少し変わった角度からの“オーストラリア訪問記”

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オーストラリアに行ってきた!

4泊5日(機中泊を入れると5泊6日)の強行軍ではあったが、8月8日〜13日、オーストラリア(シドニー)に行ってきた。

夏季休暇を有意義に過ごすべく家族と行ったというのが主な理由だが(ブルーマウンテンの絶景やサーキュラーキー周辺などの街並みは最高でした)、そのほかに、①近年、利便性が大幅に良くなったと評判のシドニーの都市交通を視察・体感したり(インフラ関連で企業の顧問などをしていることもあり)、②基礎自治体の図書館との役割分担、デザイン性や歴史を意識した賑わいづくりなどで名高いニューサウスウェールズ(シドニーがある州)の州立図書館を視察して担当者と意見交換をしたり(静岡県で新たな図書館の基本方針の方向性を決める会議の座長をしていることもあり)、③まちづくりの参考になる場所、具体的にはシーライフ水族館やタロンガ動物園、公共施設の傑作とされるオペラハウスなどを実際に見て説明を聞いたりする、という目的もあった。

筆者にとっては四半世紀ぶりとなる訪問であったが、行ってみて改めて、その名所の数々に予想を上回る満足感を得られて非常に有意義であった(家族も大変満足していた)。飛行機で10時間かけても(さらに言えば貯金を切り崩しても……)、特に次代を生きる子供たちに、アメリカでも中国でもなく、オーストラリアを見せられたことは、非常に良かったと考えている。

なぜ、今オーストラリアなのか。農作物や資源が豊富であり、また、人口も増加傾向で移民先としても大人気であって最近は制限を強化するほどであるし、各種資源の宝庫でもある……などの理由は、誰にでもすぐ思いつくところであろう。

農業従事者の高齢化や減少傾向、人口減や資源エネルギー不足(最近は特に中国によるレアアースの輸出制限)に苦しむ日本にとっては、いわば垂涎の場所であり、製造業などの高度産業が足りていない同国とは補完関係にあるともいえ、友好関係を結びやすいというのはその通りである。

もちろん、私が行ったから後を追って……ということではないのは明らかだが、現に多くの大臣や国会議員が、この夏、オーストラリアを訪問している。筆者がかつて勤務していた経済産業省で1つ後輩だった鈴木英敬衆議院議員(前三重県知事)や青山社中リーダー塾出身で弊社で4年強にわたって勤務をしていた阿部司衆議院議員などの超党派の若手は、8月17日から豪州を訪問した。

豪州はゼロ泊という強行軍だったようであるが、9月10日の青山社中フォーラムにご登壇いただく小泉防衛大臣も、オーストラリアとインドを8月17日から訪問し、豪州ではカウンターパートのマールズ国防大臣(副首相を兼任)やアルバニージー首相と会談している。今年は日豪友好協力基本条約締結から50年の節目にあたるが、そんな中、5月には高市総理も同国を訪問している。

日豪関係の重要性については、改めて言うまでもない。一部、上記の繰り返しにはなるが、対中国を意識した民主主義同士の関係構築、特に、アジア太平洋地域の国家同士としての防衛協力、資源エネルギーや農業や製造業に関しての補完関係・相互依存的貿易関係構築、日本企業や日本人にとっての格好の投資先(豪州から見たら開発のための資本の出し手)としての意味など、いくらでも現実的な説明がつく。

ただ、何と言うべきであろうか、こうしたプラクティカルな意味、重要性を超えて、日豪には不思議な紐帯が生まれやすい気がしている。現実的な利害関係、つながりが大切であることは論を待たないが、人間関係でも同じであるが、そこを超えた不思議な相互理解、ウマが合うという感覚もまた大事である。

本来であれば「訪問記」というのは具体的に訪れた観光スポットや会った相手などについて感想を詳述するべきものかもしれない。しかし、今回はそうした具体的な場所についての感想ではなく、不思議な気分のようなものについての「感想」を述べてみたいと思う。

そこで次章では、私や日本から見たオーストラリアのざっくりとした理解を略述したい。その内容が、プラグマティズムを超えたつながりの可能性をどれだけ表現でき、読者にどれだけの説得性を持つか、正直筆者にも自信はない。ただ、ナイーブに聞こえるかもしれないが、そこはかとなく、日豪理解の根底的なポテンシャルを感じていただければ幸いである。

明るいのに、実はどこか物悲しく、日本・日本人と通じやすい豪州・豪州人

今回のシドニー行きにあたり、外務省から過去に豪州の日本大使館に赴任していたFさん、同じく経産省からかつて赴任していたTさんに、見どころや宿に至るまで様々な情報をいただいた。この場を借りて感謝したいが、私が受けた印象は、お二人とも、外国でありながら、赴任時にかなり心が落ち着く体験をされていたということであった。オーストラリアという国、オーストラリア人が醸し出す雰囲気が、日本人の謙虚な姿勢と合うということだと感じた次第だ。

もちろん、どこの国でも色々な人がいるわけで、オーストラリアにも、粗雑だったり傲慢だったりする輩がいることは間違いない。ただ、筆者の体験(アメリカ留学時に、クラスメイトほか、2名のオーストラリア人とそれなりに交流した)としても、どうであろうか、正直、一般論としては、米国人や英国人より、気質が合うという感触を持ったことも事実である。

そのうちの1人とはその後もやり取りが続いていて、今回も色々と情報をいただき、豪州政府勤務でキャンベラ在住の彼女の家族(留学時代から家族ぐるみの付き合い)とシドニーで会う算段まで相談していたが、当方の子供の予定の都合でそれはかなわなかったものの、忙しい合間を縫って、何かと情報を寄せてくれ、おかげでシドニー滞在が実りあるものとなった。

この感覚は何であろうかと、改めて、今回のシドニー行きにあたって、オーストラリアについて調べたり、いくつかの文献にあたったりしてみて感じたのは、以下のキーワードである。いわば、3つのコンプレックスということなのだが、これらについて略述してみたい。

それらとは、「アメリカとの“相似と相異”(“兄弟”でありながら異なる点)」「流刑者とアボリジニ」「日本との関係(大戦/戦後/文化・スポーツ)」である。

まず、アメリカとの相似と相異についてである(“兄弟”でありながら異なる点)。アメリカとオーストラリアが「兄弟」であることについては、あまり異論がないと思う。兄弟であるということは、共通の「親」がいるわけだが、それはもちろんイギリスだ。イギリスという親に「反抗」して、戦争を引き起こして「独立」したのがアメリカである。Englishを言語として使ってはいるものの、もはや、アメリカは、親(イギリス)を凌駕した世界のスーパーパワーであることは自他ともに認めるところであろう。

一方のオーストラリアは、同じくイギリスからの独立国ではあるが、アメリカとはちょっと様相が異なる。アメリカが、例えば第一次世界大戦や第二次世界大戦で、時に冷たく、しかし最後は暖かく(?)イギリスという親を助けたりしつつも、基本的には孤高な感じで独自外交・独自路線を貫いたのに対して、オーストラリアは親のために、つまりは親に好かれようと実に涙ぐましい努力をした。

第一次世界大戦では、当時人口が500万人くらいだったと言われるオーストラリアは、はるか遠くに離れた欧州戦線に、40万人もの戦力を投入したと言われており(大英帝国の自治領だったのである程度は仕方がないわけだが)、ガリポリの戦いなどでは、自国と関係ないところで8000人超の死者を出すという凄まじい勇気を見せて戦った。最終的には第一次世界大戦全体で約6万人もの犠牲者を出している。

気候も良く温暖な感じのオーストラリアでは、不思議で異様な感じだが、首都キャンベラにも、最大都市シドニーにも、中心部の大事な場所に戦争記念館がある(今回、シドニーの方には家族で行ってかなり詳しく見た)。

後述する第二次世界大戦も大いに影響はしているが、特にこの第一次世界大戦での多大なる犠牲は、オーストラリアのトラウマにもなっていると言っても過言ではないと思う。先述した日本の若手議員団や小泉防衛大臣が、キャンベラの戦争記念館を訪れたり、献花をしたりしたという報道を見たが、こうした背景・これから述べる第二次世界大戦や日本との過去を踏まえたものとして評価できる。

これほどまでに、痛々しいほどに英国という「親」に尽くしたオーストラリアだが、さほど英国に大事にされたという感じはない。第二次世界大戦後は特に「親離れ」をして、兄(アメリカ)を頼ろうとするも、米国もあまり「暖かく」はなく、やむを得ず、また活路を求める形で、地理上の要因などからアジアへの寄り添いを目指すこととなる。

ちなみに、村上春樹の『シドニー』という傑作旅行記(正確には、シドニーオリンピック観戦記。ただ、私には旅行記に思える。)があるが、このイギリスとアメリカとオーストラリアを巡る関係について、ジェームス・ディーン主演の名作映画『エデンの東』を使って巧みに表現している箇所がある。さすがとしか言いようのない比喩であり、一読をお勧めしたい。

2つ目は「流刑者とアボリジニ」についてである。ここも、アメリカとの比較から入る。現在のアメリカという国の誕生は、いわゆるピルグリム・ファーザーズの来訪(英国から見れば脱出)ということに端を発している。

世界史の講義などでは、少なくとも私の頃は、いわゆる英国国教会の迫害を逃れた清教徒(ピューリタン)たちが、新天地を求めて脱出してきたという教え方が主流であったように思うが、実際は、最初の船における清教徒の数は、さほど多くはなかったとも言われる。

すなわち、新たに一山当てるべく、新天地を求めて思い切ってチャレンジをした人たちが現代のアメリカを作ったと言えるであろう。(そういう人たちのDNAを考えると、アメリカという国で、他国に例を見ない形でベンチャー企業が次々と生まれ続けているのも、「遺伝」の問題と言えるのかもしれない)

一方のオーストラリアであるが、たとえば初代のニューサウスウェールズ総督のアーサー・フィリップが有名であるが、ベンチャー精神という意味では、彼もピルグリム・ファーザーズたちに引けをとらない。

筆者は今回のシドニー行きで、マンリービーチ(シドニーの河口付近)にもフェリーで行ってみたが、途中、まさに、原野だった時代に、イギリスからはるばるシドニーに来て、パラマタ川を上流に向かって入って行くことを想像すると、凄まじいまでのパイオニア精神を感じざるを得なかった。

アーサー・フィリップはしかし、良くも悪くも多くの囚人を抱えていた。オーストラリアは、アメリカとは異なり明確に流刑地だった。2年分と言われていた食料がなくなるまでに、彼は、主に囚人たちを使ってここを開拓しなければ生きていけなかった。シドニーの海岸沿いは農作物的には不毛の場所でもあり、川を上流にどんどん上がっていって、ようやく現在のパラマタで耕作が始まる。

流刑者と言っても、とてつもない凶悪犯から、インテリの政治犯までいろいろいるわけであるが、とはいえ、フィリップ提督のような一部の「管理側」の人材を除けば、豪州を形作ってきたのは「囚人の子孫たち」ということになる。開拓者と流刑者。開拓者中心の上記のアメリカのDNAとは大きく異なる印象だ。

そして、これはいわゆるネイティブ・アメリカンたちが住んでいたアメリカも同様であるが、オーストラリアにも、原住民たち、すなわちアボリジニの方々がいた。オーストラリアの発展とは、これら原住民の迫害の歴史でもある。

特にシドニーオリンピックでの女子400mでアボリジニ系として初めて金メダルを獲得したキャシー・フリーマンの活躍が世論を大きく変えたとも言われているが、近年のオーストラリアはその反省に立って、多文化共生を大切にしてきている。

上述のニューサウスウェールズの州立図書館では、アボリジニ文化への敬意が各所で表現されており、筆者がシドニーにいた際の有名な現代美術館での特別展も、アボリジニ文化を大きく意識させるものであった。流刑者、アボリジニ(いわゆる白豪主義への反省なども含む)は、オーストラリアを考える際に外せないポイントである。

そして最後に日本との関係だ。実は、オーストラリアにとっての第二次世界大戦とは、多くが日本との関係に他ならない。上記のシドニーの戦争博物館にもよく見ると関連の展示がいくつもあったが、オーストラリアは、日本軍にシドニー港湾内に侵入され(交戦している)、北部ダーウィンを空爆され、何といっても南方戦線などで日本軍の捕虜となったオーストラリア人は2万2000人を超えている。そのうち8000人以上の方々が亡くなった。

そうした「恨み」のある日本と、戦後、羊毛の関係(日本にかなりの輸出をしてきている)、製造業との関係(日本から見るといわゆる加工貿易ということでの原料基地)などの必要から、友好的に交流することが求められた。

そして最近では、オーストラリア人は文化芸術、スポーツなどで活躍の幅を広げている。ワールドカップサッカーをはじめ、人口3000万人足らずの割に、オーストラリア勢はスポーツの世界でそれなりの存在感を示している。

また、英語の壁がないこともあって多くのアーティスト、俳優なども輩出している(余談だが、シドニー往復の際に筆者は、既に数回見ている映画『グレーテスト・ショーマン』をさらに2回見てしまったが、主演のヒュー・ジャックマンもオーストラリア出身である)。

このスポーツや文化への傾斜は、製造業や経済一般で陰りを見せる日本と近いところがあるが、いずれにしても、親である「イギリス」への見切りをつけ始めた戦前も、捕虜などを中心に多くの犠牲を払った後の戦後も「日本」という強大なアジアの存在と向き合わねばならなかった。

残念ながら、元々の親であり兄であるイギリスやアメリカにも今一つ真剣に相手にされてきていない印象が強く、明るい気候、素晴らしい陽気と食べ物にもかかわらず、オーストラリアという国は、どこか屈折した陰りも持っている。

特に戦後の我が国は、アメリカをはじめとする連合国に負けたという屈折、そして、世界を覆う英語という壁に大きく跳ね返されてきたという残念さという気持ちを色濃く持っている。

アメリカには敵わないという思い、アメリカに、安全保障上も最近では経済的にも(特にデータドリブン社会における各種プラットフォーム)、牛耳られてしまっているという気分が日本社会に蔓延している。そんな日本人と、上記のとおりの各種「コンプレックス」という背景を感じさせるオーストラリア人とは、分かりやすい利害関係を超えて、どこか通じ合うところがあるような気がする。

「明るいのに、実はどこか物悲しく、日本・日本人と通じやすい豪州・豪州人」という標題について、そこはかとなく輪郭から描いてみたが、果たして読者諸賢に通じるところがあったであろうか。

一方的な言説・思い込みの面もあるので、はなはだ自信のないところではあるが、そして、個々には異論・反論も多々あるであろうが、どこか雰囲気だけでも共感いただけた部分があるとしたら幸いである。

追い込まれる日本外交の突破口

話は変わるが、各種政治分析をしていて気がかりなのが、来年の統一地方選である。一言で言って、排外主義・対外批判(うまく行っていないことを、主に海外勢のせいにしてしまう感情)が、さらに蔓延しないかについて心配している。

夫婦喧嘩と同じで、と言うのは色々な意味で適切でないかもしれないが、不平不満というのは、マグマのように少しずつ溜まっていくものである。そして、どこかで大噴火を起こす。何が言いたいのかというと、このところの国際関係面・外交面での「追い込まれ」が、徐々に国民のさらなる不平・不満としてため込まれていき、統一地方選などで「噴火」しないか、という懸念のことである。

中国による訪日中国人抑制やレアアース輸出規制に対して、また、日本周辺での軍事的活動などについて、何ら有効な対処ができていないことが典型であるが(細かくは、重慶の総領事赴任に際してのアグレマン(許可)すらなかなか取れず、ようやく「ビザが出た」(正式なアグレマンですらない)というニュースなども界隈では話題になっている)、中国以外でも、ロシアのプーチン大統領が択捉島を訪問したことについても、追加制裁を課すなどの措置は現状できておらず(サハリン権益の話などがあって、強く出られないことを見透かされているとも言われている)、さらには、同盟国のアメリカからも日本政府が満を持して送り出したICC(国際刑事裁判所)の赤根所長に対して制裁が科されてしまって、強くは反論できていない事態となっている。

悪く表現すれば、米中ロの3国から、やりたいようにやられて(いじめられて)、何らやり返せないという状態が、国民の間での、対外的な「不満の蓄積」になってしまっていることを懸念している。

かといって、それらの「強国」にただ強く出れば良いかといえば、それは「匹夫の勇」にもなりかねない。中長期的に大きく国益を損ねないためにも、ここは臥薪嘗胆しかないのか、とばかりに天を仰ぐというのが、多くの国民の理性と感情の結論であろう。しかし、それではますます、不満のマグマは鬱積してしまう。

そこで必要なのが第三の道である。色々な意味で気分や立ち位置が近くなってきている欧州、国力には差がありつつ割と敢然とトランプ政権に立ち向かっているカナダ、そして、アメリカと若干の距離があり中国とも本質的には仲が悪いものの、しかし日本とはいい関係を築いている大国インド、さらには、今回のテーマである豪州など、日本が積極外交を進めていく先は、確実に存在する。

昨日8月30日に、留学時代の友人であるカナダ人とイギリス人の夫妻、そしてその子供たちと、朝10時〜夜の10時まで浅草でずっと一緒に過ごした。久々の再会ではあったが、昨日のことのように約四半世紀前の留学のことを語らい、現在の各々の取り組みについて伝えあい、大いに盛り上がったが、もっとも互いに共感を覚えたのが現下の国際情勢、アメリカの振る舞いと自分たちの立ち位置についてであった。

国家間の外交においては、プラクティカルな損得、利害が重要であることは論を待たないが、首脳間をはじめ、国民一人一人という草の根に至るまで、実は、人間同士の気分、気質によるつながりというものが大事であることは当然である。

オーストラリアという存在、場所、そしてそこに暮らす人々は日本にとっての一つの突破口になるかもしれない。そんなことを感じた5日間の滞在であった。

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