2022年7月に起きた安倍晋三元首相銃撃事件を題材にした映画の製作が進められていると東京スポーツが報じ、波紋が広がっています。同報道では、山上徹也被告役には人気俳優の菅田将暉さんが起用されるとの情報もありますが、現時点で正式発表はなく、真偽については慎重に見る必要があります。
一方、報道が事実であれば、係争中の重大事件を早くも商業映画として扱うことへの是非が問われそうです。
山上被告を「主人公」にする危うさ
報道によると、映画は事件前後の山上被告に焦点を当て、逮捕や勾留を経て裁判に臨むまでを描くといいます。
SNSでは「テロリストを偶像化しないでほしい」「なぜ犯人に人気俳優を起用するのか」「エンタメ化する必要がどこにあるのか」など、批判的な声が相次いでいます。
実際の犯罪事件を映画化すること自体は珍しくありません。歴史的事件を記録し、社会問題を検証することにも一定の意義はあります。
ただ、山上被告の境遇や苦悩を物語の中心に置き、人気俳優が演じるとなれば、観客が被告に感情移入する作品になる可能性もあります。
旧統一教会をめぐる問題や山上被告の家庭環境を検証することと、政治家を銃撃して死亡させた実行犯を魅力的な主人公として描くことは別問題です。

山上徹也被告
裁判はまだ終わっていない
映画化への違和感を強めているのが、事件の司法手続きがまだ終わっていない点です。
山上被告は2026年1月、奈良地裁で無期懲役判決を受けましたが、判決を不服として控訴しています。事件は現在も係争中で、司法判断は確定していません。
「事件を後世に残す」というのであれば、裁判が終わり、証拠や証言が十分に整理されてからでも遅くはないでしょう。
係争中の段階で映画が独自の解釈を加えれば、事実関係よりも作品のストーリーが社会に強い印象を残す可能性もあります。
遺族にとって事件は「コンテンツ」ではない
さらに忘れてはならないのが、安倍氏の遺族や友人、事件に関わった人々が現在も生きていることです。
製作者にとって事件は映画の「題材」でも、遺族にとっては家族を突然奪われた現実そのものです。
表現の自由は尊重されなければなりません。しかし、表現の自由が社会的、倫理的な批判を免れる理由になるわけではありません。
政治的暴力の実行犯が注目を浴び、その人生が映画になり、日本を代表する人気俳優が演じる。その構図自体が、結果として犯人に新たな名声を与えることにならないでしょうか。
テロによって社会の注目を集めれば、自らの思想や人生まで作品として残される――。そんな「成功報酬」を暴力に与えてはならないとの指摘には、重い意味があります。
映画化報道が事実なら、製作側にはまず「なぜ今なのか」「なぜ実行犯を物語の中心に据えるのか」を説明する責任があります。
事件を風化させないことと、テロリストをスター俳優で主人公化することは同じではありません。








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