令の公表資料による。

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