海外経験者の「日本は遅れてる」は痛い勘違い

黒坂岳央です。

筆者はこれまで、帰国子女、インターナショナルスクール出身者、海外大学卒、MBA取得者などさまざまな海外文化の経験者と仕事をしてきた。興味深いのは、大半は日本社会でうまくやっている一方、一部にはっきりと否定的な層が出ることだ。

後者は日本社会への不満ばかりを口にし、海外を称賛する。だがビザスポンサーを得て現地採用される実力には届かないから、不満を抱えたまま日本に住み続ける。

同じ帰国子女、同じ留学経験者、同じインターナショナル育ちでも、なぜここまで違いが出るのか。ここを考えたい。

自分は英語を教える仕事をしており、英語教育や海外経験を否定する気は一切ない。英語は大変強力な武器であり、留学経験、異文化理解力に自分は人生を何度も救われてきた。この記事は英語や異文化経験を否定するのではなく、使い方を間違えると逆に作用するという話をしていく。

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英語を武器にする人、マウント道具にする人

海外経験を持つ人を見ていると、大きく二つのタイプがいる。

一つは、海外経験や英語を「武器」にする人である。筆者自身がそうしたし、周囲にもそれをおすすめしている。

自分は就活で留学先で学んだ米国会計の専門知識を認められ、会社から採用された。これは英語や留学経験があったことで市場価値が明確に高まったと感じる。これは強力な武器になる。

その一方で、英語そのものが自己認識の中心になってしまう人もいる。「自分はアメリカ育ちでその視点から日本はここがダメだ」「英語が出来る自分は違うんだ」こういったやや上から目線な自己認識だ。こうした人達にとって英語は自分を支えるアイデンティティであり、身分証明書となる。

「日本のここはよくない」これは誰でも言うカジュアルな話題だが、「アメリカ文化が分かる自分から言わせれば」という枕詞が入ると、いきなり周囲の反発を招くマウントに聞こえ方が変わる。もちろん、批判自体は個人の自由だが、「言い方」を選ばなければ周囲から嫌われる。

英語は間違いなく強力な武器だ。異文化理解力も外資系などで働く上では求められるスキルの一つである。筆者は外国人達と仕事を進める上で考え方の違いに苦心惨憺したが、最後にはなんとか順応できたのは留学経験が大きかった。だからこれ自体には間違いなく価値がある。

問題は「英語が自分の全て」になってしまう場合だ。

実力が伴わないとただのマウント

海外経験者が抱える問題の一つに、価値観と市場価値の違いがある。

海外の教育環境に長くいれば、個人主義、自己主張、フラットな人間関係、自己決定といった価値観は自然に身につく。これは悪いことではないし、むしろ海外経験の大きなメリットである。

だが、市場価値はそうはいかない。仕事の専門性は、自分で勉強し、仕事をし、失敗し、成果を出して、初めて身につく。つまり、海外の価値観は環境に浸っているだけでも入ってくるが、海外で通用する市場価値は意識的に作らなければならない。ここに非対称性がある。

価値観だけが先に海外仕様になり、市場価値が追いつかなければ、頭で思い描いた理想に実態が追いつかないため、「日本企業の上下関係なんて耐えられない」「日本の同調圧力はおかしい」「海外ならもっと自由なのに」という不満ばかりを持つようになる。

英語しかなければ、「では海外企業で働きます」と言えるだけの専門性はない。ビザスポンサーをされ、現地採用させるだけの実力が必要だが、プライドが実力を飛び越えてしまっている。これは「頭はアメリカ、体は日本」という文化キメラのような状態だ。

結果として、日本に住みながら日本を批判し続けるという厳しい状態になる。

批判に「行動」が続くか

筆者が働いてきた環境にもこうした人達はいた。インターナショナル卒、帰国子女、海外留学者だ。「日本はいかにダメで海外から遅れているか」ということを彼らは延々と言い続ける。

自分も最初は面白がって聞いていたが、そのうち、彼らがずっと同じレベルの悪口を言い続けて進展がないので付き合うのがしんどくなってきた。それよりも仕事で結果を出したい、という気持ちが強かったので、自然とキャリア組と仲良くなっていった。

一方、エリート校を出た人たちは違った。筆者の知る限り、彼らが日本の悪口に時間を使っているのを見たことはほとんどない。淡々と仕事をし、成果で評価され、若くして課長ポジションを得ていく。英語が堪能で外国人マネージャーとも上手に付き合って出世したり、他の企業へ転職していった。

「ここがダメ、あそこが嫌」と日本への不満を言い続けるなら、日本を出て海外で勝負すればいいし、日本企業が嫌なら外資へ行けばいい。丸の内の金融機関は場所は東京都で日本だが、社内は一日中英語だけで生活出来る。そこでは共通語が英語でむしろ、日本人同士でも英語で会話するような場所なので、そういう場所を選べば、日本企業的な慣習からは離れられる。

だが、英語以外の市場価値がなければ、この選択肢が持てない。もちろん、実力のある人が日本企業を批判することもある。違うのは、彼らの批判には「だから自分はこうする」が続く点だ。外資に移る、海外に出る、独立する。批判が行動とセットになっている。

外資や海外転職や独立だ。批判が行動とセットになっている。一方、同じレベルの批判が何年も繰り返されるだけの場合は、内容の正しさより、行動が伴わない理由のほうを見るべきだろう。

不満を言う人ほど海外に行かない

そして彼らは日本の文句はいうが、日本から出ない理由がもう1つある。それはアイデンティティだ。日本にいる限り、「英語ができる人」でいられるが、海外に行けば、「英語は分かった。で、あなたの市場価値は?」これが問われる。

彼らが英語圏の労働市場に行ったところで、「英語ができます」だけでは誰も採用しない。英語圏で問われるのは「あなたはどんな価値を提供できるか」である。この問いに答えられなければ、そもそもビザをスポンサーする企業が現れない。

だから彼らは日本に残る。日本は嫌いなのに、海外に行く実力はない。この矛盾が、不満を生み続ける。そして、この不満は自己防衛として使う。「自分には海外で通用する市場価値がない」と認めてハイスキル取得を目指して努力するより、「日本社会そのものがおかしい」と考えた方が、自尊心を守れるからだ。

さらに言えば、この自己防衛は受益の側を見えなくする。日本の治安、医療、インフラ、生活の利便性は、日常的に享受しているものだ。だが「この社会は自分に何も与えていない」という前提を維持しないと、批判の正当性が保てない。だから享受している部分は認識から外される。恩恵を数えれば、不満の物語が成立しなくなるからだ。

これは道徳の問題ではなく、整合性の問題である。受け取っているものを勘定に入れない収支計算は、そもそも計算として間違っている。

そしてSNSでいいねを集め、同じ愚痴不満グループに入れば、彼らの批判は止まらなくなる。

そしてこれは会社員の愚痴不満とよく似ている。

経済学者アルバート・ハーシュマンは、組織の質が低下したとき、人は「退出」か「発言」で反応し、退出の選択肢を持たない者ほど発言に依存すると論じた。ここで付け加えたいのは、離脱能力を欠いた状態が続くと、その発言が改善提案ではなく不満の反復へと劣化していくことだ。改善する力も、去る力もない。残るのは声だけになる。

転職市場で価値の高い人は、会社の悪口を言わない。嫌ならいつでも辞めるからである。上司と普通に付き合い、会社に改善してほしいことを伝え、ダメならスパッと転職するだけだ。そして辞めるときには、今まで世話になった人に挨拶をして去っていく。

一方、転職市場で価値が低い人ほど、会社への不満が増える。「辞めたい。でも次がない」この状態なので「上司が悪い、会社が悪い」となる。自分はもっと評価されるべきだという話が増える。だが、市場価値が低いので会社を辞めることができない。

これは海外経験者の問題と本質的に同じである。

日本に課題があることはよく分かる。生産性の低さ、イノベーションを阻害する旧態依然とした慣習など課題は多い。だが「ただただ文句をいうだけ」ではそれは何も変わらない。

日本に不満があるなら、選択肢は三つしかない。環境を変える力をつけるか、環境を出る力をつけるか、環境を受け入れるかだ。このどれも選ばずに不満だけを言い続けるという四つ目の道は、本人の人生を一ミリも動かさない。

批判すること自体は自由だし、必要でもある。だが批判を実際の変化につなげたいなら、最終的に必要なのは「いつでも出ていける状態」を作ることだ。出口を持つ人間の批判には重みが出る。出口を持たない人間の批判は、どれだけ内容が正しくても聞き流される。

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Z世代を甘やかすな」(著:黒坂岳央)

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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