
「歯科医院はコンビニより多い」と聞いたことがある人もいるだろう。
厚生労働省の医療施設動態調査によると、2026年の歯科診療所は全国に65,057施設ある。一方、コンビニエンスストアは5万店台で推移している。街を歩けば歯科医院を頻繁に見かけるのも無理はない。
そのため、「歯医者は多すぎる」「患者を取り合っている」というイメージを持つ人も少なくないだろう。
ところが、その歯科医院では、患者とは別の争奪戦も起きている。歯科衛生士の獲得競争である。
厚生労働省の職業情報提供サイト「job tag」によると、歯科衛生士の有効求人倍率は全国で2.78倍(令和7年度)。求職者1人に対して単純計算で約2.8人分の求人があることになる。
「歯医者はたくさんある」ことは、多くの人が知っている。しかし、「そこで働く歯科衛生士をめぐって、医院同士が競争している」ことは、意外と知られていない。
医院が人を選ぶだけの時代ではなくなった
なぜこれほどの売り手市場になっているのか。理由はさまざまだが、ここでは背景そのものよりも、重要な事実に目を向けたい。それは、求職者側にすでに複数の選択肢があるという事実である。
人材が豊富な市場であれば、「応募してきた人の中から、医院が誰を採用するか」を考えるだけで済んだ。しかし、有効求人倍率が3倍近くの市場では、事情が違う。
医院が歯科衛生士を選ぶ一方で、歯科衛生士も「どの医院で働くか」を選んでいる。採用する側が一方的に人を選ぶのではなく、医院自身も比較され、選ばれる立場になってきているのだ。
争奪戦のはずなのに、求人票はよく似ている
歯科医院の求人には、完全週休2日、社会保険完備、駅から徒歩○分、明るくアットホームな職場、といった情報が並ぶことが多い。もちろん、これらは求職者にとって重要な情報である。
問題は、他の医院も似たようなことを書いている点にある。
人材が豊富な市場であれば、「募集している」という情報を届けるだけで応募が来たかもしれない。しかし、選択肢がある市場では、「条件を満たしているか」だけでなく、「数ある医院の中で、なぜこの医院を選ぶのか」が問われる。
これは商品やサービスのマーケティングと同じ構造だ。競合が少なければ、存在を知らせるだけで売れる。しかし、似た商品が数多く存在すれば、消費者は比較する。採用も同様で、選択肢が増えれば求職者は求人を比較するようになる。
ところが採用となると、いまだに「求人を出せば、誰かが応募してくれる」という発想から抜け出せていない医院は少なくない。
「歯科衛生士」はひとりじゃない
同じ「歯科衛生士」を募集するのでも、医院によって本当に採用したい人物像は違う。
若手で明るく社交的な人を求める医院もあれば、経験豊富で落ち着いた対応ができる人を求める医院もある。求める人物像が違えば、その人が魅力を感じるポイントも変わってくる。
以前、ある歯科医院の採用支援に携わった際、院長の熱意はホームページにもしっかり書き込まれ、求人票の内容も丁寧だった。しかし、来てほしい若手層からの応募が来ない。
実は院長の写真が「誠実だが厳しそう」な印象を与えており、求めていた「明るく社交的な人」というメッセージとずれていた。写真を和やかな印象のものに差し替えただけで、来てほしい層からの応募が入るようになった。
条件は何も変えていない。変えたのは、「どんな人に来てほしいのか」が伝わる見せ方だけである。
採用はマーケティングである
歯科衛生士の有効求人倍率を、一つの医院が変えることはできない。しかし、限られた人材から「この医院で働きたい」と思ってもらうことはできる。
そのために必要なのは、誰に来てほしいのか、その人は何を求めているのか、自分たちは何を提供できるのか、それをどう伝えるのか、という一連の設計である。
これは、商品を売るときには当たり前に行われているマーケティングの発想であり、採用も本質的には同じである。
歯科医院で起きている人材争奪戦は、特殊な業界だけの話ではない。人口減少と人手不足が進む日本では、今後、多くの企業が同じ状況に直面していく可能性がある。
問われているのは、求人を何回出したかではない。「働いてほしい人」のことを、どれだけ理解しているか。
歯科医院の人材争奪戦は、これからの日本企業の採用の姿を、先取りして映し出しているのかもしれない。







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