リベラリズムはなぜ凋落したのか:「理性的な人間」という幻想 --- 辻 貴之

中道改革連合・立憲民主党・公明党の3党合流構想が頓挫しました。国民民主党にしても最近は人気が低迷しており、共産党や社民党の左翼政党にいたっては、支持者は高齢者ばかりで党勢は今後も衰退する一方でしょう。戦後日本におけるリベラル左派政党の凋落傾向が際立っていて、この点は世界的な傾向とも重なっています。

「理性的人間」という幻想

リベラリズムがなぜ凋落したのか。近年の人間科学の急速な進展により、その理由が見えてきます。脳科学・心理学・認知科学などを総称して、ここでは人間科学と呼びますが、デカルトを創始者とする理性的人間観ならびに近代合理主義の土台が、大きく揺さぶられているのです。

理性的人間観では、人間は知恵のある賢明な存在だとみなされますが、近年の人間科学では、行動経済学の知見が教えるように認知バイアスが簡単に生じ、不合理かつ愚かな言動をする人間が少なくないとされます。

気鋭の社会心理学者ジョナサン・ハイトは『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(紀伊國屋書店)において、従来の理性崇拝の姿勢を「合理主義者の妄想」とまで呼び、政治の世界でも、理性よりは感情が大きな力をもつことを論証しています。

ハイトの考え方は、イギリスの著名な哲学者デイヴィッド・ヒュームの有名な言葉「理性は感情の下僕である」に近く、また脳神経科学者アントニオ・ダマシオが提唱した「ソマティック・マーカー仮説」とも整合性があります。思考形成や意思決定の中核を占めるのは情動や感情であって、知性ではないというのが同仮説であり、人間科学の世界に大きな影響を与えたことはよく知られています。

認知心理学者として著名な今井むつみは『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)において、「選択や意思決定の多くの場合、人は、最初に感情で、端的に言えば『好きか嫌いか』で物事を判断し、その後、『論理的な理由』を後づけしているに過ぎない」と指摘しています。

私たちの思考形成や意思決定は、その基本的部分は無意識の感情のレベルでなされ、自分の判断は正しかったと自らを納得させるため、言葉を使って後づけでそれらしい理由をこじつけようとすることなのです。

人は自分の言動の意味を言葉でもって他者に伝達します。その際には、いかにももっともらしい理由を考えますが、そうした営みの最大の目的は真実を述べることではなく、後づけの理屈にすぎません。

私たちの心も身体と同様に、基本的に進化の産物ですが、進化の最大の原動力は真実を知ることではなく、自己正当化だったのです。私たちの心が進化した太古の昔は、警察もなければ法律もなく「力こそ正義」がまかり通る環境にあったのですから、真実を知ることではなく、自分の見解は正しいと強く主張できる人が環境に適応したことは間違いないことでしょう。私たちの認知メカニズムは自己正当化の方向に大きく進化したのです。

同時にまた、太古の昔には合理的思考はそれほど必要なく、心の進化の視点から考えると、人間を理性的存在とする合理主義的な人間観こそ、疑う必要があります。人間は理性的存在ではなく、感情的存在と見なす方が理にかなっているからです。

人間はなぜ自分をだますのか

進化心理学が教える「自己欺瞞」についても同様です。自己欺瞞が進化したのは、無意識にあるダークな感情を自らの意識にすら知らせないことが有利に働いたからです。

太古の昔は集団生活が必須の条件であり、他者の前では利己的に見えないように努力する必要があります。意識にとって自分の醜い動機は知らなければ知らないほど都合が良く、言葉を使ってもっともらしい理由をでっちあげれば、他者から醜い動機を隠すことができます。言語能力を獲得した人類は、自己欺瞞の能力も飛躍的に拡大させたのです。こうして他者をだます前に自分の意識すらだます能力は、自分の生存だけでなく生殖の点でも非常に有利に働いたことでしょう。

ニューイングランド大学のデイヴィッド・リヴィングストン・スミス教授は『うそつきの進化論』(NHK出版)のなかで、「言葉の魔術を自在に操る能力と、その能力と表裏一体の関係にある自分で自分をだます能力は人間の精神を作り変えてしまった。自分の中にある真実を自分自身から隠すために、人は無意識の心を発達させなければならなかった」とまで指摘しています。

自己欺瞞とよく似た心理メカニズムに「確証バイアス」があります。自分の信念や意見に都合のよい情報ばかりを採り入れ、都合の悪い情報は軽視あるいは無視してしまう現象です。私たちがもっている事前の信念や意見に合致する情報だけを採用し、合致しない情報は脳にインプットされなくなってしまいます。

私たちの脳が処理する外部からの情報は莫大な数になります。それらを1個ずつ意識のレベルで処理するには脳の情報処理能力が大きく不足しており、その多くは無意識の領域で処理されますが、脳に入力される外部情報を取捨選択するフィルタリング機能が備わっていて、あくまで脳にとって都合のよい情報だけが採り入れられるのです。

前述した今井むつみが同書において、「話せば分かる」は幻想かもしれないと指摘しているのも、この確証バイアスが非常に強力に働き、意思疎通が思いのほか困難な現実があるからです。

自らの信念や意見が正しいかどうか検証する際、それらが誤っていることを示す反証データは今日の世界では非常に重要な価値をもっています。自らの主張が観察や実験によって否定される可能性をもつことを反証可能性といい、健全かつ生産的な議論を交わすうえで大切な基準となり、自然科学の理論形成ではとりわけ重視されます。ただ残念ながら、心の進化の過程ではその点は無視され、自己正当性をアピールする能力が重視されてしまったのです。

人は、見解の異なる相手の主張の反証データを探すのは非常に得意としていますが、自らの主張の反証データを探すのは不得手なのです。

脳は都合のいい「物語」をつくる

そして確証バイアスと関連するのが、私たちの脳の宿命ともいえる「物語を紡ぐ」能力です。私たちの心は、信じることが何もないという状況に耐えられません。それゆえ人の脳は、客観的根拠がなくても、世界で起こる様々な事象に対し物語を紡ぎ、安心を得ようとする傾向が顕著です。

この点を明確に示したのが、認知神経科学の父ともいわれるマイケル・ガザニガであり、分離脳の研究者としてよく知られています。私たちの脳は、右脳と左脳が脳梁でもって連絡されていて、一方に入力された情報は他方に瞬時に伝わります。ただ脳梁が切断された分離脳の人は、そうはいきません。

ガザニガは分離脳の人に対し、その右脳にだけ「歩きなさい」という情報を伝えました。するとその人は歩きはじめます。そこでガザニガはどうして歩いたのですかと尋ねます。言語中枢のある左脳はその情報を知りませんから、答えに詰まると思いきや、すらすらと理由を述べるのです。

この左脳の働きこそが「物語作成機能」であり、外の世界で起きた一連の出来事をつじつまの合うように、物語に作り上げる意味解釈機能です。人は自らの活動に対し意味を見出し、ストーリー性を与えようとします。

心理学者のペター・ヨハンソンの「選択盲」の実験も有名です。若い男性に2人の女性の写真を見せ、どちらの方が魅力的かを問う実験です。ただここで巧妙な手品を使い、選んだ写真と逆のものを男性に渡して、どの点が魅力的なのかを話してもらいます。男性は写真がすり替えられていることを知りません。すると、見せられた写真の女性の魅力をすらすらと語りはじめます。本来は魅力的と感じていないはずですが、魅力的な理由を流ちょうに述べてしまいます。こうした理由はつじつま合わせに過ぎず、後づけしたものであることは明白ですが、当の本人は自覚できません。

私たちは自分で思うほど自分のことが分かっていません。なにしろ自分の言動の原因の大半は無意識のレベルで生じるため、自分のことがわからないのが自然の姿なのです。

ポスト・リベラリズムの時代へ

リベラリズムが前提とした理性的人間観は、過去のものとなりました。人間性について考えるとき、理性よりも感情の方が圧倒的に影響力が大きく、意識と無意識の関係についても同様です。人は言葉を使って合理的に自らの言動の理由を他者に伝えようとしますが、それは本心からのものとは限らないのです。

リベラリズムが最終的に失敗した理由は「成功」したからという見方があります。なるほどリベラリズムは人間性尊重のヒューマニズムに基づき、自由や権利の理念を重視し、近代文明を築き上げるのに成功し、その思想は世界全体に浸透しました。ただ世界全体に浸透した分、近年ではその欠点も際立つようになってきました。

今後の世界はポスト・リベラリズムに移行するでしょうが、それは例えば家族や道徳の価値の見直しのように、自制心を要請するものが中心となるだろうとの予測もあります。

ポスト・リベラリズムの世界がどのようなものになるかはともかくも、リベラリズムが世界全体に浸透した「大きな物語」であっただけに、世界は今後混沌とした時期が続き、最悪の場合、1930年代の世界のように、激動の時代に入ることでしょう。

「バイアスの盲点」と呼ばれる心理メカニズムがあります。心のなかが強烈なダークな感情に染まり、認知が歪んでいる人ほど自分の心は健全だと決めつける現象です。

自己正当化の極みですが、アメリカのトランプ大統領やロシアのプーチン大統領だけでなく、中国の習近平国家主席もこの罠に陥っている公算が高いことでしょう。そして彼らはまた、人類の普遍的価値と呼ばれる理念の重要性をまったく理解できていません。大国の指導者の認知が大きく歪んでいることは、世界平和にとって非常に危険です。

辻 貴之
元公立高校教師。教員時代、平和主義を標榜しながらも攻撃的な姿勢を見せる左翼系組合員の矛盾した言動を目の当たりにし、脳科学や心理学に関心を持つ。現在は「自己欺瞞」や「確証バイアス」といった心理学的アプローチから日本政治の分析を行っている。著書に『民主党政権は、なぜ愚かなのか』(扶桑社新書)、『「憲法9条信者」が日本を壊す』(産経新聞出版)がある。

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