米国ではファウチ追及、日本では沈黙:コロナ対策を誰が検証するのか

米国ではコロナ禍から6年以上が過ぎても、アンソニー・ファウチ氏への議会追及が続いている。

2026年8月6日、米上院国土安全保障・政府問題委員会は、議会で100回以上にわたり修正第5条を行使して回答を拒んだファウチ氏について、議会侮辱決議を8対5の党派投票で可決した。その12日後には、ファウチ氏の元上級顧問デービッド・モレンス氏が、コロナ研究をめぐる政府記録を情報公開から隠そうとした共謀について有罪答弁している。

米国の党派対立は激しく、ときに醜い。

しかし日本を見ると、逆の疑問が浮かぶ。

なぜ日本では、コロナ対策そのものを後から敵対的に検証する政治勢力がほとんど現れなかったのか。

その答えを探すには、2020年初頭まで時計を戻す必要がある。

「時間が余ればコロナ」だった2020年3月

立憲民主党は、最初から「zeroコロナ」を掲げていたわけではない。

2020年3月4日の参議院予算委員会。

当時、立憲民主党幹事長だった福山哲郎氏は、冒頭で新型コロナによる経済悪化や検査、休業補償について政府を批判した後、安倍晋三首相にこう告げた。

「桜を見る会について質問させていただきます。時間が余ればコロナ対策もやります」

この発言は福山氏自身の公式サイトに残る国会質疑録でも確認できる。

もちろん、この一言だけを切り取って「立憲民主党はコロナを無視していた」とするのはフェアではない。

実際、この日の参議院公式の質疑項目を見ると、福山氏は新型コロナによる経済への影響や新型インフルエンザ等対策特別措置法についても質問している。

2月17日の衆議院予算委員会についても、ネット上では「立憲民主党は100%桜を見る会」という円グラフが広く流通したが、公式会議録を読むと、同じ共同会派の岡本充功氏は感染経路不明例、感染拡大段階、PCR検査、病床確保などをかなり具体的に質問している。

したがって「野党はコロナを全く扱わなかった」という話ではない。

重要なのは別の点だ。

202023月の時点では、COVID-19はまだ日本政治のあらゆる争点を飲み込む絶対的な最優先課題にはなっていなかった。

桜を見る会も、経済も、政権批判も、コロナも並存していたのである。

わずか1年たたずに「zeroコロナ」へ

ところが、そこから政治の景色は大きく変わる。

2021年1月、立憲民主党の枝野幸男代表は党大会で、「感染症対策の徹底こそが、最優先」と宣言した。

そして掲げたのが「zeroコロナ」である。

無症状者を含む感染者の早期把握と隔離、検査体制の拡充、感染を再拡大させないレベルまでの抑え込みを目標にした。翌2月には党として「zeroコロナ戦略」を正式に策定している。

2020年3月の「時間が余ればコロナ」から、約11か月後には「感染症対策の徹底こそ最優先」である。

この変化こそ注目すべきだ。

与野党は「対策するか」ではなく「誰がより強くやるか」を争った

立憲民主党だけではない。

自民党は2021年1月、「感染拡大の抑止」「病原体の封じ込め体制」「ワクチン接種の迅速な普及」を柱とするロードマップを公表した。

日本共産党は同年5月、「コロナ封じ込めを戦略目標にすえ」、ワクチンの迅速な接種、大規模検査、補償を組み合わせた対策強化を要求した。

日本維新の会に至っては、6月に「強制力のあるロックダウン=都市封鎖」の法整備を求め、9月の提言でも「ロックダウン法制の整備」を掲げている。

各党にはもちろん違いがあった。

補償、東京五輪、検査政策、医療提供体制、私権制限の程度では激しく争った。

しかし政治の大きな方向を見ると、与党=感染対策、野党=感染対策反対、という米国型の対立にはならなかった。

むしろ2021年には、政府の対策は遅い、検査が足りない、封じ込めが足りない、もっと強い措置を、という方向へ主要政党が収斂していった。

私はこれを「超党派コロナ・コンセンサス」と呼びたい。

米国では「敵」がいるから過去が掘られる

米国は正反対だった。

ファウチ氏は公衆衛生の専門家であると同時に、党派政治の象徴になった。

共和党のランド・ポール上院議員は長年ファウチ氏を追及し、2026年7月の公聴会では100を超える質問への回答拒否を問題視した。

民主党側はこれを政治的な攻撃と批判する。

そして8月6日の議会侮辱決議は8対5、完全な党派投票となった。

こうした分断には大きな弊害がある。

科学的事実まで「共和党の事実」「民主党の事実」に分裂すれば、公衆衛生への信頼そのものが壊れる。

しかし、党派対立には意外な効用もある。

政権が代われば、前政権とその専門家を本気で掘り返そうとする「敵」がいるのだ。

メールを出せ。
誰と話した。
何を知っていた。
なぜその判断をした。
記録はどこにある。

これは政治的な動機から始まったとしても、行政監視として機能する場合がある。

いわば「敵対的監査」である。

全員が同じ方向へ行った政策を、誰が検証するのか

日本政府もコロナ対策を全く総括していないわけではない。

2022年には内閣官房に「新型コロナウイルス感染症対応に関する有識者会議」が設置され、5回の会合を経て、次の感染症危機に向けた中長期的課題をまとめた。

しかし、これは基本的には政府自身が設置した制度改善型のレビューである。

米国で現在行われているような、「当時あなたは何を知っていたのか」「この通信記録はなぜ残っていないのか」「その政策には本当に効果があったのか」と政治的な敵が掘り返す検証とは違う。

そして日本では、その役割を果たすはずの主要野党も、パンデミックの途中から感染対策強化という同じ方向へ走った。

自ら要求した政策を、危機が去った後に「やりすぎだったのではないか」と追及するインセンティブは弱い。

ここに日本の空白が生まれる。

「超党派の合意」には「超党派の事後検証」を

2020年当初、日本の政治は感染症対策一色ではなかった。

ところが社会の危機感が高まり、感染抑制が最優先の価値になるにつれ、主要政党は急速に同じ方向へ集まっていった。

危機時には、それが政策遂行を容易にした面もあるだろう。

しかし副作用も残った。

学校休校、行動制限、飲食店への営業制限、病院や介護施設の面会制限、巨額の補助金、ワクチン政策。

これらについて、何が有効だったのか。何が過剰だったのか。いつ終了すべきだったのか。社会的コストに見合ったのか。を本気で追及する政治勢力が弱くなったのである。

米国のような党派対立を日本に輸入する必要はない。

だが、全員が賛成した政策ほど、終了後には意識して反対側から検証しなければならない。

超党派の合意には、超党派の事後検証をセットにする。

コロナ禍から日本が学ぶべき制度設計は、むしろそこではないか。

【出典】

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