東京大学の本田由紀教授が、三笠宮家の彬子さまに関する記事を引用し、「遺伝的要因のおそろしさを感じる」と投稿した件が燃え続けている。

皇族という特定の属性の人びとへ遺伝的要因を持ち出した「差別発言」は非常に問題だ。だが、この騒動を「皇族を揶揄したから炎上した」と理解すると、本質を見誤るだろう。
後から「文脈」を足して曲解と言われても
本田教授は批判に対し、「謝罪」ではなく、「血縁者優遇」を批判したのであって差別意図はないと「解説」した。さらに批判者は「投稿に書かれていない内容を恣意的に読み込んだ」という。
これはなかなか便利な理屈だ。
そもそも、その「背景事情」や「文脈」は元の投稿には書いていなかった。後から長い解説を付け足しておいて、「最初からこの意味だった。分からない方が悪い」と言われても、われわれは困ってしまうだけなのだ。
むしろ批判者が読んだのは、実際に書かれていた「遺伝的要因」「おそろしさ」という言葉である。
5年前なら「文脈を読め」で済んだのか
ここで思い出されるのが、2021年の呉座勇一氏をめぐるオープンレター騒動だ。本田教授も賛同者に名を連ねた。当時は「本当はこういう意図だった」「文脈を見てほしい」という釈明に、本田教授は今ほど寛容だっただろうか。
問題発言をした人間とは距離を取れ、差別には厳しく対処せよ――そういう空気をアカデミア自身が作ってきた。ならば今回だけ「本田先生の真意を理解してあげよう」では、さすがに出来の悪い喜劇である。
本田教授を解雇する必要はない
とはいえ、本田教授を東大から追放すべきだとは思わない。一度のSNS投稿で職を奪う社会の方がおかしい。だからこそ、これまでキャンセルカルチャーを推進して、批判された人々の職を奪うような社会的制裁を課してきた側の人々に問いたいのだ。
同じ発言をリベラルに分類されない教授がしても「文脈があります」で許すのか。許すなら結構である。その代わり、過去の「一発アウト」は行き過ぎだったと認め、キャンセルされた人々への謝罪や名誉回復を考えるべきだ。
許さないなら、本田教授にも同じ基準を適用するしかない。思想によって判定基準が変わるなら、それは倫理ではなく党派性である。
問うべきは「誰を消すか」ではない
本田教授が投稿を削除しない理由について、「自分は絶対に正しいという確信」「東大やメディアは自分に厳しい処分をしないという安心感」「撤回すれば身内から批判される恐れ」など、さまざまな見方が出ている。本人の内心は分からない。
しかし、それ以上に重要なのは、アカデミアが過去10年ほど進めてきた「言葉狩り」を検証することだ。いつの間にか「不快ならハラスメント」「失言したら退場」になった。
しかも、テニュアを持つ著名教授たちが立場の弱い研究者を集団で糾弾することにはまさに「ハラスメント」ではなかったのか。
いま多くの批判者が問うているのは本田教授をキャンセルするかではない。
重要なのは、これまで「他人をキャンセルしてきた文化」をキャンセルする時ではないかという批判者たちの切実な訴えに、本田教授が応えるかどうかである。














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