
結論から書く。AI時代は、本を読まなくていい時代ではない。もっと深く読まなければならない時代だ。
……いきなり説教くさい出だしだな、と自分でも思う。でも、これを最初に言っておかないと先に進めない。
『AI時代の 読む技術大全』(渡邊康弘著)朝日新聞出版
先日、若い編集者と話していて、こう言われた。「その本、AIに要約させました。だいたいわかりました」。だいたい。だいたい、か。
私は2010年から書評を書いている。気づいたら1万冊を超えていた。だから多少はムッとした。……いや、正直に書こう。かなりムッとした。だが、彼を責める気にはならない。便利だからだ。私だってやる。
スマホを開けば情報が押し寄せる。Xを開けば速報。AIに聞けば要約も解説も感想文も出てくる。3秒だ。3秒で「わかった気」になれる。本を1冊読むのに何時間かかると思っているんだ、という話である。合理的に考えれば、読まないほうが正しい。
正しいのだが。
ここで数字をひとつ。現代人が1日に浴びる情報量は、平安時代の人間が一生かけて触れた量に匹敵する——という話がある。江戸時代の1年分を、1日で。出どころのはっきりしない俗説だし、私も検証していない。していないが、体感としては「まあ、そんなもんだろう」と思う。
紫式部の時代、貴族たちは『源氏物語』を何年もかけて書き写し、回し読みし、味わい尽くした。江戸の町人は長屋で1冊を順番に回した。順番待ちである。読みたくても、順番が来ない。
その人たちが一生かけて触れた知の総量を、われわれは1日で、指先でスワイプしながら消費している。
進化か。災厄か。知らん。どっちでもいい。ただ、ひとつだけ確かなことがある。
この濁流に無防備でさらされていると、思考は劣化する。確実に。
なぜか。人間の脳は平安時代からほとんど変わっていないからだ。器はそのまま、流し込む量だけ数千倍。あふれるに決まっている。
そして人間はシンプルにできている。使わないものは、退化する。
思考力は筋肉だ。……この比喩が使い古されているのは承知している。でも、これ以上に的確な言い方を私は知らない。走らなければ脚が細くなるように、考えなければ考える力は落ちる。
要約を読んで理解した気になる。検索結果の上から3行で判断する。AIの答えをそのまま貼る。どれも短期的には効率的だ。効率的すぎて、そのたびに「自分で考える」という運動が、まるごと省略されている。
腹立たしいのは、これが誰のせいでもないことである。悪意ある誰かが仕組んだわけじゃない。全員が、良かれと思って、便利さを選んだ結果だ。だから止まらない。
……いや、冷静になろう。
AI時代はまだはじまったばかりだ。2022年にChatGPTが出て、この4年で常識がひっくり返った。いまは生成AIからAIエージェントへの過渡期にいる。AIが「答える」だけでなく「動く」ようになったとき、人間に残る仕事は何か。
何を問うか。何を選ぶか。それだけだ。
で、その「問い」と「選択」の土台は、どこから来るのか。タイムラインからは来ない。3行の要約からも来ない。著者が数百ページかけて筋道を立てた、思考のかたまりからしか来ない。
本を読むというのは、他人の思考回路を借りて、自分の回路を組み直す作業である。しんどい。時間もかかる。効率が悪い。
悪くて結構だ。
AIに思考を奪われるか、AIで思考を拡張するか。溺れるか、泳ぎ切るか。分岐点はもう目の前にある。というか、たぶん、半分くらいは過ぎている。
どちらを選ぶかは、あなたが本を読むか読まないかで決まる。
……ずいぶん断定的に書いてしまった。反論はあるだろう。あって当然だと思う。ただ、1万冊読んだ側の人間として、これだけは譲る気がない。
さっきの編集者には、結局こう返した。「その要約、誰の言葉だと思う?」
彼は黙っていた。私も、それ以上は言わなかった。
※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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