経営難が続く福岡県直方市と同県行橋市を結ぶ第3セクター・平成筑豊鉄道(福岡県福智町)について、服部誠太郎知事は25日、県設置の法定協議会で路線バスに転換する案が決議されたことを沿線9市町村や同社に報告した。鉄道の廃止時期は未定。法定協は走行ルートなどの議論を始めるが、運転手確保や自治体の財政負担など課題は多い。
法定協では、運行とインフラ管理を切り分ける「上下分離方式」での鉄道存続や、バス専用道を設けるBRT(バス高速輸送システム)も検討されたが、市町村の担当者や交通事業者など委員27人のうち、棄権者を除く過半数が路線バス案を支持した。
報告を受けた同社の河合賢一社長は「重く受け止めている。長い間走ってきた鉄道をどう店じまいしていくか、緊張感を持ってあたりたい」と述べた。鉄道事業廃止後の会社のあり方や、線路や車両の活用・撤去については今後自治体などと協議するという
読売新聞On lineより引用
2026年3月25日、福岡県東南部を走る平成筑豊鉄道について、県が設置した法定協議会が路線を廃止してバス転換するする方向で決議したと報じられました。廃止時期は未定ですが、近い将来、同路線は自治体からの赤字補填がなくなり廃止されることが決定づけられました。

平成筑豊鉄道は、福岡県行橋市と直方市を、旧筑豊炭田の中心地、田川市を経由して結ぶ第三セクター鉄道です。平成元年にJR九州から第三セクターに移行したことから平成筑豊鉄道と名付けられました。地元では「へいちく」と呼ばれ30年余りにわたって親しまれてきました。
この地域は石炭を運ぶため、線路が網の目のように走っていましたが、エネルギー革命によって石炭の需要がなくなると路線は次々廃線となりました。比較的利用が多く、県東部の中心都市を結んでいた3線が残り第三セクターに転換された歴史があります。

もしかしたらもう2度とへいちくに乗る機会は訪れないかもしれない。そう思い、日田からひこぼしラインと日田彦山線に乗ってやってきたのは田川伊田駅。田川市の中心駅です。この駅は2階が簡易宿泊所になっていて、筑豊地方の旅に重宝します。過去にも一度泊ったことがあって、その記事はこちら。


田川伊田駅の駅裏には石炭記念公園があり、日本の巨大な煙突が建っています。旧三井田川鉱業所第1・第2煙突。45.45mの高さを誇ります。伊田坑は筑豊地方の中でも最大級の炭鉱であり、多くの鉱夫がここで日本の産業の根底を支えていました。

こちらの竪坑櫓とともに、近代日本を支えた炭鉱の歴史を今に伝えています。

田川伊田駅からJR日田彦山線に乗って隣の田川後藤寺駅に来ました。日田彦山線のほか、JR後藤寺線と平成筑豊鉄道糸田線も交わる交通の要衝ですが、あたりに賑わいはなくひっそりしています。

ここからはいよいよへいちくの出番。1両だけのかわいい車両に乗ってまずは糸田線を乗り潰します。

廃止される運命の鉄道会社ですが内装は結構綺麗にしています。椅子もかわいいキャラクター「ちくまる」をあしらったもの。

田川後藤寺駅の駅名標もそうですが、ネーミングライツを積極的に導入しています。また、吊革や線路の枕木にもスポンサーを募集している徹底ぶり。それでも赤字は解消されず廃止に追い込まれてしまう。地方鉄道の厳しさをあらためて感じます。

ちなみに今回利用したのはこちらの「ちくまるきっぷ」。1500円で1日全線乗り放題のほか、沿線の温泉施設が1回無料で入れる太っ腹なきっぷです。直方ー行橋間が1190円なので往復で充分もとが取れてしまいます。

糸田線はへいちくの中でもっとも短い6.8キロの路線。あっという間に終点の金田駅に着いてしまいます。金田駅はへいちくの本社を擁する主要駅です。

一発で水戸岡さんがデザインしたとわかるKUROGIN列車が止まっていました。金田駅はへいちくの車両基地も備えていて多くの列車が集まります。

運転士の詰め所には国鉄時代の駅名標などが残ります。
田川後藤寺駅、田川伊田駅は昭和57年まで後藤寺駅、伊田駅でした。

さて、ここからは伊田線に乗って田川伊田駅を通り、行橋方面に向かいます。

途中、赤駅で下車しました。赤駅というだけあって駅名標は真っ赤っか。赤村役場が目の前にあります。

赤駅の駅舎の前に、レールがあるんですがわかりますか?

これは旧油須原(ゆすばる)線の線路跡。油須原線は炭鉱路線のひとつで一部開業していましたが、ここと油須原駅を結ぶ区間は工事が途中でストップしそのまま事業中止。鉄道が走ることはありませんでした。今はここに月1回程度トロッコ列車が走り、子供たちでにぎわいを見せます。
なお、この線路は駅舎を出たところにあり、とても不思議な光景ですが、国鉄時代に赤駅は存在せず、したがって当時は駅舎もなかったのでした。

赤駅からは油須原駅に向かって、線路を見下ろしながら一駅歩きます。

20分ほど歩いて油須原駅に到着。この駅は豊州鉄道が田川線を開業させた明治28年からある駅で国鉄が国有化したあと、平成筑豊鉄道となりました。
晩年の国鉄は田川線を廃止させる予定だったため老朽化した駅舎をメンテことをせず、その結果木造の郷愁を誘う駅舎が今に残ることとなりました。さすがに明治の駅舎は老朽化が激しかったため、令和に入り改修され今の駅舎に生まれ変わっていますが、レトロ感溢れる駅舎は古き良き時代の木造駅舎の雰囲気を十分醸し出しています。




4世代を生き抜いた油須原駅。電車が来なくなった後、いったいどうなってしまうのか。その動向が注目されます。

列車との時間が合わなかったため、油須原駅からさらに一駅歩きます。やってきたのは「源じいの森」。ユニークな名前ですが、バーベキューができたり、温泉に入れたりとレジャーが楽しめる筑豊地域の有名観光スポット。お盆休みということもあってか車がバンバン入ってきます。

平成筑豊鉄道も施設の目の前に源じいの森駅を置いているんですが、ここで降りる人は皆無。ほぼ100%の人が来るまで来るという利用実態で、鉄道事業の厳しさを目の当たりにしました。

トイレはズボンを脱いでしてね、源じい。
キャラクターは源じいというおじいさんですが、この地域に源じいという人物がいたわけではなく、赤村がゲンジボタルを見られる場所であることから命名されたそうです。

源じいの森の温泉施設がさきほどの「ちくまるきっぷ」で無料で入れます。
こんなお得なきっぷなんだからみんなもっと使えばいいのに。2駅分歩いたので疲れました。癖のない泉質で旅の疲れをしっかり癒してくれました。

へいちくの赤シリーズ

へいちくの赤シリーズ②
このあとは来た道を戻り、直方へ。途中、赤池、あかぢと「赤」にゆかりのある駅を通過します。鉄道路線で「あかぢ」とはなかなかのネーミングですが、この駅のある場所が「赤地」という地名。でもこれだと先の「赤池」と間違えやすいので「あかじ」とひらがなにしたんですが、これではもろ「赤字」に繋がってしまうので半ば強引に「あかぢ」としたのでした。最初は「AKAJI」だったローマ字表記も「AKADI」としました。これだと「あかでぃ」なんですがね。

地元が廃止の道を選んだ平成筑豊鉄道。ただ、先の田川市長選挙では廃止見直し派の市町が当選したり、バス転換しようにもバスの運転手がいないなど廃止まではまだ紆余曲折がありそうです。
鉄道はとにかく設備の維持にお金がかかります。地元の方が乗らないのであれば廃止はやむを得ず、お金を他に回すのも必要なんだと思いますが、地元の方が利用しやすい公共交通機関の模索を続けていってもらいたいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年9月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。







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