
「2026年7月、米国は観測史上最も暑い月だった」。米国海洋大気庁(NOAA)が、今年7月の米国48州の平均気温について、観測史上最も高かったと発表した。
気候変動のニュースとしては、珍しいものではない。しかし、ここで一つ考えてみたい。
私たちは、どのようなデータと方法によって、「史上最も暑い」と判断しているのだろうか。
史上最も暑い7月?
CO₂ Coalitionは、NOAAが利用する1万以上の観測地点のデータには、都市化に伴う「都市ヒートアイランド(UHI)」などの影響が含まれているとして、米国歴史気候ネットワーク(USHCN)のデータを使って独自に検証した。
その結果、2026年7月より平均気温が高かった7月が過去に4回あり、1901年、1934年、1936年などが含まれていたという。これらの時代の大気中CO₂濃度は、現在の75%未満だった。
もちろん、これだけで「温暖化していない」と結論づけることはできない。重要なのは、一つの数字を示して終わるのではなく、その数字がどのような観測と処理によって得られたのかを検証することである。
この問題は、気候予測にも通じる。
現在、気候変動の将来予測では、RCP8.5やSSP5-8.5といった高排出シナリオがしばしば使われてきた。
RCP8.5/SSP5-8.5:温室効果ガスの排出が非常に高い水準で続くことを想定した気候モデルの将来シナリオ。現実に最も起こりやすい未来を予測したものではなく、極端な温暖化の可能性を検討するためのシナリオ。
ところが、このような極端なシナリオが、いつの間にか「何もしなければ、このような未来になる」という現実的な将来予測のように扱われることがあった。
ここに、科学技術を政策に利用する際の重要な問題がある。
米国で気候予測についての見直しが始まった
米国では現在、こうした扱いを見直す動きが始まっている。トランプ政権は8月、米国第5次国家気候評価(NCA5)について、RCP8.5やSSP5-8.5に基づく結果を、期待される将来やBusiness as Usualの予測として扱わないよう求める修正を提案した。
これは、単に「温暖化する、しない」という議論ではない。科学モデルによる「可能性」と、現実に起こる「蓋然性」を区別しようという問題である。気候モデルは、将来を考えるための重要な科学的道具である。
しかし、モデルの計算結果そのものが現実ではない。モデルには前提条件があり、その前提条件によって結果は変わる。
だからこそ、科学技術の基本は、
観測 → 仮説 → モデル → 実測値との比較 → 検証 → 不確実性の評価
というプロセスにあるはずだ。
さらに、CO₂を評価するときにも同じ問題がある。
CO₂は温室効果ガスである。しかし、それだけではない。植物の光合成に不可欠な物質であり、大気中CO₂濃度の上昇は、植物の光合成や水利用効率を高め、作物生産にもプラスの効果をもたらすことが知られている。
衛星観測から確認されている地球規模の緑化にも、CO₂濃度上昇による「CO₂施肥効果」が寄与しているとされる。
温暖化についても同じである。温暖化によるリスクがある一方、寒冷による死亡の減少や生育期間の延長など、地域や条件によってはプラスの側面も存在する。
科学的な評価とは
科学的な評価とは、本来、マイナスだけを集めることではない。プラスとマイナスの双方を比較することではないだろうか。
私は、脱炭素政策に疑問を呈している。しかし、問題にしているのは「温暖化対策そのもの」ではない。
技術者として私が問いたいのは、科学技術を政策の根拠とするのであれば、その出発点から政策決定に至るまで、適正な科学技術プロセスが守られているのかということである。
- 極端なシナリオを現実の未来と混同してはいないか。
- モデルの結果を、観測事実と同じように扱ってはいないか。
- CO₂のリスクだけを評価し、その便益を無視してはいないか。
- そして、科学的な不確実性を十分に考慮したうえで、社会に大きな負担を求める政策を決めているのだろうか。
それが、科学技術を社会の意思決定に生かすための基本ではないだろうか。
そして、この視点に立てば、CO₂そのものの見方も変わってくる。
CO₂を「排除すべきもの」としてではなく、自然と社会の循環の中にあるものとして捉え直す。
気候政策をめぐる議論で、いま必要なのは、脱炭素か温暖化対策反対かという二者択一ではない。科学を、もう一度、観測から始めること。
その先に、炭素と共生する社会という、もう一つの選択肢が見えてくるのではないだろうか。







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